狸祭り事件の顛末

 学会において今でも、正義 の行為と意義付けられる「狸祭り事件」。
 果たして、それは正しかったのか。以下の記事によると、それには大きなギャップがあることが明白に見えてくる。


人間革命に描写される事件の概要

「人間革命」第6巻に描かれる狸祭り事件。
 この中では、戦前、正宗の僧侶であった小笠原慈聞師が異流儀である神本仏迹論を唱え、宗門を苦しめ時の軍部と結託し、牧口会長を獄死にいたらしめたというもの。
 そこで、青年部は、昭和27年に大石寺で行われる宗旨建立七百年慶讃大法要に、小笠原師がやってくると確信し、同師を発見。詰問の上、謝罪文を書かせたというストーリーとなっている。


学会が主張したポイント
1.牧口会長を獄死させるに至った張本人
2.宗門の教義に異を唱える僧は獅子身中の虫

3.謝罪文を書かせること


事件をより詳しくみてみよう
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 四月二十八日、大石寺で宗旨建立七百年記念慶祝大法会が挙行された。その前日から戸田は創価学会員約四千名を引きつれ、大石寺に乗りこんでいた。彼は単に式典に参加するだけでなく、その場を創価学会の力を誇示し、日蓮正宗支配の橋頭堡にしようと計画し、「狸祭り」といわれる暴力事件を敢行した。
 狸とは日蓮正宗の老僧・小笠原慈聞をさした。
 小笠原は戦時中、日蓮正宗の身延への合同を策し、神本仏迹論(神が本体で仏はその影) を唱えていた。戸田は創価教育学会弾圧の発端は彼が作ったとし、その責任を問う形で彼をデモンストレーションの犠牲に供した。
 大法会に先立つ三月二日、戸田は青年部に小笠原糾弾を指示し、池田を含めて青年部幹部はその実行手筈を打ち合わせて行動部隊四十七人を選び、プラカード等を用意した。
 二十七日夜、行動部隊は大石寺内の僧坊をまわって小笠原を探し歩き、彼を寂日坊に見つけて謝罪を要求した。が、小笠原は反論して埒があかず、竜部隊は業をにやして彼をかつぎあげ、「いよいよ外え出んとした時池田君の知らせで戸田」(『聖教新聞』昭和二十七年五月十日) も寂日坊にかけつけだ。
 事件後、小笠原が発表した手記『創価学会長戸田城聖己下団員暴行事件の顛末』によると、戸田は。生意気いうな” と小笠原の左耳の上と右横頭を強打し、行動部隊の多数も殴る蹴るの暴行を働き、彼の衣を脱がせてシャツ一枚にしたという。
 その後行動部隊は小笠原をかつぎあげ、筆頭理事・和泉覚の指揮で喊声をあげつつ、寺内の牧口常三郎の墓まで彼を運びこんだ。ここで小笠原を再び責めたてたあげく、用意した案文通りの謝罪文を彼に書かせた。この間、地元の消防団や村民が騒ぎを聞きつけて詰めがけ、暗夜の墓地で乱闘が始まり、墓石が倒れ、けが人が出た。
 戸田はその夜からただちに事件の収拾工作を行ったが、小笠原をまるめこむことはできず、小笠原は全国の日蓮正宗の末寺に創価学会を告発するパンフレットを送り、同会に牛耳られた総本山管長を告訴した。また警察も動き、戸田や和泉覚は勾留、取り調べを受けた。日蓮正宗側も事件を重視し、その宗会は、戸田の謝罪文提出、大講頭罷免、登山停止を全会一致で決議した。
(『池田大作権力者の構造』講談社)

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事件の問題点
1.大御本尊まします境内で事件を引き起こした
2.一人の無抵抗の老僧を問答無用の詰問
3.77才の老僧を担ぎ上げ石畳、階段、急坂を500m近くも練り歩く危険行為
4.謝罪文の強要

学会はこの事件を正義の行為と意義付け





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