池田家についての言行の不可解

 創価学会の組織では、「池田先生の自宅は借家」「質素な暮らしをしている」などということがふれまわれてきたが、実際にはいかがなのであろうか。以下を参考にしてみましょう。

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 また池田は金に対して身を慎しんでいると宣伝してきた。彼の年間所得は昭和四十九年の一億三千五百三十三万円をピークにその後はほぼ漸減し、五十四年には三千四百五十万円へと下がったと届けられている。池田の家は創価学会本部近くの東京・信濃町の一等地にあり、四十一年三月、家・土地ともに創価学会が播磨造船所から買い、とっだものを、四十九年七月に池田に売却した形をとっている。池田は四十一年九月から、創価学会から同家を借りていたが、あらためて買いとったのである。敷地は四六二・八四平方メートル( 約百四十坪)、家は木造瓦葺きの二階建てで一階三三三平方メートル、二階が一一一・一二平方メートルと、土地柄からいえば頭抜けた豪邸である。
 内部文書をたどると、この家を池田は創価学会から時価よりだいぶ低目に買ったとみられる。
 まず家を買う前、四十八年十月八日の記録では、池田はこういう。
「私は、月給十八万円ですよ。重労働者だ。家だって借り屋ですよ。(略)私は私有財産ゼロですよ。( 略)女房が言っていた。あなたが死んだら困まるからこの家だけでもなんと(か) 買ってくださらないかって。中西(注・総務の中西治雄) に相談したら、七千万円だという。とても、そんなの買える金がない。高くて買えないよ」(総本山で)
 この年の池田の年間所得は一億一千三百五十七万円であり、月割りにすれば九百四十六万円あまり、「月給十八万円」とは雲泥の開きがある。が、ここで重要なのは七千万円という家の価格である。
 ついで五十一年十一月三日の語録では、
「私(の)家だって、まだ十年月賦で五分の一しか払っていない。何もない、私は」
(第四回鳳友祭での挨拶)
 という。彼は四十九年七月に買っだのだから、このときまでに二年余り経過しており、ちょうど十年月賦、頭金なしの均等割りなら、「五分の一」にぴったり相当する。
ところが一月後の十二月九日、池田は原島宏治(公明党初代委員長) の十三回忌の席でこういう。
 「私も、ついこの間までは、借家です。それではまずいということで、いろんな原こう(稿)を書いておりますから、原こう書いているから今のうちになんとかしなくちやならないという、強い要請がありまして、十年ばかりで今払っている。二千七百万今残っていますけども、それが実態です」
 彼の言によれば、残り五分の四が二千七百万円である。ということは総額三千三百七十五万の家ということになる。四十八年時、七千万円の住宅をその後の値上がりや金利分があるにもかかわらず、池田は半値以下、十年賦で入手したことになろう(池田は『週刊朝日』昭和五十六年四月十日号で、彼の家は七千八百万円、銀行ローンで支払い、銀行には十年賦で返済し、期限前に返し終わったといった意味のことを述べているが、登記簿には銀行ローンの記載がなく、「財産といえば、この家一軒」のはずの彼は何を担保に銀行ローンを利用できたのだろうか、きわめて疑わしい話である)。
(「池田大作権力者の構造」講談社)


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この資料によると、池田会長の年収は、
「月給18万円」と言っていたが、昭和49年時点で、なんと
1億3千万円

銀行ローンで支払ったはずが、登記簿には銀行ローンの記載がなかったことがわかる。





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