崩壊している創価学会の「師弟不二論」

創価学会において、もっとも重視されるのが師弟観で池田先生との「師弟不二」と呼び、信仰において不可欠なものと認識される。簡単に言うと池田先生に従うということになる。
では、この「師弟不二」について、戸田会長の師弟観、日蓮正宗の師弟観の違いについて纏めてみましょう。

両会長の師弟観の違い
戸田会長と池田名誉会長には「師弟不二」という師弟観に違いがある。
◎戸田会長の場合
御本尊と僧俗のことを指す
われわれ凡夫にも一念三千があります。御本尊も一念三千です。ですから仏界の一念三千も、われわれの一念三千も即一念三千は同じです。よって師弟不二の境界です。所化もって同体なりということと同じです。(「戸田城聖全集第6巻」三大秘法稟承事講義)
戸田会長と池田氏の「師弟不二観」はまったく異質。
後にも先にも創価学会で唯一人、師弟観を理解していた戸田会長
大聖人の仏法における師弟観は、現在において血脈付法の時の猊下になる。このこと理解していた戸田会長はこのように指導している。
「御法主上人猊下をとおして大御本尊を拝しますれば、かならず功徳がでてくる 」(『戸田城聖全集』第4巻)

◎池田名誉会長の場合
池田氏と会員を指す
池田氏は、師弟不二を牧口会長、戸田理事長の強い絆が学会を築いたと考えているようである。このことを信仰上におけるの師弟観に置き換えたようである。
「師弟不二の精神が貫かれるところに、信心の血脈があり、令法久住がある。」(指導要言集 池田大作)
師の誤りを認め軌道修正した戸田会長
確かに、牧口を支えた戸田の功績や強い絆はあるのだが、
戸田は信仰者としての自身と牧口会長は「誤っていた」ことを認識(⇒)し、創価教育学会を辞め創価学会を再建した。つまり、師(牧口)の誤りを捨てたのである。
師弟不二の本当の意味とは
大聖人の仏法とは無関係“広宣流布の師匠に応えよう!” と、弟子が燃え立つ時、師匠の師子王の生命が、わが胸中に脈打つんです。(新人間革命 第26巻「奮迅」)
というように、学会の信仰は仏のお遣いではなようだ。
「師の誤りに物申すことができない」状況
牧口、戸田の間で師弟不二などという言葉は使っていなかったはずである。戸田は牧口の誤りを引き継がなかったのであるから、いくら両人が強い絆で結ばれていても、今日の学会がいうところの師弟不二ではない。そもそもこの言葉は、池田氏自身への求心力を高め、イエスマンで組織を固める目的だったことが読み取れる。組織を維持するための策といったところだろう。だから、池田名誉会長に箴言するなどもってのほかなのだ。
【参考】
現在創価学会側に付く日蓮正宗元僧侶・花野充道はこう述べていた
本宗において師弟不二と言う時は、大聖人と日興上人、日興上人と日目上人、以下御歴代の法主上人に限るのであり、それは唯授一人・血脈付法・法水瀉瓶・唯我与我ということと同義です。従って師弟不二ということは、本宗信仰の根本となるものであり、この言葉を不用意に用いてはなりません。ところが現在、この師弟不二という言葉があまりにも不用意に用いられ、唯授一人の法主上人間における師弟不二の血脈と、その血脈付法の法主上人に対する我々の師弟不二の信仰と、それ以外の本宗僧俗間の師弟の団結とが混乱されているように感じられます。(『蓮華』昭和53年3月号)
池田創価学会の師弟不二とは
この師弟不二論は、一体どのようなものなのか?
現役会員も明確に答えることはできないのではなかろうか。そこで、イメージを図解してみましょう。

こういった要素を一人ひとりが体現することが師弟不二ということになるのではないか。
戸田会長の意思を継いだか?

池田名誉会長がいうところの師弟不二は、自ら戸田会長の意思に背いているので成立していないのは明らか。
【質問会での指導】
創価学会の信者なんかあるわけねえじゃないか。みんな日蓮正宗の信者だよ。 音声➡

戸田の遺訓 学会は潰れていい、宗門が永久に続けば・・・
戸田会長の遺訓で家族は日蓮正宗で信仰
戸田幾さんの逝去後、ある週刊誌が、幾さんと戸田時代の学会幹部であった男性との余話を記録した「肉声テープ」の内容を紹介。そこには次のような衝撃発言があった。幾さん 主人が死ぬ一年ぐらい前だったかしら、こう言ったことがあるんです。創価学会なんてなくなったいていいんだ、人間が作ったもんだから。
男性 主人て、戸田先生?
幾さん ええ。戸田城聖よ。 もう、全部できたから、あとは学会がなくったっていいと、言っておりました。(幹部の)稲葉さんもこの話を側(そば)で聞いていたはずですよ。
男性 戸田先生が死ぬ一年前というと、昭和三十二年の頃ですね。
幾さん そうです。あとは、お寺さんが水久に続いていけばいいって… … 。
戸田喬久氏も、幾さんの葬儀に際し
「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」 と語り、日頃から、父・城聖氏の姿を通じ、 「おやじ( 城聖氏のこと)が御法主上人にお目通りする時は、伏せ拝のまま、一度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊( とうと)い方なんだと思っていた」
「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似(まね)はできない」 と語っていたという。
また、喬久氏の妻・すみ子さんが戸田家に嫁入りした際、城聖氏は 「御僧侶を大切にすること。そして、朝晩の勤行をしっかりやること」 と訓戒したという。 (中略)
喬久氏の妻・すみ子さんは、週刊誌の取材に対し、次のように語った。
「(主人の) 遺言はありましたけど、葬儀を常在寺にお願いすることは、それよりもずっと前に決まっていたことです。義父毋ともにそうでしたから。創価学会について、私から何も申し上げることはありません。とっくの昔に池田さんに渡したものですし、継いだわけでもないので、主人は自分の道を歩みました。創価学会と戸田家は無関係です。」
(「慧妙」平成25年3月1日付)
師弟不二は成立していない?
1.戸田会長の師弟観とは違う。2.戸田会長は、宗門が永遠に続くことを切望
3.戸田会長は大御本尊を信仰することが唯一の正しい信仰であることを指導。
師弟観を語るには、現在の学会が戸田会長の指導に従っているかどうかが問われる。