池田会長「真の敵は宗門」
そもそも信仰心はなかった!?
ジャーナリスト・内藤国夫氏の著書によれば、昭和40年代初め頃、池田会長はなんと「真の敵は宗門と公明党」と側近幹部に漏らしていたという。
当時会長に就任してから7、8年という時になる。要は、就任当初から日蓮正宗は敵と見ていたということだ。
これが、一会員の発言なら、その人の問題で終わるのだが、会長の発言となると責任重大である。
池田氏はそもそも、日蓮正宗は唯一正しい宗教として、組織拡大を進めてきた。しかし、実際には、その日蓮正宗を嫌い敵視していたのなら、それは、およそ信仰者ではない。もともと、信仰など意味のないものと思っていたのか。これでは、1千万会員に言い訳がつかない。これが本当なら、破門当時、処分は無効と主張したことも、ただの言いがかりということにもなる。
一体何を目指し、信仰をし、組織拡大を図ってきたのか本人の弁明を求めたいものである。
では、内藤氏の著書からその考察を紹介しておこう。
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創価学会会長(当時)の池田大作氏が、
「真の敵は宗門と党にあり」
と側近幹部に語り、注意を喚起したのは、二十五年近くも昔のことである。私が、この池田発
言を知ったのは恒常的な創価学会ウオッチングを始めた初期の段階、今から十五、六年前だった。
公明党や学会首脳のルートから少しずつ流出するようになった内幕情報を通じて知っだのだが、当時は、正直言って、我が耳を疑った。池田氏がどうしてそんなに突飛なことを言うか、発言の真意がさっぱり理解できなかったからである。なにしろ、当時は池田氏が発願主となっての正本堂の建立寄進と、同じく池田氏が創設者となっての公明党結成の二大事業が同時進行中。創価学会にとって「宗門(日蓮正宗)と党(公明党)」の両組織が繁栄し、発展するのは願ってもないことであるはず。それがどうして「真の敵」になるか、わけがわからない思いであった。
だが、それだけに印象が強烈で、「池田会長は、一体何を根拠に、また何が狙いで、こういう発言をするのだろう」と、将来の解明課題としての関心を深めたのである。
(中略)
「宗門と党」を構成する「僧侶と議員」に対して、池田氏には共通したある思いがある。
「僧侶も議員も、学会組織が、つまりは仝長の自分が食わしてやっている。それなのに感謝の念が足りない。誰のおかげで僧侶や議員をやっていられると思っているんだ。手前勝手なことは許さないぞ。別組織であるため、将来、学会組織と離れて勝手に動き出す危険がある。万が一にも、学会組織が利用されたり、犠牲にされてはならぬ。学会が主で、宗門と党が従であることを、ことあるごとに周知徹底させる必要がある。学会に背いたり、造反者が出たりしないよう、二重、三重の予防策構築を。念には念を入れて」
猜疑心が強すぎて、自分以外の誰一人信ずることのできない池田氏は、先見の明というより、本能的警戒心のせいで、「宗門と党」の両組織が、いつの日か自分と敵対関係に陥ることを予感じ、危うい芽を先手先手で摘み取るよう側近幹部に説いたのだ。
「宗門を何としてでも支配下に組み入れようとするのは、会長就任直後からの池田氏の執念と言えます。それに“党敵視”が加わったのは、政教分離と創共協定の二つが大きく影響している。
池田さんが共産党の宮本顕治議長とこっそり会って、創共協定を結んだ。昭和五十年七月、協定の存在が明るみに出され、共産党と憲法論争中の公明党が猛反発。協定の空文化を露骨に図った。
池田氏の承認済みの空文化だったが、共産党を取り込もうとする深慮遠謀への理解の欠ける公明党に対し、池田さんは憤りをあらわにした。“竹入の馬鹿が。矢野の悪党が”としきりに毒づいた。“真の敵は宗門と党にあり”発言は、この時に強調された。先輩の古参幹部の多くが公明党議員になっているだけに、学会の若手幹部の後輩が牛耳られないようにしなくてはいかんと、よくお説教されました」
当時の側近幹部が、十五、六年前を振り返り、池田発言の背景説明を試みる。
池田氏が日蓮正宗からの独立を考え始め、“池田教”の旗揚げを画策するようになった時期とも重なる。創価学会が、日蓮正宗から離れたら、学会員が半減し、公明党が選挙戦で惨敗する恐れありと危機意識を強める党首脳が、こっそりと筆者に接近するようになったのも、この頃である。
池田氏の日蓮正宗離脱画策を無謀きわまりないと反発し、阻止するために情報リーグに及んだのである。
「真の敵は宗門と党にあり」発言も、「宗門を敵に回すなんてとんでもない」との党首脳の判断で、筆者のもとに寄せられた。
しかし、「宗門との敵対」が、現実のものとなった現在、もう一つの「敵対」を池田氏が予測した公明党との関係がどう推移するか、切って捨てる日があるか、あらためて興味深く思われる。
(『今、改めて問う創価学会・公明党』内藤国夫 1995年発行)
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