昭和44年

1969.1.7
妙信講 700名登山(S39.8.19以後)
1969.1.22
第20回社長会〔於留園〕 池田発言
◎皆んなは公私混同、公私混同と云うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ。
◎折伏、2、3月で大B3で、700万世帯に少したりない。その分は東京、関西でやろう。大B3といえば大B3しかやらない。学会も官僚的になって来たな。しかし仕方がないな。昔はよしと自分自身で目標を決めて戰ったが、今はそういうわけには行かないな。
◎次回は伊勢丹上のフランス料理。担当、創造社で、宮川君と栄光建設を入れて、学園と潮はこの次は出席しない。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.2.18
宗務院×妙信講(法道院において)
阿部教学部長 「猊下は正本堂を事の戒壇と述べられていない」
1969.2.19
第21回社長会〔於プチモンド〕 池田発言
◎杉本君はぱかに痩せている。生気がない。大社長になるとの一念を燃やせ、信心の一念が一番強い。東大の総長を100人集めたよりも。信心の方がずっと強いよ。病気、肺病か。皆んな病気と云えば、皆んな病気だよ。負けるな。肺病を直すのは護符を頂き、夫婦生活をやめて、11時以内に帰る。直るよ。やりすぎだ。
◎小島さんなんか記録をとる必要はない。書くな。一生懸命聞きなさい。あんただけ、まだ別のようだ。衆議院なんかへ立候補して腹が黒くなった。わかるよ。あんたなんかここに参加する資格がないんだよ。
◎「科学と宗教」はどうだ。いい名前だな。息の長い潮新書になるな。ロングセラーだな。あれも最初、森田康夫と二人でやった。三年かかった。森田が途中でやれなくてやめてしまい、苦労した。やっぱり東大出は駄目だ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.3.8
妙信講の正本堂御供養を正式受理
S40.10.7に拒否されていた正本堂御供養を宗務院は正式受理
1969.3.16
広布流布大願成就祈念勤行会開始
1969.3.19
第22回社長会〔於つくし〕 池田発言
◎人材を作るのは秋霜だ。ぱっと見抜いて指導し切るのが指導者だ。永井(山梨事務長、女性問題)の問題の相手に会いながら、気がつかないのは後手だ。
◎今度羽吹さんに葬儀屋をやらせる。白蓮社を作ってやらせる。仏壇も一諸にやらせる。もう、死んだ時だけ邪宗に頼む必要はないよ。こっちでやろう。
◎信心即折伏であるが、その時によって大事なものがある。今は何か、今は文筆家が大事だ。文筆家がどれだけいるかどうかがこれからの鍵だな。議員は沢山いるが、文筆家はいない。仕方がないから、私が小便から血の出る様な思いをして書いている。
◎あとは、結婚式場は第5の前に博文会館を作って式場をしよう。四階建て位で、一角に主婦同盟を置いてやる。篠原さん御夫婦の部屋も作って下さい。原案を次回提出して下さい。五反田会館も結婚式場になるようにしよう。関西の公明も考えよう。今も、どの会館も式場に使っていいんだよ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.4
目的は天下取り
天下を盗ろう、それまでがんばろう。今まで諸君を困らせたり、学会をなめ、いじめてきた連中に挑戦して、最後に天下を盗って、今までよくも私をいじめたか、弱い者をいじめたか、ということを天下に宣言しようではないか。それまで戦おう」(前進4月号)
1969.4.17 
第23回社長会[柳光亭] 池田発言
◎今月も元気に集まれて嬉しい。来月は5日、松野茶屋(箱根)でやろう。鳳担一当でやろう。
◎これから中川君の応援にいってきますよ。中川だからいく。9年前初めてアメリカに行ったとき、カナダのトロント空港で、たった1人腹の大きい婦人が迎えてくれた。それが中川の妹だった。忘れないよ。中川をアメリカにやり、呼びよせ、立候補させたのも全部私の操作なんだよ。私は恐ろしい男だよ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.5.3
日蓮聖人展
「今回の日蓮聖人展が、国民大衆に大いなる啓もうの役を果たしていただきたく、深く期待している次第であります。・・日蓮正宗大石寺では、今回の聖人展に、七百年来の伝統を破って門外不出の御書数点を出品されました。大事な「秘すべし秘すべし」の法門も、今日広布流布の時代を迎えて、いよいよ山外に出る事になったわけです・・・」『中外日報』辻武寿
1969.5.5
第24回社長会〔於松野茶屋〕 池田発言
◎素晴しい新緑で、今日は最高だ。本山の工事も着々と進んで順調だな。とにかく正本堂を作って大学を作って、高校を作って、政党を作った人なんかいないよ。どの一つだけでもたいしたものなんだからな。
◎(念珠の状況報告)。出来るだけ早くやりなさい。木製とプラスチック、将来はプラスチックになってゆくだろう。3種類位にしぽって、あまり高くないものを作りなさい。一手に買い取り、卸せぱ良い。もう内の人達が使うもので、外部に儲けさせる事はない。線香もローソクも東洋精光でやんなさい。正本堂のみやげものも作れ、とにかく作るものは全部東洋にやらせる。仏壇もプラスチックで出来るだろう。良い人をふやして、幹部は次の仕事の手をどんどんうって行きなさい。
◎プラスチックの念珠を考える。線香もローソクも、これから何十年も何百年も絶対にへらないから、そう云う部門を作って、研究部門を作って、幹部が考えて行け。しきみの造花もやれ、赤沢の80円は安いな。一応赤沢を呼んでしきみ造花は赤沢と東洋精光にやらせると契約書を作りなさい。一社にすると変なことをするから。
  (社長会全記録 継命新聞社)
1969.5.12
妙信講 日蓮聖人展出展中止訴え
妙信講は宗務院、学会へ日興上人御影出展中止を訴える。 5/18、5/21、6/18にも再度訴えた
1969.5.31
池田氏 公明の審議反発を抑え自民に軟化姿勢とる
1969.6.1
臨時社長会〔満月開店記念〕 池田発言
◎株は私はやらない。私が金を使うのは按摩代だけ。家の費用は全部で20万、家賃は5万できちんとやって行く、それだけだ。著作権、原稿料等全部集めれば松下幸之助級だろうな。しかし妙法の功徳は厳然としているよ。戸田先生の時代に、26、7歳の時、3年かかってかせいだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で200万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金をかえしたが、戸田先生は少しも有難とうなんて云わない。又、寺内さんが戸田先生の留守を一生懸命守って来たが、先生は帰るなり、私が帰ってきたんだから私が指揮をとると、バリバリやり出した。本当に先生に仕える事はむつかしい事だった。金は払わない、こき使う、どなりつける、これではついてこないよ。
◎私は小切手1枚切らない。金庫もない。それは金と権力を結びつけてはならないからだ。
◎今度の「潮」はまずい。私と黒柳と有島が同じ様に載っている、おかしい。私の場合は私だけにして下さい。今度は大失敗だ。公平という面でもまずい。罰金、社長池田500、志村300。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.6.9
第25回社長会 〔於伊豆長岡・三養荘〕 池田発言
◎横松も眠そうな顔をしているな。君のところも大事な砦だからな。人に認められ様がどうであろうが、守り切ってゆけ。俺はこんなにやっていると思っただけで、もう敵に乗ぜられている。本当にやっている人は何も云わない。篠原さんや北条さんや中西君も何も云わないよ。本当に真剣にやっている人はわかるよ。警備の中では竹入君だな。真剣勝負で生命をかけている。藤原や渡部も真剣にやる。戸田先生のもとで真剣勝負で育てられた者だからな。
◎日大は定員の4倍を募集して、80億かせぐ。早稲田は1.5倍で良心的。創価大学は1.1~1.2倍位でゆく。創価高校出身者200名で、外部より300名。試験は初年度4学科。2年度より6学科とする。創価高校出身は内申書に推薦書をつけるが、同じ様に受験する。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.6.22
新学生同盟結成
この年、 学生部に新学生同盟が結成。池田のヘルメットを被り出陣。昭和55年に解散
1969.7.13
練馬区投票所襲撃事件 東京都議会議員選挙
東京・練馬区の選挙投票所(豊玉第2小)において、投票終了時間後に訪れた2人が投票できなかったことを理由に、市川雄一(元・参謀室長、元公明党書記長・代議士)を首謀者に百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人4人に集団暴行を加えて流血させた事件。
1969.7.21
第26回社長会 〔於三崎会館〕 池田発言
◎共産党も葬儀屋をやっている。うちもあらゆる分野に根を張らなければならない。葬祭関係一羽吹。清瀬の病院、山川、白木。又病院の中に菅原えい子も最近入って、敵の情報を全部つかんで闘った。羽吹さんも火葬場等も大事にして行きなさいよ。
◎永生きしてもらいたい人は体が弱い。死んだ方が良い奴は仲々死なない。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.8.15
第27回社長会 (於松山) 池田発言
◎原爆は残虐だ。キリスト教はよくない。憎しみの宗教だ。
◎ここは創価学会の最高会議だ。
◎歌舞伎はどうも面倒くさいな。どうして女がやらないのかわからない。最初はどうしても男と思えなくて、大きな声を出して女房に叱られた。戸田先生もあまり好きではない。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.8.21
世界連邦身延大会に公明党参加申込み
(仏教各宗派、神道、キリスト教等の代表が身延に集まる集会)
1969.9.8
第28回社長会〔於ホテル大倉〕 池田発言
◎第三文明展、出品作をー社10万円位で購入しなさい。東洋も買いなさい。
◎12月は吉兆でやる。皆、身体は達者で行こう。身体が達者なら、頭も達者な訳だ。
◎来年は小豆島に行きたいな。びわ湖は海水浴には適していない。淡路島が最適、ぴわ湖にはボートを置こう、聖教丸。来年9月の社長会は霧島へ行こう。幹事は八矢と星野、おしきみを持ってこよう。誰かピストルをもって行かないと危いかな。熊が出たり、いのししが温泉の池に入りに来る。起工式が終わった後が良いな。
(社長会全記録 継命新聞社)
 
創価学会の銀行預金高
三菱銀行220億円、三菱信託銀行50億円、富士銀行60億円など総額553億円に上ると推定(44年9月末現在、某有力銀行『宗教法人の預金調べ』、木谷八士『疑惑のなかの公明党』)
1969.10.10
第29回社長会〔於松野茶屋〕 池田発言
◎御念珠が出来たか、よかった。これがこちらで出来たんだね。使い易い、良い。少 し玉が不揃いだが良い。いくらで出来る、100円か、一般に売っている200円、180円の物と同じか。卸はその7掛で男140円、女130円でどうか。最初の5,000連は私が買う。箱を少し良い物を使って、20円位の物で、男・女、大きさを異えて、金箔押しで「御念珠 創価学会」といれて呉れ、男・女共170円で納めてほしい。本部関係は、これからその値段にしなさい。次の5,000連は博文堂にお願いしなさい。京都の業界がさわいだら、贈呈用の物をどうしてもたりなくてやっていると云って、あまり刺激をあたえない様に当分やろう。
◎今迄、謗法の作ったものを使っているのは、おかしい。もう十分儲けさせてやったよ。もういいよ。こちらで使う物は和合僧の集団が潤う様にしてゆこう。一連50円の儲けとしても、10年間に1,000万本としても5億だ。
◎来年、ハワイ行きを実行してやりたい。今迄闘った人を行かせてやりたい。一機チャーターで行かせよう。それ以外の海外渡航者で富士トラベルを応援しよう。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.10.12
正本堂定礎式
1969.11.10
藤原弘達『創価学会を斬る』を発刊
 
池田会長「学会を大きくしてがっちり固めたら、いよいよオレは政界入りする。その時には公明党委員長じゃなく公明党総裁に変えてやろうじゃないか」語る。
1969.11.23
第30回社長会〔於芝・松山〕 池田発言
◎東洋物産の事も又考えてやるよ。お山の街頭写真も私のアイデアだよ。皆、頭を使わない。独創性が無い。脳の栄養をとらなければ駄目かな。先天性ですかね。 ◎世の中で一番悪い奴は評論家だな。
◎私のきらいなものは、鯛、貝、ひかりもの、これは、前にあたってジンマシンになってから駄目。山梨の富士ビュッフェ、昔の庄屋をそのまま食堂にしたもので、1回連れていってやりたい。あそこでは鯛も食べた。肉も旨い。結局、おいしいものは食べられるよ。
◎正本堂建立の時、いろいろの美術品をあげよう。篠原さんに印籠をあげよう。印籠は薬入れと同時に印鑑であった。1つ48万円だよ。篠原さんと中西君、それに北条さんに印籠をあげる。八矢、横松に刀を上げる。
(社長会全記録 継命新聞社)
1969.12.13
NHKに出演した共産党・松本善明が藤原弘達、内藤國夫氏の著書に対する出版妨害を創価学会、公明党が行っていると告発。

言論出版妨害事件
藤原弘達氏 著書「創価学会を斬る」の出版をめぐって学会がそれを妨害した事件が起こり国会でも論争を呼ぶ。 藤原弘達氏へ直接交渉にあたった藤原行正氏、秋谷栄之助氏がその内容をテープに隠し撮りされる。また、全国の会員に非難の手紙を書かせ送りつける嫌がらせ行為を行う。また、潮出版幹部・池田克也から大手取次ぎ各社、大手書店に圧力を与える。さらに、公明党・竹入から田中角栄幹事長に事態収拾を依頼する。   藤原氏と田中氏の交渉の場である赤坂の料亭で、池田会長と竹入委員長が盗み聞きしていたところを仲居さんに目撃され、サンケイ新聞記者の俵孝太郎に公表される。 「創価学会を斬る」はこのような、問題が世間に大きな話題となったことで結果的に100万部を超える大ベストセラーとなる。

この事件を受け、国会では池田大作氏の喚問を動議。それを阻止するため、公明国会議員が連日、与野党の議員を赤坂のクラブ「石丸」などに接待漬けに没頭する。

➡言論妨害事件について池田会長は日経新聞に連載の「私の履歴書」の中で、自ら指示して起きたことを隠し しらじらしいウソを掲載。 「私が一歩引いたときに極めて予想外のところから事件がおきてきた、これが言論問題である。私は、事の真相が初めわからなかった。よくよくその本質を追求していったときに、これは創価学会の体質かかわることであることを知った」
1969.12.27
公明 衆院選で47議席、第三党に
東京八区・中川嘉美を支援する活動家が「対立候補者・山田久就が脳溢血で死んだ」とデマを流し虚偽事項公表罪で逮捕。

昭和45年

1970.1.5
副会長制設置。北条浩、森田一哉、秋谷栄之助が就任
1970.1.27
第31回社長会〔於いろは〕 池田発言
◎大学教授の給料は今迄の1.5倍位にしよう。白亜の殿堂が大ゆれにゆれて、その後で本当の白亜の殿堂が出来るんだね。最高の教育をしましょう。最初は少人数で、核をかためながらゆきましょう。
◎弘達の問題等、世間ではたいして問題にしていないよ。しかし、国会があるから慎重にしょう。だいたい(共)は暴力革命だよ。社会党も駄目だ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.1.28
会員世帯数750万世帯に
1970.2.3
反創価・公明集会に3000人
「公明党・創価学会の妨害に反対する、言論・出版の自由に関する大集会」には3千人が集まった。全国各地でも、言論・出版の自由を守る懇談会が結成
1970.2.9 
著名作家 言論問題で出版に影響
五木寛之、生島治郎、戸川昌子、野坂昭如ら著名作家七人は「出版妨害問題が解決するまで、創価学会系とみられる出版物、雑誌に取材・執筆を自発的にさし控える」旨コメント。
1970.2.27
第32回社長会〔於箱根研修所〕 池田発言
◎今度の事件で、とにかく日本中に浸透した。有名になった。本当は政教分離どころか、政教一致で私が指揮をとりたいよ、ほっておけない。竹入、矢野はよく頑張っている。
◎たいした妨害ではないよ。どこでもやっている事だよ。銀行など大変だよ。
◎新聞記者はどんな時でも味方にしなければならない。
◎この1年半位で、社長20万、部長級15万以上にする様頑張ろう。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.2.28 
塚本三郎(民社) 池田氏を証人喚問要求
1970.3.3 
共産党・谷口善太郎議員、国立戒壇等について質問
1970.3.17 
社・共・民の有志議員「出版妨害問題真相究明議員集会」開く
1970.3.25 
妙信講 「正本堂につき宗務御当局に糾し訴う」を送る。
1970.2.29 
第33回社長会 〔於箱根研修所〕 池田発言
◎民音も、書籍も、うんと少なくして、喜んで信心出来る様にしよう。聖教新聞の多部数も減らそう。又、公明に切りかえても良い。班長、地区部長で5部以上の人は減らしてもよいと打出しなさい。聖教が50万位減るだろう。公明も100万になるだろう。だが良い。少しでも無理をなくしてゆこう。
◎これはここだけの話だが、講演の最後に「高等部の中から第4代会長が1日も早く出現する事を望む」と話す。そして出来れば次の日緊急理事会を開いて、パッと切り換える。第四代会長をたてる。どうだろう。(全員反対)
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.4.3 
浅井親子を本山に呼び御指南
「国立戒壇は当然、正本堂は御遺命の戒壇ならず、これこそ宗門の伝統法義。聖人展の時も率直に言ってくれたのは妙信講である。妙信講こそ私を守ってくれる講中である」
1970.4.8 
共産党・谷口善太郎議員 国立戒壇の違憲性について質問主意書を政府に提出
1970.4.9
政府 「国立戒壇の意義」について学会に照会する。
1970.4.16 
常泉寺に浅井親子を呼び御指南
谷口氏の質問主意書を見せ 「国立戒壇を言えば宗門はつぶされる。国立戒壇と言わないでほしい」 妙信講反論説得。猊下学会説得を約束。
1970.4.17 
猊下 浅井昭衛に電話
1.日蓮正宗を国教にしない。 2.国立戒壇といわない。 3.正本堂を最終の事の戒壇とする。 4.今や広布流布、故に事の戒壇が立つ。 以上を5月3日に発表する。こうしなければ宗門を統率できないと御指南。 妙信講反論。
1970.4.19 
猊下 浅井昭衛に電話
4.17の内容の内「国立戒壇といわない」ことだけは宣言しなければならないと御指南。 妙信講不承知。
1970.4.18 
赤坂芸者との関係記事掲載
4/18号・週刊新潮は池田と赤坂芸者との関係を掲載。 これに対し、学会側は告訴の動きを見せたが、新潮側が「それなら国会議員の女性との問題を取り上げる」と反撃したため告訴を断念。
1970.4.22 
宗門 臨時局懇談会開催
1970.4.23 
政府へ解答
1.本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となった時、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。
2.既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行われており、昭和47年10月12日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
3.一時、本門戒壇を「国立戒壇」と呼称したことがあったが、本意は1で述べた通りである。建立の当時者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である」(内閣衆質63第五号)
1970.4.24 
浅井昭衛 法道院に森田副会長を呼ぶ
「5月3日の総会に猊下に正本堂を事の戒壇といわせないよう」 森田副会長これを約束
1970.5.3 
池田会長言論出版妨害事件について釈明 第33回本部総会 (日大講堂)
「今度の問題は『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害という陰湿な意図はまったくなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申しわけなく、残念でなりません」 その後「どうですか、私が辞めてよろしいと思う人?手を挙げてください」

日達猊下 本部総会において今後、国立戒壇の名称を使わないようご指南 「国立戒壇の名称は布教の邪魔。本門戒壇安置の所は事の戒壇。正本堂は事の戒壇」

【学会と公明党の関係】
 私としては、公明党結成のことを発表した昭和三十九年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発を目指しておきました。 私自身、公明党の会合には一度も出ておりません。三十九年の結党大会にも出ていません。  また四十年七月に「宗教政党」という理念を述べましたが、ここでも「理念においては一体であるが、体制・機能においては別である」むねを前提として、そう申し上げたのであります。  これは、学会と公明党は「一体不二」であるという言葉を使ったので、 一部に誤解した受け取り方をされておりますが、よく読んでいただければわかるように、民衆の幸福と平和を願う理念。理想が同じであるという意味であって、体制・機能の面までも「一体不二」ということは決していっておりません。 「また、学会は、公明党の支持団体ということになります。当然、学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は、日蓮大聖人の仏法、三大秘法の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、全く干渉するものではありません。」
1970.5.5 
第34回社長会〔於箱根研修所〕 池田発言
◎竹入に今迄以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか。
◎会長交代の時期、検討 宗教法人法を改定し、出来れば7月3日、遅くも10月13日に交代して、名誉会長に就任していただく。本当は正本堂建立迄、この儘でいて頂きたいが、とにかく、今は御身体が健康になられるのが第一だ。又、将来健康になられたら、公選で再び会長に就任していただく。この含みで、後任も北条か秋谷が良いか、先生の御考えによる。先生のお子さんに会長をやめる話をしたら、後継ぎがいるならば賛成、勿論奥さんも大賛成だ。我々も、もうこの線で考えてゆくのが弟子の道だ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.5.16 
池田氏 政教分離を認める
1970.5.31 
第13回寺族同心会
5月3日創価学会の本部総会が行われました。その席で今日以後、私の方、日蓮正宗では国立戒壇という名称は使わないという事を私は申しました。・・・国立戒壇という名前を使わなかったといっても、決して三大秘法の戒壇の御文、あるいは一期弘法抄の戒壇の御文に少しもそれを否定したり謗ったり、あるいは不敬になる様な事は少しもないのでございます。・・・三大秘法・一期弘法抄にいう処の戒壇は理想の大戒壇である。それは望ましい戒壇である・・・」
1970.7
最高権力者になることが目的
「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」(『現代』昭和45年7月号)
1970.6.9 
公明党新綱領  王仏冥合の文字消える
1970.6.11 
学会、妙信講 猊下にお目通り
森田副会長、今後は正本堂を御遺命の戒壇とはいわない旨、誓う。 確認書は拒否。6.16、6.30、7.23 確認書をめぐり論判
1970.6.18 
第35回社長会〔於箱根・松野茶屋〕 池田発言
◎木村、病気はどうか、心配ないか。
◎正本堂関係の記念品、1人200円としても18億だ。出来るだけ関連会社で手掛けたい。よそに儲けさせる事はない。皆考えなさい。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.6.25 
公明党大会『政教分離』を決定
1970.7.24 
第36回社長会[於三崎会館] 池田発言
◎皆が遊んでいる時間に、又朝も晩も勤行をしなければならない。大変だと思う事があるかも知れない。又、信心にしぱられて、狹いように思うかもしれない。世間の人の方が自由の様に見えるかも知れないが、それは反対だ。信心位、深く広いものはない。勤行が時間の関係で出来ない事もあるが、どうか一生、信心だけは続けていって下さい。
◎来月は松野茶屋にしましょう。鳳書院担当だな。香港で社長会をやろうよ。
◎さあ、アーチェリー(洋弓)をやろう。それから城ヶ島に行こう。矢がはずれたら罰金1,000円だ。高松さんと島津さん、いいね。篠原さんは、当たったら1,000円だ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.8.4 
聖教新聞社説に「正本堂を本門戒壇」と掲載
1970.8.6 
妙信講 聖教の違約に対して、文書にて批判。確認書請求。
1970.8.19 
妙信講 学会に面談
違約を責め確認書要求。作成誓う。
1970.9.10 
第37回社長会〔於いろは〕 池田発言
◎東洋物産の大B楯決めたよ。あれならば立派だ。150増やそうか、50増やそうか、50増やそう。助かるか、思い切って150増やそう。正本堂記念品も東洋にやらせよう。応援してあげなくちゃな、メダルもうんと作るが、これは東洋でやると派手になってしまうし、これは造幣局の仕事だな。白蓮社は順調で、結構と云うのか。何か愉快だな。
◎藤田君は、ちゃんとやっているか。東洋も楯がゆけば、かなり楽だな、息がつけるな。十周年金メダルはやってくれているな。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.9.11 
「正本堂を御遺命の戒壇といわない」
確認書に学会、妙信講署名。総監の手から猊下へ。
1970.9.29 
第38回社長会 〔於松野茶屋〕 池田発言
◎聖教も350万に増えた。思い切って多部数を削った。大英断だったな。これは上意下達だが、随分いい上意下達だな。学会の上意下達は、だいたい下の方がずっと得するね。配達員さんは喜んだね。あの(入仏式)あと、ホテルオークニで食べさせたからね。
◎社長会も正式な会として発足しよう。名前を決めよう。(金剛会、白雪会、雪山会等を見て)これがいい、金剛会がいい。
会則
第一条 本会は金剛会と称する。
第二条 会員相互の向上と親睦をはかり、相互扶助を目的とする。
第三条 池田大作先生を推戴し、会長とする。 これはやっぱり、ちょっとまずいから、内規の方で指名していただきたい。ここでは、会長を一名置く、としておきましょう。
第四条 会長の指名により、左の役員を置く。 幹事長 1 名 幹 事 若干名 監 事 1 名 最初の役員を決めましょう。幹事長は篠原さん、幹事は田中さんと八矢さん。監事は星生さん、としましょう。
第五条 役員の任期は二年とする。但し、再任を妨げない。
第六条 本会の管理運営は役員会が審議に当たり、すべて会長の決裁を必要とする。 これも、会員の2/3の賛成による、としておきましょう。あと、会員の推薦により、全員の2/3以上の賛成で会員となる事が出来る、等加えて正式に発足しましょう。署名捺印しましょう。
◎牧囗先生は教育で、戸田先生は出版等事業をやったが、失敗した。この会は私の作った会だからな、今にすごい会になるぞ。楽しみだね。
◎東洋物産はどうだ。150円は助かったろう。他の儲けは別にして、150円だけで大B楯の分でいくら儲かった。750万か、それはよかった。一声750万だから、いい上意下達だな。後は正本堂の大理石をどうするかだな。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.9.30 
第1回全国登山責任者会開催(本山)
「・・・総講頭職は受けたくなかった。しかし、猊下のたっての御命でありお受けした次第であります。41年春には辞表を奉呈しましたが猊下より・・再三にわたり・・。私も一日も早く一ヶ月おうち半月は総本山に滞在し会員ならび信徒と会い・・・総本山を守りたいとの念願を持っておる昨今でございます。終わりに「あな嬉し 永遠の故郷 大石寺」との一句・・・」 「日蓮大聖人亡きあとも、この精神は変わらず、二祖日興上人を慕って、多くの信徒が訪れ、日興上人にお目通りするとともに、信仰の根本の御本尊として、本門戒壇の大御本尊にお目通りした。」
【登山会の意義】
次に、登山会の意義について申し上げたい。私どもにとって、信仰の根本の対象は、いつまでもなく本門戒壇の大御本尊である。その大御本尊にお目通りすることが、登山会の最も大事な目的であり、意義である。
1970.10.8 
東京文化祭(国立競技場)
1970.10.12 
正本堂上棟式
1970.10.25 
妙信講 登山許される。(2千有余名)
1970.10.28 
第39回社長会 〔於箱根研修所〕 池田発言
◎勤行が合わない。私の側近が、勤行が出来ない様では情けない。もっと張りのある、ぴーんと張り切った勤行が出来なければ、広宜流布など出来ない。実業界の主導権などとれないよ。勤行も出来ない社長では部下を引張って行くことは出来ない。会社もうまくゆかないよ。しっかり勤行をしなさい。私のそぱにいるものがそんな勤行では駄目だ。心配だよ。
◎言論問題を誰が処理したか。総務以上の人達の責任だ。一生涯、罪の償いをやっても足りない位だ。師弟相対と云っているが、全部私が締くくった。議員など総退陣すべきであった。
◎幹部で焼餅を焼くやつがいる。(会長をおだてて、のせて喜ぶやつ)そんな者は承知だよ。のったふりをするよ。しかし、それが敵だ。だから油断は出来ない。
◎外郭団体と本部役員を含めて、23万人位社員が学会の為に働く様にならなければ、広宣流布は出来ない。
◎学会のノーベル賞を出そう。その基金は一億円。国内、国外とやろう。選考には、最高幹部でない篠原さん等を出そう。第一回は篠原さんにしよう。3月16日にやる。
◎戸田先生が経済グループを作った。あれは迹門だ。金剛会は本門だよ。どう発展していくか楽しみだ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.11.19 
第40回社長会〔於ホテルオータニ〕 池田発言
◎羽吹さん、天婦羅屋と結婚式場を考えなさい。
◎皆んなが助かるもので、必要なものはやらねばならぬ。職員、社員で互助会をやろう。4,000人でやるラインを考えなさい。研究課題にしよう。若いものは結婚資金、年配者は葬祭の方で入れる。
◎あまり公では云えないが、そのうちに日本一の美術館を作りますからね、待っていろよ。もう内に入れるものは、皆んな揃えた。 25点? になった。日本一だよ。5年位たったら判るよ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.11.22 
第41回社長会 〔於天満寿〕 池田発言
◎社長会は戸田先生のかたきを打つ。経済界だ、財界の集まりだ、月給20万以上だ。
◎年末に各小学校に図書を寄付します。これを世紀書房より購入します。賞与も全部はたいて寄付をする。八年前にもやった。誰も知らないが、着々と社会に根をはってきた。
(社長会全記録 継命新聞社)
1970.12.28 
第42回社長会 〔於小島宅〕 池田発言
◎今迄は学会は質素で来たが、これからは反対だ。経済人はこれ位の家に住む様になろう。仲々いい家だな。
◎金剛会に参加する事は一大名誉であり。どれ程栄えるかわからない。メンバーは推薦して、8社で検討する。
◎今度、ヨーロッパに画家を送った。正本堂の壁画のメンバー1人1,000万かかる。今日帰って来た。一億や二億すぐかかる。
◎正式会員を決め、発会式をやろう。権威を持たせる意味で出席しよう。広布の経済活動をになう。将来は財務制度は廃止する。
(社長会全記録 継命新聞社)

昭和46年

1971.1.15
第一回教学部大会(聖教新聞社)  教学部師範10名が任命
1971.1.19
第43回社長会〔於松野茶屋〕 池田発言
◎土曜随想を読んでいない人は罰金、田中、木村、杉本。
◎大学は500億になってしまいました。総会で一度云ったら、その通りになった。うっかり冗談も云えない。
◎総坊裏に売店を増設する。20軒位作る。その中に本屋を1軒、合資会社でやりましょう。社長会のメンバーの個人出資と云う形で、誰がやっているかわからない様な顔でやる。10月12日に発足しよう。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.1.26
第44回社長会〔於羽吹宅〕 池田発言
◎栄光、アパートじゃ仕様がないから買ってやる。3,000万。
◎大阪新聞の原稿料80万になるか、僕の所に入るな。ってやる。3,000万。
◎正本堂の御供養。5年間であれだけ。10年間はあの倍。あの発表の外に100億はやった。又、かせぐよ。
(社長会全記録 継命新聞社)

正本堂で集めた本当の金額
正本堂御供養は355億円以外に100億円集めていたことを明かす。
1971.2.3
聖教新聞 人間革命執筆につき池田氏コメント
「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方々にご協力を戴く。……特に、私を激励してくれたS氏に至っては、資料の収集は勿論のこと、文体の運び方、文章の調子、結構の仕組みまでご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う。」 S氏とはゴーストライターで学会幹部・篠原善太郎のこと
1971.2.16
「来年は本門戒壇が建立される」聖教新聞
1971.2.16
第45回社長会〔於北海道・いく代〕 池田発言
◎病院を作る。信濃クラブを診療所にし、第5本部の前に病院を作る。阿部病院、特別室を作る。本当に闘って倒れても安心が出来る。本部のそぱに歯医者をやります。千駄ヶ谷に外部の人が泊れる所を作る。
◎出版、製本が儲かるぞ。皆んな書く、何でも良い。悪口でも何でも良い。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.3.10
第一回 金剛会総会 (社長会を発展させたグループ)
東西哲学書院、日本図書輸送、創造社、ひさご印刷、鳳書院、東洋物産、栄光建設、白蓮社の合計八社 「いままで言えなかったが、本当は違うんだよ。外郭が源氏で、創価学会本部や聖教新聞は平家でいつかは滅びる。源氏がやがてリードする時がくる。」昭和四十六年三月十日 池田発言
1971.4.2
創価大学設立
開学当時は経済学部・法学部・文学部
1971.4.13
第46回社長会〔於東海研修所〕 池田発言
◎古い信心の人で幹部に向かない人は参与にし、本部に自由に出入り出来るようにする。参与室を各本部に作って、統監をやったり、本部長の相談によったりさせないとだめだ。
◎原稿2枚半を10分で書けるようになった。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.4.28
昭和新定日蓮大聖人御書第3巻刊
1971.5.1
第47回社長会〔於東海研修所〕 池田発言
◎民音も来年になれば世界的になる。姉小路さんもにこやかになさい。
◎創造とは発見だな。創価学会ガイドブックがすごい売れ行きだ、あれもアイデアだ。100円は安い、普通は200円位だ。 500万部売れて、100円で丁度良い勘定だ。1000万部売りたい。
◎松下幸之助も身体が弱くなってきた。女房と二人で、そおっと御本尊様に祈っていた。
◎北海道 絵葉書6万枚売った、うまいことをした。来年は栞を5枚1組で50円位で売る。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.5.3
第一回全国未来会
1971.5.30
第48回社長会〔於篠原宅〕 池田発言
◎東洋物産は仕事はあるか? 順調にいっているか? メダルは注文がいっているか? 儲けなさいよ。
◎株は儲けた、儲けたと思うが、売ると手数料を取られてへってしまう、前祝だなんてやって、えらい目にあう。
◎羽吹さん仕事熱心だ、自分の仕事に誇りをもっている、良いね。今月はどうか。暖かくなって件数はへりましたが、有島さんのお姉さんの葬式が青山で行われ、230万でやったので今迄で最高か。有島は名門なんだね。
◎議員が宗教と結託するのは違反だ。今迄が大変だった。もうここ迄きたら公明党が働くのは当然だ、何時までも学会におぷさっていてはいけないよ。政教分離しなければ10年間大論争しなければならない。大変な事になった。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.6.3
第49回社長会 〔於文化7階和室〕 池田発言
◎葬儀場を作る。日蓮正宗で1つ作る、もう1つ白蓮社で作って賃貸しよう。
◎中共貿易もどんどんやらねばならぬ。
◎東洋物産、頑張れ。
◎日蓮大聖人は哲学者だ。だから身延から動かれなかった。哲学者は動かない。だから私も動かない。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.6.27
参院選10名当選
1971.7.8
第50回社長会〔於八矢宅〕 池田発言
◎中共貿易が始まる。金剛会ものり出そう。
◎竹入は一番忠誠である。矢野など問題でない。言論問題の時、竹入でなければあそこ迄頑張らなかったでしょう。
◎公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ。
◎学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ。
◎S28年で戸田先生の時代の基礎が出来、30年頃から後に託す事を考えられた。石田次男を後継ぎにしようとしたがうまく行かず、後の二年間は完全にはずれた。
◎板垣退助は政党を作り、福沢諭吉は学校を作っただけで有名人になった。私は全部やった。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.7.27
第51回社長会〔於松野茶屋〕 池田発言
◎「今、私が考えているのは「師弟不二」だ。先生は日本、私達はアメリカで、世界は1つと考えなければ「師弟不二」にならない。ポスト正本堂は世界の池田先生とするしかない」
◎水滸会の誰人も考えない事を、戸田先生のお考え通り、大聖人の通りに考えたのは私1人だ。誰人もいない。折伏の事も、又学会の運営も、私1人だった。
◎中国貿易は、これは大変なことだ、東洋物産しっかり題目上げよ、篠原さんの大変な構想だ。うまくいったらすごい事だ。中国貿易がうまくいけば、木村(ぼくそん)さんだな、しっかり題目を上げなさい。
◎正本堂の350億の半分を、私が猊下から頂きましたが、それも使わず、利息も使わずにやってきた。私もほんとにお人好だ。
◎栄光建設報告。妙蓮寺、富士宮センター、図書館、風俗館等全部で5千万位儲かるか、しっかりやんなさい。
◎65万坪、文京区位あるんだから独立国を作ろうか。創価王国を作ろうか。帷幕の内に謀りごとをめぐらそう、ゆっくりやろう。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.7.29
「仏教三千年史上で未曾有の大偉業である正本堂が建立される」聖教新聞
1971.9.3
第52回社長会〔於松野茶屋〕 池田発言
◎東洋物産の中国貿易は良かった。しっかりやれ。
◎雑貨なんかやったらどうだ。基礎が大事だ、基礎が出来ればなんでも出来る。おっちょこちょいをやらないで、長い将来を見てやれ。
◎大蔵商事の時は絶対に信仰者の所へゆかなかった。戸田先生の信心をくずすと思ったし、又純粋な信心の上からも戸田先生を守る為にも、私の気持が許さなかった。それで一切学会員の所へはゆかなかった。親戚とか知人だけを固めて戸田先生を守った。  何回も何回も通って、苦労して大宮の機関区の退職金を全部取ったりして闘った。(大宮の機関区に松島さんともう一人大宮こうきが欲が深く、大蔵商事が危ないと云って、半分おろして別の所へ預金したが、そこが潰れ、大蔵商事の方が助かり、とても感謝した。毎年お米を送りますといった。二年位しか送って来なかったけれど)その内に学会人の中でも応援する人が現われ、鶴見に地盤が出来た。それに乗っかったのが東洋精光の北条とか藤原だった。私はいやだった。しかし友達だから助けねばならぬ。又、戸田先生は自棄糞で、何んでもいいからやれ、とやらせた。だから東洋物産は基盤がなかった。今苦しんでいる。それは今の幹部の責任ではないが、そう云う原因があった。これは本当の話だよ。
◎(トインビーとの対談) こちらから100問出し、向こうが100問だし。その後50問。とりあえず7問 やったが、7問で原稿用紙300枚になり、一冊の本になってしまう。これも1つのチャンスですから。トインビーも年で最後だから対談してやろう。トインピーは迹門の究極だ。
◎アメリカも自国の運命をどうするのか、フランスもそうだ、日本も自国の運命をどうするかだ。中国問題も米国とせり合う、それに勝つ決め手が憲法9条だ。
(社長会全記録 継命新聞社)
1971.9.12
民音職員・松本勝弥の妻尭美 学会を脱会
1971.9.17
東京文京区西片町に大石寺東京出張所を開設
1971.9.21
竹入公明党委員長 暴漢に襲われる
1971.10.12
正本堂躯体完成式
「正本堂は池田会長の「正本堂躯体完成表白」に述べられている様に円戒であり・・・円定(本門の本尊)、円 (本門の題目)は七百年前、日蓮大聖人の崇高な実践により建立顕示されているが円戒(本門の戒壇)はこれを後世の我々にお残しになられ・・・」聖教新聞社説
1971.10.13
第53回社長会〔於松野茶屋〕 池田発言
◎藤田さんは元気で出発したか。そりゃあそうだよ、元気だろうよ。帰って来るだろうな、中国では麻雀も禁止だから、大丈夫だろうな。雑貨を中心に、少し買いつけるんだな。
◎本山の全山T.V報告(15.000万位、中継車はレンタル委員会で検討して貰っています。メーカーも検討中) 東洋でやらせようね、いいね。どれ位儲かる。10%かそれでは少ない、15%位儲けなさい。かまわないよ。
(社長会全記録 継命新聞社)

昭和47年

1972.1.4
「なお総本山におけるポスト正本堂の重要な整備の一環として一応昭和49年10月12日の落慶を目指し、新しい立派な富士学林を建設するようにご提案申し上げ御法主猊下より快諾をたまわりました事をこの席をお借りしてご報告申し上げます。」聖教新聞
1972.1.7
学会 題目を再び商標登録申請 【資料】➡
1972.2.13
宗務院から浅井呼び出し
学会との間の調停に乗り出す。 「正本堂現時点における戒壇である」で納得してもらいたい。不承知。 (2.24にも同様の調停)
1972.3.10
金剛会第二回総会
席上「ただいま国際電報がはいり、東洋物産が日中友好商社に指定されることに決定した」と電文が読みあげられた。 篠原幹事長(東西哲学書院社長)
一、我々各社の創立者は池田先生であること、即ち池田先生の御構想の会社である。
二、広宣流布の活動の一端であること。
東西哲学書院、日本図書輸送、創造社、ひさご印刷、鳳書院、東洋物産、栄光建設、白蓮社に潮出版社、東西印刷、ユニオン商事を加えた合計11社、433名
1972.3.16 
新宿区に大願寺建立  信徒第一号に池田大作
1972.3.26
宗門 正本堂の意義について指導会開催
「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時点における事の戒壇である」と御指南。 出席者:支院長、副支院長、宗会議員、指導教師。 更に御法主上人の御指南を文書にして全国法華講々頭。全国教師並事務取扱者に通達。
1972.4.16 
宗務当局と浅井親子論判
1972.4.27 
浅井 池田大作に公上対決申し込む
1972.5.5
池田 アーノルド・トインビーと対談
後の対談集は往復書簡形式で行われたものだが、書いたのは特別書籍メンバーによるもの。つまり、池田の偽装対談集ということになる。 出版に際しても、当初、博士が席を置くオックスフォード大学側は反対していたが、強引に押し切って学会が出版した。
 
宗門 妙信講に学会との公上対決撤回を要求
1972.6.6 
学会 妙信講の文書配布停止を宗務院に訴える。
1972.6.15
宗門 妙信講へ最後通告
訓諭に敵対し、宗門並びに創価学会を誹謗中傷している。学会に対する公上対決討論撤回するよう。6月22日まで返事がなければ処分する。
1972.6 
公明党代表団 北朝鮮を訪問
6/7付 公明新聞では「この国を本当に廃墟の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆様の敬愛する金日成首相にお目にかかり」と賛美。【資料】➡
1972.6.22 
妙信講 宗務院通告の回答
宗務当局こそその所行を恥と思え。真の道念あるなら訂正せよ。7月7日まで待つ。
1972.7.1 
妙縁寺松本日仁師登山。猊下より呼び出し。
1972.7.6 
猊下 妙縁寺御下向。 浅井親子に御指南。
1972.7 
『大白蓮華』7月号  国立戒壇論の誤り全文掲載。
1972.7.19 
浅井親子登山呼び出し。御指南。
正本堂は御遺命の戒壇でない旨、訓諭訂正の草稿披露。
1972.7.26 
「池田先生が日本の指導者として立っていただく。」北条浩副会長発言・聖教新聞
1972.9.13 
正本堂の意義をめぐり激論(以後6回 計17回)
東京・常泉寺で妙信講、学会(秋谷栄之助、原島嵩、山崎正友)が10時間に渡り激論。
1.正本堂が御遺命の戒壇であるとは現在においては断定しない。
2. 御遺命の戒壇が国立であるか否かは引き続き論議する。
3.「聖教新聞」に正本堂が御遺命の戒壇の「完結」ではないとの理事長(和泉覚)談話を掲載する。
との双方の一致を見せ、この内容は10月2日の聖教新聞に掲載される。

学会首脳が「正本堂は御遺命の戒壇ではない」との見解を発表したことに池田氏が激怒。 現会長である原田氏はこの当時、原島氏に「原島さんの言っていることは正しい」と賛同。
1972.10.1 
正本堂落成(総本山大石寺)
日達上人並びに妙信講との交わした意向に反し、池田会長は福島副会長に命じ「本日、七百年前の日蓮大聖人ご遺命が達成されました。ありがとう」と、登山した会員に伝達する。
1972.10.3 
聖教新聞「正本堂落慶の時を迎えて」
「大聖人の仏法は、本因妙の仏法である。全民衆を救おうとの大聖人の大精神に立つならば、現在は広布流布の一歩にすぎない。したがって、正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。ゆえに正本堂をもって、何もかも完成したように思い、ご遺命は達成してしまったとか、広布流布は達成されたなどと言うことは誤りである。(中略)正本堂は広布流布のその日まで信徒に限って内拝を許されることはいうまでもない」和泉覚理事長談話
1972.10.7 
戒壇の大御本尊御遷座
1972.10.14 
正本堂落慶大法要
 
宗門 韓国メンバーと本山で第一回目の会談
国内でバラバラとなっている組織を統一し「韓国・日蓮正宗仏教会」とするために協議。しかし、現在に至っても韓国組織はいくつもの団体・グループに分かれたまま。
1972.11.11 
正本堂御供養返還裁判
民音((財)民主音楽協会)職員だった松本勝弥が正本堂御供養金返還訴訟を起こす。
1972.12.10 
公明 衆院選で47→29議席に後退

昭和48年

1973.1.13
民音職員・松本勝弥を解雇
1973.2.19
難民救援募金を開始
 
学会・公明の連絡協議会を設置
1973.4
創価女子中学・高校を開学

創価学園中学の入学式において池田氏がスピーチ中、赤ん坊が泣き出したところ「うるさい!連れ出せ!」と怒鳴りつける事件が起こる。
1973.4.12
共産党と協調発言
わたしは一貫して共産党のいうことを理解しておりました・・・未来において協調すべきだし、それしかないです」『週刊現代』4/12
1973.5.3
富士美術館開館
池田「世界一流の新聞社を目指せ」(聖教新聞 1973.5.3付)
1973.7
学会 松本勝弥氏を盗聴
1973.7.8
都議選で26名当選
1973.7.13
学会 立正佼成会幹部に工作し「明日の佼成会を守る会」を結成させる
1973.7.26
連合会第十回総会(総本山塔の原グランド) 日達上人御指南
日女抄に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(全集一二四四頁)とおおせになっております。しかしながら、一般日蓮宗の人々は、この胸中の肉団に御本尊がましますといぅ言葉を取って、大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もおります。 しからば、何をもって自分自身の御本尊を見極め、崇めることができるでしょうか。我々凡夫においては到底そんなことはできないのであります。自分自身が御本尊だ、などと考える時は、既に増上慢に陥って、地獄の苦を受けるといぅことになるのであります。そこで大聖人様は御自身の当体を戒壇の御本尊として、我ら末法の衆生の依止の本尊と顕されておるのでございます。すなわち大聖人は「末法に来入して始めて此の仏像出現す」(全集二四八頁)と申され、御自身が仏としての姿を示され「経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」(全集二五四頁)として、また「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(同)とおおせられ御本尊を建立遊ばされておるのでぁあります。この御本尊は、我々の十界互具、一念三千の姿を書き顕わされたのでありますから、これが我々の正境でございます。我々凡夫は自らの顔すら見ることができません。しかし、鏡を境、すなわち対象として前に置いて見る時は、はじめて真実の自分の顔を見ることができるのであります。まして御本尊が我々の胸中肉団に在りと教わってみても、その御本尊を拝することはできないのであります。故に大聖人は、この我等の胸中の肉団の姿を、正境として御本尊に御図顕遊ばされておるのであります。
1973.8
日達上人から賜った「賞与御本尊」を放り投げる
正本堂建立の翌年、昭和48年日達上人はこの功績に対し「賞与御本尊」を下付された。その年、池田氏は創大体育館で行われた本部幹部会で出席者に見せびらかせ、「350億も御供養して、正本堂を建てたことに対して、紙切れ一枚で〝御苦労様〟だよ」と言って、御本尊をクルクルと巻いて第一庶務局員の前にポンと放り投げたという事件。
1973.9
公明党大会で「中道革新連合政権構想」を発表
1973.9.8
映画『人間革命』(東宝)が公開
 
大白蓮華9月号
第1回 在家仏教の開幕。
「・・・あえて言えば、僧俗ともに大聖人と直結なのです。各自の家にすべて御本尊様があられる。それが証明である。朝な夕な御本尊に直結する事ができる。寺院は授戒所といってよい。これを間違えると、往時の僧侶仏教に、寺本位の仏教に傾斜してしまい・・広布流布はできなくなってしまうであろう・・」
第2回 世界宗教の誕生。
「大聖人が生涯、一寺も持たれなかったということは、これまでの寺院の権威の座を、たたき破られたのだと私は思う・・・寺院が令法久住を忘れて形式や権威に堕せば、大聖人のご精神に反すると考えるべき・・・僧は信徒の為に懸命に尽くすことが第一義となろう・・・」
1973.9.21
財団法人 日蓮正宗妙観会設立許可
1973.10.14
池田氏 日達猊下に「金出せ」と面罵
昭和48年頃、御開扉の終わった後で、池田前会長と福島源次郎氏(当時副会長)が、猊下がお通りになった時、「(※日達上人が)今頃来やがった」とまず福島が言い、池田前会長は「○○億円出せ」「約束の金はどうした、早く出しなさい」と怒鳴ったという事件があった。猊下の気性から思えば、その時は気持ちの上でずいぶんと押えられたと思うが、その後、内事部へ来られて、『ああいう体質では、もう学会とは一緒にやっていけない。たとえ小さくなって日蓮正宗の信仰を守っていきたい』と悲痛な表情で仰せられたのである。(『暁鐘』20号)
1973.10.17
学会 「日蓮正宗国際センター」構想決定
1973.10.17
宗門 学会と覚書 早瀬総監と北条副会長で交わされた覚書。
1.創価学会の多年に亙る広布創業の労に対し、宗門は満腔からの誠意を表しここに一金壱拾億円を贈る。
2.正本堂基金 370,600,000円については昭和49年4月以降、創価学会において自由に使用していただきたい。
3.富士宮市の市民センター建設に対する寄付要望については、大石寺として7億円を考える。
4.富士学林の建設は大石寺で行う。
以上。 【資料】➡
1973.12.29
第2回御義口伝受講者大会
「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった」
創価学会の重宝として「留言集」(池田氏の遺言)を残すことを話す。2千ページにも及ぶ細かなことまで記されているとされる。」
1973.12
学会 「丑寅勤行は各家庭で」との指導

昭和49年

1974.1.2
日達上人と学会幹部の集まりの席上、「富士宮付近で、正宗の僧侶が遊びほうけている」と池田氏が再び日達上人を叱り飛ばす。
1974.2.16
大聖人の再誕を吹聴
大聖人誕生の地を訪れ「確か、あの時もこのメンバーだったなあ」。そして境内の千年杉に対し「なつかしいなあ!」と自身を大聖人の再誕であることを側近に吹聴する。 この杉自体は大聖人入滅後の木であることから返ってニセ仏を証明することに。
1974.3.19
パナマ・ノリエガ将軍と初対談(パナマ)
1974.3.27
宗門 在勤式
「・・・今、我々はたいへん馬鹿にされておる。坊主、坊主といって馬鹿にされておる。馬鹿にしている人が正しいのか、馬鹿にされておるの我々が正しいのか一概には言えないでしょう。・・・」
1974.2
学会提案の 「日蓮正宗国際センター」構想、宗門と協議
学会が海外布教での主導権を握り、本山を傘下にする目的であったため猊下はこれを拒否
1974.4
『大白蓮華』4月号
「法華経を媒介としてご自身の境地を開き“生命”そのものに迫っていかれた」
「創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります」

都内で太陽が二つに見える現象が観測

池田氏は八王子にある法忍寺を創価山立宗寺と名称を替えようとするが、日達上人は許さず池田が陳謝。 池田は学会幹部に「(日達上人は)俺に詫びさせた」と激怒。
1974.4.12
創価学会 宗門支配を画策(山崎・八尋報告書「本山の件」)
「本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理していくかについて、二通り考えられます。 一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、背後をかためるという方法です。(中略) 本山、正宗は、党や大学、民音以上に学会にとっては存在価値のある外部と思われ、これを安定的にひきつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。(中略) そのための布石としては、
一、本山事務機構、法人事務、経理事務の実質的支配。
二、財政面の支配、学会依存度を高める。
三、渉外面の支配。
四、信者に対する統率権の支配、宗制宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等。
五、墓地、典礼の執行権の委譲。
六、総代による末寺支配。

が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さり気なく行うことが必要であり、今回のことは、一、二、三を確立し、さらに四までを確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度な判断によって決せられるべきと思いますので、ご決断を仰ぐ次第です。 」
1974.4.25
法華講登山
「御書に「天に二日無く、地に二王なし、一仏界、二尊の号なし」という事を、仰せになっております。・・・最近ある所では、新しい本仏が出来たような事を宣伝しておる・・・法華講の人は身を以てくい止めていただきたい・・・広布流布はしなければならん。けれども教義の誤った広布流布をしたら大変であります」日達猊下
1974.4.30
宗務院 総監×浅井 「国立戒壇いうなら登山不可」
1974.5.10
宗門からの分離独立を画策 (北条報告書「本山の件」)
9日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。……広布の上に重大障害となりまた宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました。・(池田)先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえす残念です。 広宣流布など全く考えていない。自分達の私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足、という風にしか考えられません。 学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないなら、うまく使ってゆくか、徹底的に戦って、学会の旗を守って死んでゆくか、いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで決意を固めました。(北條浩副会長/『フォーラム21』H15.8.1)
 
『北条報告書』流出の経緯
当時学会顧問弁護士であった山崎正友氏は、学会の実態を知ってもらうべく内部資料を日顕猊下へ預けていた。この資料を山崎氏が返却を願った間に、後に正信会となった山口法興によってコピーされ、それらを告発した。
1974.5.27
学会は「僧宝」発言
「仏宝に三宝というものが説かれている。いうまでもなく仏法僧の三宝であるが、この僧宝が問題なのである。僧宝といっても僧侶を意味するものではなく、社会の中で実践し「法」を正しく伝持する人々のことである。・・今日における僧宝・・創価学会があるのであり・・和合僧なのである。」 聖教新聞 「名字の言」
1974.5.29
第一次訪中 ~6/16まで
1974.5.29
宗門 学会×妙信講の公開討論禁止の返事(学会へ文書)
1974.6.18
宗門からの分離独立を画策 (北条報告書「宗門の件」)
広布の前途を大きく開いて帰国された先生に、このような報告を申上ることは洵(まこと)に残念なことであり、且つ申訳ない限りでありますが、報告を怠ってご判断をあやまらせてはより以上重大なことと思い、中西、秋谷、山友と相談の上、ご報告申上ます。また私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜りたく、その上で、私どもいかなる事なりとも闘う所存です。かねて先生の仰言(おっしゃ)っておられた通り、私たちの到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いづれにしても私たちは断乎たたかいぬく決心です。 G(※猊下)の心理は、一時的なものではない・・・長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本質は、カトリックとプロテスタントのような違いである。戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて・・・当面Gの異状心理をしづめ、新しい進路を開きたいと考えます。但し、やる時がきたら、徹底的に闘いたいと思います。
1974.6.18
日達猊下 学林研究科開講あいさつ
「・・この辺でも最近、ある書が御書だという事を盛んに言われてきております・・又、誰れ誰れが仏であるという言葉も、この近所で聞かれる・・日蓮正宗の御本尊を拝するならば、日蓮正宗の教義に従って、信心していかなければならない・・それに反することを聞くならば、どこまでもこれを破折して、日蓮正宗の信徒を養成していかなければならない、それが僧侶としての義務であります。・・日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広布流布とはいえない・・」
1974.7.7
参院選14名当選
1974.8.4
学会 九州・久留米・水天宮カッパ祭  邪宗と共に参加。
1974.8.12
宗門 妙信講解散命令発布
1974.9.2
宗門と学会連絡会議(板御本尊御下附の件)
池田 ニセ本尊作り開始
学会側から紙幅の御本尊を板御本尊にしたいとの伺いを申し立てる。それに対し、宗門側は「いいでしょう」との約束であったが、真意は宗門側が紙幅御本尊を払い下げるとともに新たに板御本尊を御下附するというものであった。 しかし、この時までに既に少なくとも一体の模刻本尊を学会は製作済み。
1974.9.13
妙信講に日蓮正宗の名を使用付加を要求
1974.9.28
妙信講本部の御本尊返還要求(21日にも再び)
1974.10.4
妙信講乱闘(学会本部にて)
1974.10.13
妙信講 御会式 (八木直道師出席)
1974.10.15
八木直道師擯斥処分
1974.10.28
池田 パナマ・ノリエガ将軍と2度目の対談(聖教新聞社)
1974.10.29
代表役員 池田から北条浩に
1974.11.13
学会 妙信講と裁判開始 52年4月に学会訴訟取り下げ
1974.12.1
宗門「元妙信講等処分の経過」 『妙縁寺住職の交代について』のパンフレット発行
1974.12.2
第二次訪ソ ~12/6まで
1974.12.3
大蔵商事→大同商事→株式会社日章に変更 保険代理業務などが主業務。
1974.12.5
中国・周恩来首相と会見
1974.12.25
宗門 松本日仁師擯斥処分にする
1974.12.28
創共協定結ぶ
秋谷栄之助(当時副会長)は協定は「共闘なき共存」を定めたものだとして、協定にある「協議」や「協調」の精神を否定した。 第二条「創価学会は、科学的社会主義、共産主義を敵視する態度を取らない」
➡ 池田はこの直後「宮本顕治より私の方が長生きする。これは私の勝ちだ。いまごろ、代々木は乾杯しているぞ。バカな奴らだ」と漏らす。
 
この年、特別財務をスタート
「それぞれの地域に相応しい会館を建てる」との名目で実施

昭和50年

1975.1.1
池田による本部 模刻本尊入仏式
この前後に、学会側で製作が了解されるはずの無い八体の模刻本尊がつくられる。 後日、宗門にこのことが発覚し、50年10月23日、当時総監であった法道院・早瀬日慈御尊能化を学会本部にお迎えし、模刻本尊の入仏法要。他の七体の本尊は宗門に保管された。しかし、御守御本尊やこの八体以外に板御本尊が存在したとの目撃情報もある。【資料】➡
1975.1.4
閉眼した御本尊を安置 『聖教新聞』 
「これまでの紙幅御本尊(模刻した元の御本尊)は、学会の重宝として永久に保存されることになった」と報じた。 しかし、この学会本部常住の紙幅御本尊は模刻の2年後、再び表に出ることになる。
 昭和52年4月27日、名古屋文化会館において池田は、 「私の心境や歴史的な意義を含めて、中部の同志にはこれから創価学会の真実の歴史を作ってさし上げたい。そういう発露から本部の御本尊をご安置申し上げたことを知っていただきたい」
閉眼して秘蔵された御本尊を再び、池田の入仏式によって開眼(?)されたのである。 同じ御本尊が紙幅のものと板御本尊の2体が同時に祀られた瞬間である。
1975.1.10
核廃絶1000万名署名を国連事務総長に提出
1975.1.26
創価学会インターナショナル(SGI)発足
グァムで「第一回世界平和会議」。のちにSGIの日となる。猊下御出席。
1975.3.1
第二代法華講連合会委員長に佐藤悦三郎氏就任
1975.3.26
院達2509  早瀬日慈師総監復帰。 阿部信雄師総監代務退任。
1975.4
大白蓮華4月号 学会に「入会」の文字
総務室長・辻武寿の言葉にはじめて入会の文字が使用され以後、入信と入会が混じるようになる。
1975.5.3
「伸一会」発足
中心メンバーに野崎勲、原田稔。宗門の「妙観会」に
 
池田への帰命
「われわれに立場でこの人への帰命という事を、もっと具体的に考えれば・・現代における"人"への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また、池田会長が大聖人の御書を寸分違わず、身に移し実践されている」『ひのくに』第10号
1975.5.27
名誉称号第一号貰う
1975年5月27日 ロシア(旧ソ連) モスクワ大学の名誉博士を皮切りに2010年3月現在で277個。これらは本の贈呈などお金で買ったものであることが、大学や学会関係者から度々暴露された
1975.6.10
「学会のために本山が犠牲になる。学会が全ての主体である」 「創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作ってみんなを守ってあげよう。」(第二回東京最高会議での池田発言)
 
この頃、福島源次郎副会長と池田氏と懇談で 「生粋の池田派は中西・福島・原島だな。他は北条派や秋谷派に属しているから生粋とはいえない」 と池田氏が語る。 が、その3人ともに生前から池田氏から去ってしまった。 志茂田景樹 『大寄進』を発表。学会が志茂田へスパイ行為働く
1975.6.16
八王子本山構想
「創価学会が手段になってはならない。とんでもない。創価学会が原点。日蓮正宗、法華講はおとぎ話」 「大学の近くに数万坪の土地を買って数十億。牧口児童会館とか--戸田記念館・・・世界の本部にする。公会堂、地方の人がもう何千人でも泊まれる恒久的な本部、広布流布の本山をつくっておきたい。会員から応援してもらって、これでほぼ日本の機構が確立。本山は坊さん--どうしようもない。学会は別法人。見事なものをつくりたい」第一回本部中央会議
1975.6.27
学林研究科開講式
「・・・火の国・十号ですね・・我々僧侶はいかなる悪口を言われようがどうしようが、かまわないけれども、我々の時代に大聖人の仏法を壊し、日蓮正宗を破滅に陥らす様な事があったならば大変な事です。どうか銘々の責任を以て人々を導いていただきたいと思います」日達猊下
1975.7.8
政教一致発言
「政教一致---大きなお世話。不仲説・・・誰がいったか。親として自分の手製の党を心配するのは当たり前」婦人部長研修会
1975.7.12
池田 宮本顕治と対談
1975.7.27
共産党と「10年協定」を公表
 
この頃、池田は「弟子分帳」を制作
池田の直弟子たる証明として「記別」の称号を与える。数千人の幹部に与える。【資料】➡
 
月刊ペン裁判、隠密に手打ち ニューオータニさざんか荘で隈部の弁護人、山崎正友、笹川陽平の間で手打ちの打ち合わせ。以後、数回行われる。
 
秋ごろ、原島教学部長から池田氏へ「日達上人は、次は阿部教学部長に譲られるおつもりのようです」と進言。それを聞いて池田氏は阿部教学部長の懐柔策を進める。





書籍紹介ほか

学会情報を読む

  • 実名告発 創価学会

    AAA社画像

    「平和」を掲げてきた創価学会はなぜ変質したのか――。 学会本部の中枢から排除された3人の元青年職員が、「愛する創価のため」権威主義化した本部を徹底糾弾。
    第1章 安保法制容認は名誉会長の意思とは真逆だ
    第2章 幹部職員のありえない官僚化・権威化を暴く
    第3章 意見する人間を徹底排除する本部執行部
    第4章 同志と共に「正義の闘い」に挑み続ける
    第5章 『週刊金曜日』編集部が著者に聞く創価学会への疑問

  • 司法に断罪された創価学会

    AAA社画像

    学会員には知らされない、司法で断罪された事例の数々。

  • しつこい勧誘・訪問に

    AAA社画像

    脱会届を送った後に、近所の会員からの訪問をシャットアウトしたいとお考えの方に!1枚なら無料でお届けします。

  • パナマ文書に
    SOKA GAKKAI, INC.

    宗教法人が租税回避地に謎の法人設立?

  • 公明大臣が核兵器利用容認

    安倍内閣は
    「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」
    と核兵器容認を決定した!

このページの先頭へ