外道に堕した池田創価学会

 池田大作は、戸田会長が使っていた「宇宙のリズム」や「宇宙の根源法」などを指導に多用してきたが、これが大聖人の御法門を破る本尊観であることを紹介しておきましょう。


引用////////////////////////////////////////

 本来宇宙法界に遍満する法は、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の心(我即法界) を離れて存在しないのであるが、池田氏は、もともと本門戒壇の大御本尊の意義について聖教新聞に、

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「『本尊』とは根本尊敬の当体である。日蓮大聖人は
宇宙の根本法則を一幅の曼荼羅に御図顕なされた
そのお姿が『御本尊』である。(中略) まことに有り難い万法の当体なのである」

(S 五十六・一・二十八日付)

 と、大御本尊の当体は宇宙の根本法則であるとみなして、大聖人の己心の外であると立てている

 事実、池田氏の宇宙生命の根源のリズムに合わせるという境智冥合が、その誤まりである。つまり、氏は妙法の御本尊を仏の心よりも宇宙の万法を体とした理上の妙法を唱えているのである。
 しかし、妙法は仏の体を離れて存しない。すなわち、大御本尊は即大聖人の御当体にして本仏の仏界の生命を御顕示あそばされている。一方、凡夫である九界は仏界を具すと称しても、理性の妙法である故に、妙法の大御本尊を信受して、九界即仏界・事の一念三千の当体を事上に顕現しなければ、妙法の当体とならず即身成仏できない。
 抑が、寿量文底下種の妙法とは、人法体一だからこそ、事の一念三千なのである。
故に、総本山第六十五世日淳上人が、
「寿量品の指標し玉ふ御本尊が法の御本尊であられるが故に大本尊を離れて法御本尊を立て、大聖人の御正意となす者がありますが( 中略) 人を離れた法はないのでありまして、若しそれを立てれば理の法相に他ならぬのであります。それはまた天台の理の一念三千であります。事の一念三千は事相に於て成り立つのであります。故に人の仏が必ずあらせられるのであります。
(中略)いま事の一念三千と申しますと必らず仏の躰がなくてはなりません。( 中略)それ故報身中の三身を立てるといふことが大事大切になるのであります。久遠本有の妙法蓮華経は大聖人の具有し玉ふところであります。大聖人はその御境界を観心の本尊として建立し玉ふたのであります。くれぐれも此の報身を離れた妙法を以て御本尊と考へてはならないのであります。
 以上申述べましたやうに寿量品に指標し玉ふ御本尊は久遠元初の自受用無作の三身の南無妙法蓮華経の如来でありまして本因妙、下種益、事の一念三千の御当体にましますのであります」
( 淳全八八五頁)

 したがって、与えて云っても池田創価教のいう御本尊根本は大聖人の心外に法を立てる限り、理の一念三千である。奪って云えば外道義そのものである。
日蓮大聖人は『一生成仏抄』に、
「都(すべ)て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し」( 全集三八三頁)
と仰せである。

 故に、大聖人の己心から遊離した妙法では、成仏ができないのである。
その意味で、池田氏が聖教新聞に、日寛上人の『文段集』を引用し、
( 全集三八三頁)
「『我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即一念三千の本尊、蓮祖聖人なり』( 観心本尊抄文段)われわれほど、御本尊を『信受』している者はない。妙法を自行化他にわたって『唱えて』いる者はない。そして日寛上人は、強信の人の身は、そのまま『一念三千の御本尊』であり、『蓮祖聖人』すなわち日蓮大聖人と顕れると仰せである」
(H 四・二・二九日付)

といっているのは、有名無実であることがわかる。当初より事の一念三千の当体ではない、いわゆる御本尊根本は存在する基盤を失うのである。

(改訂版『池田創価宗を破す手引』平成5年3月発行)




【文証】
池田名誉会長発言
平成5年5月3日 「創価学会の日」記念勤行会
「大聖人の仏法の真髄である「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。」(池田大作全集 第82巻)




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