牧口会長指導集
『牧口先生指導要言』辻武寿編名門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。
日蓮正宗は現在少なくても、将来、必ず広宣流布の時がくる。
ニセ札は似ているほど、その罪は重い。宗教の場合も同じ道理で、念仏や禅宗以上に、誤った日蓮宗の罪は重い。それは、題目をあげるために、日蓮正宗と似ているので同じように見える。それだけに、日蓮大聖人の教えを曲げていながら、大聖人の正統な教えのように思わせている罪は、重く大きいというべきである。
日蓮大聖人の仏法の根本は御本尊である。ところが、日蓮正宗以外の日蓮宗では、題目が正意で、本尊は方便としている。だから、大聖人の像を拝んだり、釈尊や鬼子母神等に題目を唱えているところもある。またときどき、本尊を変えているところもある。
実態は摧尊入卑、宗門利用
牧口先生は、堕落した宗門など、もともと信用されていなかった。
教育こそ、人類の普遍的な希望をみいだされていたのである。(平成5年5月16日 池田名誉会長発言)
「創価教育学会は日蓮正宗の在家信徒の団体ですが、従来の信徒のように、僧侶の指導のもと末寺に所属する「講」ではありませんでした。会の運営も会員の信心指導も、僧侶に依存することなく学会独自で行なってきました。学会は当初から、従来の宗門の在り方を超えた独自の在家運動団体だったのです。」『教学の基礎』創価学会教学部編 2011.1.16発行
【語録】
「創価教育学会其ものは(中略)日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」『牧口常三郎全集』第10巻
「百年前及び其後の学者が、望んで手をつけない「価値論」を私が著はし、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て自分ながら驚いて居る、これ故三障四魔が紛起するのは当然で経文通りです。」『牧口会長・獄中書簡から』
「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値論をお寺に於て宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」『特高警察の尋問調書で』
戸田会長の言葉 「牧口先生が御自分の学説に重きを置いた結果、法華経をむしろその手段のように扱ったということ、御書に摧尊入卑という言葉がありまして、その摧尊入卑の罰とか罪とかいう言葉はないが、つまりそれに当たるのだと思う。学会の行き方としては、価値論から法華経へ、法華経から御本尊へというのでなければならないと思いますね」(野島辰次=牧口門下で創価教育学会の理事を務めていた『我が心の遍歴』 )
創価教育学会「大善生活実証録」でわかった
反戦、謗法厳誡はウソだった!
生活革新クラブ員全員登壇して、クラブの歌を斉唱し、吉田理事の指導にて遠く戦野にある牧口会長令息洋三君をしのぶ軍歌を高唱し
大東亜戦争も一週年の垂んとして、陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げてゐる事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第であるが
吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは「よくぞ国家の為に働いて下さった、有難うございます」といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さいといふ祈願ではない。
詳しくは http://www.butujoji.jp/hashaku/antiwar01.htm