再考・新創価学会勤行要典 2016.2.3
創価学会が改変した勤行要典が新年を向かえ発売となり、会員がそれを使用し出している中、これに反発する動きがある。 会内では、今、学会本部の方針にさからい『自分は正しい信仰を行っているから大丈夫』とばかりに、それぞれにおいて、一人信心に陥っている状況と見られます。学会が間違っている以上、その中で正しい信仰などできるはずがないことは誰でもわかるはずであるが。 この答えは、かつて池田名誉会長が指導しているので、会員の皆さまにはじっくりと確認いただきたい。「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである」
(池田名誉会長指導『広布と人生を語る』八巻)
本題ですが、これまでの学会の勤行では「戒壇の大御本尊へ通じる」祈念文となっていたが、「戒壇の大御本尊は建立されなかった」と密かに工作した上で、改訂版では「南無妙法蓮華経」に対する信仰へと変わっている。
創価学会は、会則、経本の中で、戒壇の大御本尊を薄めてきたが、大聖人を「本仏」とするだけで、人法一箇の信仰の対象ではなく、日興上人、三代会長と同列にまで引き下げる狙いがあらわれている。
何度も説明している通り、これは「大聖人は宇宙に存在する仏界の発見者」に位置づけ、新勤行方式では、信仰(帰命)の対象は宇宙に遍満する仏界(根本の法)に変更したことになるでしょう。 このような、法門は大聖人の仏法にないことを、会員の皆さまは気づくべきです。
このように、創価学会は大聖人の仏法を根底から破壊したにもかかわらず「日蓮世界宗」などと日蓮の名を冠する宗派を立ち上げようとしているわけですが、ここまで学会は錯乱しているということです。
ほとんどの学会員は日寛上人の御本尊に対して、勤行・唱題をしているわけですが、五座三座を守らず上人に反している。日寛上人に違背しておきながら、「日寛上人の御本尊を拝む神経はどうにかなっている」と気づかなければおかしいのです。
日寛上人御指南
「若し堪えたらん人は本山の如く相勤むべし、若し爾らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし」(報福原式治状)
「学会は宗門とは無関係」を標榜しているのだから、学会本部の御本尊、日寛上人の御本尊を拝むことは、「自分は悩乱しています」と言っているのと同じことです。 今すぐ、宗門の御本尊の安置を辞めなければならないのです。 宗門の御本尊を拝したいのであれば、宗門へ帰伏することが正しい信仰ではないですか。
こういったウソ・デタラメな行為を自分の中心に置くわけであるから、生活が狂い、創価新報・怪文書の個人の中傷をおかしく思わず、同調までする人間に成り果てるのである。