平成4年
- 1992.1.5
- 新春幹部会(東京・創価国際友好会館)
池田「私どもは、どこまでも大聖人の御心を、まっすぐに拝している。ゆえに強い。『大聖人直結』か、「大聖人利用」か。ここに学会と現宗門との根本的な相違がある。『正邪』は初めから明自である―」(聖教H4・1・7)
➡後に大御本尊を完全否定した池田創価はまさしく大聖人利用に他ならない。
- 1992.1.8
- 第46回中央会議(東京・創価文化会館)
「ここでは、新たな弘教運動としての『会友』運動について、各方面の状況を交換しながら、活発に意見を交わした。その結果、『会友』運動は、あくまでも『学会共感層』の幅広い拡大に主眼があることを確認。「開法下種』を通して、本人が会友になることを希望した時に『会友』として、『会友証』を差し上げることになった。また、共感層の拡大については、『会友』『友人』を合めて幅広く展開していくことになり、具体的には、各方面・県(区)で合議しながら進めていくことを申し合わせた」(聖教H4・1・9) - 1992.1.8
- 第14回参議会(学会本部)
「参議会では、『創価学会会則』の改正について原案通り答申した。また、『創価学会勤行要典』及び『御観念文』の制定について、全員の賛同により、決議した」(聖教H4・1・9)
➡学会はその後、勤行及び御観念文を変えていることから、制定には何の意味もない。 - 1992.1.9
- 宗門攻撃のミサイル
池田氏は、必勝の檄を飛ばす。
「今が正念場だ。ひるんだ方が負ける。私は負け知らずだ。本格的に関ったら、必ず勝てる。『地湧』は、宗門を攻撃するミサイルとして一番の効果をあげている。『地湧からの通信』を百万部のベストセラーにするんだ。婦人部に読ませよう。ちなみに『地湧』とは、創価学会の別動謀略部隊である「日蓮正宗自由通信同盟」が毎日発行するFAX情報。宗門攻撃では実績と定評のある野崎勲副会長がキャップとなり、日蓮正宗内の僧侶の動きや宗内事情、″日顕一派″の非難・中傷等々の攻撃材料を専門に集め、関係者に流す。単行本にもまとめられ、すでに九巻までが発売された。創価学会の会合では必読の教材である。宗門攻撃の″ミサイル″に活用されるわけだ。」(平成4年1月9-16日号 週刊実話➡)
➡池田自ら、怪文書で洗脳をする指示。単なる謀略家となり果てる。 - 1992.1.15
- 全国青年部幹部会
御書に仰せの「一閻浮提広宣流布」を進めているのは、創価学会だけである。現実に、「立正安国」の行動を展開しているのも、わが学会だけである。 先生の怒りは激しかった。獄死した恩師牧口先生は、日蓮正宗の悪侶に切られ、いじめぬかれたのである。懺悔し、罪を滅する気があるならば、学会に来るべきである。学会には大聖人の御精神が脈々と流れているのだ。「仏のみ教え」に随順するつもりがあれば、学会で学ぶべきである――戸田先生の大確信であった。 (平成4年1月15日 ) - 1992.1.17
- 秋谷会長に直撃インタピュー(破門直前)
「それは、宗門と学会の分断を画策した連中が、わざと流している話です。私どもの方には、宗門から独立するという考え方は、以前から今に至るまで毛頭なかったのです」
秋谷「そんなことは全くない。こちらにはもともと対立する気なんかないんですから。要するに、日顕法主にとっては、こちらが何かものをいうこと自体が気に入らないんです。私もお目通りの席で、″宗門にもの申すなんて、お前は驕慢だ″と大声で怒鳴られたことがあります。」
秋谷「その予想ははずれましたね(笑い)。基本的に学会は微動だにしていないし、それどころが、法主の退座要求署名が海外を合わせると1600万ぐらいになっている。 」
秋谷「私たちとしては、大石寺にある大御本尊を根本にしていくことに変わりはない。しかも、私どもは御本尊の写しを本部にも各家庭にもいただいている。従って、どの御本尊を拝んでも功徳においては何ら変わりはないという考えです。」(平成4年1月17日号 週刊ポスト) - 1992.1.17
- 己心本尊論展開
「大事なのは『自分』である。自分の『生命』である。外にある御本尊も、我が“内なる”御本尊を顕すためにこそ大聖人が建立してくださったのである」聖教新聞 1/17付 - 1992.1.23
- 脱会者座談会
まず、お聞きしたいのは、みなさんは、20年、30年という長い学会歴を持ちながら、なぜ脱会をしたのですか。人生の大半を学会活動にささがてきたというのに
浅川 宗門と学会の紛争がはじまった昨年1年間、聖教新聞にはお寺、宗門の悪口ばつかり書いてあって、もう読むのもイヤでした。私が脱会を決意したのは、近くのお寺に行ったときです。住職きまに学会青年部たちが抗議していたんです。“答えてみろ”とか暴言を吐いてね。それで私は、「やめなさい」と注意した ら、青年部の1人が私に”婆クタバレ!”とか”ブッ殺すぞ!とすごい剣幕なんです。恐ろしくなりました。こんな組織に33年間もいたかと思うと、もう情けなくて、それで決心、退会したんです。(平成4年1月23日号 週刊実話) - 1992.1.24
- 聖教社説「御書は末法の経典」
「日興上人が『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からぎる事』と厳命された通り、貫首(法主)であろうとも、己義を主張して御書に示された法理に違背したならば、その主張を用いることは許されない。根本は仏法(御書)であり、貫首ではないからである(聖教H4・1・24)
➡貫首が教義の裁定をしなければ、皆違う解釈に陥る道理が分からない信仰へ。 - 1992.2
- 寄稿「創価精神に生きる」(森田一哉)
「第二祖日目上人滅後、世界広宜流布への大聖人、日興上人の精神は忘れ去られ、富士の清流は枯渇に瀕し、濁流に変じる危機を繰り返しながら七百年の歳月を送ることになるのである。日有上人、日寛上人など、中興の祖と呼ばれる英邁な法主を時に輩出しながらも、大聖人の仏法を、その本義のままに展開することなく逼塞せじめたのは、やむをえぎる歴史的背景を考慮しても、なお宗門総体としてその責めは免れ得ないであろう。この法滅の危機を救われ、日蓮大聖人の信心の血脈を蘇生させられたのが牧口先生、戸田先生であった……日蓮大聖人、日興上人と直結した信心に立たれた牧口先生、戸田先生、池田先生の師弟の道に連なる創価学会の信心に、御本仏の血脈は脈々と流れている。現今の宗門の醜態を見るに、日蓮大聖人の御精神を離れること遥かなりと慨嘆せざるを得ない。もはや宗門に大聖人の仏法の血脈はない‥‥現在の宗門に‥‥血脈相承の資格なきことまた明白といわなければならない。いま大聖人の仏法の血脈を相承した唯一の存在は、創価学会を置いて他にはない」(大白H4・2)
➡大聖人直結の信心などは御指南に存在しない。日興上人はそれを完全に堕地獄と否定されている。 - 1992.2.3
- 離脱僧が猊下へ「諌暁の書」
工藤玄英ら7人の離脱僧が猊下へ「諌暁の書」(二月二日付)を送付。
※東京都立川市の「長栄寺」工藤玄英住職、和歌山市「大照寺」大橋正淳住職、京都府字治市「顕仏寺」吉川幸道住職、滋賀県安曇川町「世雄寺」池田託道住職、愛知県新城市「能顕寺」申岡雄敏住職、長野県塩尻市「善興寺」吉川雄進住職、「長栄寺」在勤宮川雄法執務の六カ寺、7人の僧侶。
この7人はいずれも学会員で、その後、学会の手先となっている。(宮川雄法は後年、学会に反目したため除名される。)
また、昨年、10月に、宗務院が、創価学会に対し必要な処置をとる前提として、宗内の全僧侶に署名捺印することを求めた『創価学会処分要求書」に署名することを拒否していた。 - 1992.2.4
- 石田次男聖教新聞初代編集長(66歳)死去
実弟の石田幸四郎公明党委員長、妹の明子さん(秋谷会長夫人)も葬儀に参列せず。
➡三代会長との期待もされていた石田は、後年、反池田の立場をとり池田の仏法観を「内外一致の妙法」、「六師義・外道説」であると批判。 - 1992.2.16
- 中国代表幹部会(岡山文化会館)
秋谷「…学会の板御本専御謹刻は、日達上人も御承認され、すべて御承知のことであり、また、紙幅の御本尊を板御本尊にすることは、何ら問題はないと明言されており、宗内においても従来からいくらでも行っていることで、本来、騒ぐようなことでも何でもないことである。 一、その何の問題もない、しかも、経緯についても、誰よりも知っているはずの日顕が、学会が日達上人の御指南通り僧俗和一合を願う上から、一切、この件について黙ってきたことをいいことに、自分のかっての指南まで無視し、″触れ″てきた。どこまで、極悪の大ウソつきか‥」(聖教H4・2・17)
➡本尊模刻の真実→ - 1992.2.21
- 学会系離脱僧インタビュー
工藤「そうです。この1年間は、宗教大改革なんだと。宗門VS学会に見えますけど、もっと重要な意味を含んでいると考えています」
工藤「いらない、というのは、信徒を苦しめる僧侶はいらないということじゃないでしょうか。いい僧侶になってもらいたいということをいっているんだと思います。私は、必ず学会員といい関係をとり戻せるものと確信しています」
工藤「学会員時代から知っています。みな元学会員です」
工藤「80% くらいがそうです。1950年から一般得度制を導入したので割合は減りましたが、それ以前には、ほとんど学会員が出家して僧侶になってきたわけですから」 (平成4年2月21日号 週刊ポスト)
➡離脱僧の大部分は元学会員であり、様々な裏工作によって引き戻されたことが疑われる。 - 1992.2.26
- 国会 学会の脱税問題質問 第123回国会 大蔵委員会第4号
渡辺(嘉)委員 収益事業による所得額は、平成二年には千九百五十六億円とありまして、昨年新聞、テレビで報道されました創価学会が造成された墓苑の脱税の疑いで税務調査を行われたとあったのですが、これは事実かどうか。それからこの創価学会へのそれまでの税務調査は行ったことがあるのかないのか。御答弁をいただきたい。
坂本(導)政府委員 一般論として申し上げますと、宗教法人を含む公益法人についても実地調査を実施しているところでございます。それも、先ほど申し上げましたように問題があるところを重点的に取り上げて行っているところでございます。御指摘の創価学会の件は、個別の件でございますので、ここでは答弁を差し控えさせていただきたいと思います。 【詳しくは➡】 - 1992.2.27
- 野崎勲組織本部長名の緊急電文
「7人の僧侶の正宗離脱の件」と題する緊急通信の末尾には、7人の僧侶の行動は勇気あるもので、今後は温かく見守って行きたい、としたうえで次のように記している。 「ただ、今回の7人が離脱したからといって、葬儀や法要をこの7人に直接依頼したり、御本尊をいただきに行ったりすることのないようにお願い致します。友人葬、また御本尊下付に対する考え方は、従来と一斉変わっておりませんので、ご了承いただきたいと思います」 (平成4年2月27日号 週刊実話)
➡学会はこの後、会館寺院を設置し離脱僧を抱え、遺族の要望により葬儀の導師させ、また戒名などを与えている。元は創価学会竜泉会館、今は、離脱僧を住まわせる光泉寺➡ - 1992.3.1
- 『脱会者を自殺するまで追い詰めろ』発言
公明福井県会議員・福井一成氏が池田氏が総講頭資格喪失後も本山参詣を続けることに対し、止めるよう森岡正昭副会長ら幹部が執拗に迫る。 次女が昨年暮れに脱会していたことから、嫌がらせが激化。副会長らは会館に呼び寄せ吊るし上げた。
1.日顕の悪口を言って歩くことが君の目的だ。ただちに実行せよ。
2.脱会した者が自殺するまで追い詰めろ、それが池田先生の指令だ・・・ と強烈に詰め寄った。氏が副会長に『脱会した娘を自殺に追い詰めろということですか?』と聞き直すと『そのとおりだよ』と答えた。(時局ニュース) - 創価邪説「人間主義の日蓮本仏論を求めて」発刊
松戸 行雄 (著)による、大聖人から離れ己心本仏論を展開した邪説。 - 1992.3.5
- 元創価学会副会長の福島源次郎氏「蘇生講」を結成
福島「平成元年10月『蘇生への選択』を出版後、読者からの強い要望で12月に東京の豊島区民センターで、第1回の勉強会を始めたんです。それから毎月、月末の上、日に2回、毎月ゃった。大阪でも平成2年1月から始め、これも2ヵ月に1回ぐらいやりました」
――学会からの妨害は?
福島「ありとあらゆる行動を、すべて尾行されました。大阪に行くときなど新幹線車内ばかりか、私が降りるてあろう駅すべてに、30人ぐらい学会の人間が配置されていた」 平成4年4月25日号 週刊現代 - 1992.3.7
- 学会員 末寺で物損事件
九州・福岡県にある開信寺では、3月7日、学会員Kが、酔っぱらって車で境内に侵入し、納骨堂のライトを壊すという、器物損壊事件を起こしている。( 平成4年4月30日号 週刊実話) - 1992.3.19
- 大橋元公明議員P献金を明かす
公明党の元衆議院議員大橋敏雄氏は、池田批判に立ち上がった際に、議員歳費から天引きされていた、(P)献金の実態を示す、歳費の「控除額明細書」を明らかにしている。それによると、
昭和58年3月 1万6000円(東京富士美術館開館祝い)
昭和59年2月 餞別5万円(池田の北米・南米訪間)
昭和59年5月 6万5000円(5・3会長就任祝い)
昭和62年4月 餞別4万500円(池田の北米。中米訪問)
昭和62年6月 餞別4万円(池田のソ連・フランス訪問)
昭和63年1月 祝金1万円(池田の香港訪問) となっている。
会長、副会長の給料
私が学会から出る前の昭和52、53年当時の先輩副会長クラスの給料は、だいたい40~50万円くらい、後に会長となった北條浩理事長で70~80万円くらいだったのではないでしょうか。池田氏は、つねづね『金をもつと人間は堕落する』と語っており、幹部に経済的余裕ができると造反する可能性があるため、職員の給与は低く抑えていました。ですから、本部職員の給与は社会的にみて低水準。ただひとり池田氏だけが別格なのです」(創価学会・元教学部長・原島嵩氏)
(平成4年3月19日号 週刊実話) - 1992.3.28
- 日蓮正宗 創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、東京都知事(当時鈴木俊一氏)に対し『意見書』を提出 。
- 1992.3
- 日蓮正宗本土寺に墓荒らし
「本土寺では、昨年の3月以後、墓石がノミで削られるなど、合計6件、被害額約鰤万円相当もの、墓荒らし事件が起きていましたが、今回の事件が最も悪質です。初代住職の遺骨を、墓石の納骨室から取り出し、三師塔にぶつけて壊し、散乱した遺骨をさんざんに踏みつけるという、常軌を逸した犯行となっているからです」(捜査関係者)(平成4年4月30日号 週刊実話)
- 1992.4.1
- 法華講連合会(総本山)
全国12地方部を13地方部とする
大白法 戸田会長発言掲載
戸田城聖氏が、(昭和三十年の小樽法論の後)
『創価学会は、いつつぶれてもいいのである。しかし、宗門だけは絶対につぶしてはいけない。宗門のための創価学会である』という旨のことをはっきり言われた、ということを、その席にあって聞いておられた方が日記に書いておられたのです。」(平成四年四月一日付『大白法』) - 1992.4.9
- ロシア『プラウダ』紙
ゴルバチョフ招待の裏を報じる <元大統領が日本を訪問する際、日本の首脳と会談する時間は30分というから、問題の本質を討議することは極めて難しく、外交レベルの問題でないことは明らか。では、なぜ、インタビュー などに応じるのか。信じうる情報によると、元大統領の利潤のためではないかと思われる。元大統領を招待した″読売″と″朝日"の大手新聞は、元大統領にそれぞれ50万が(約6600万円)の謝礼を約束しているといわれる。また、有名な宗教家である池田大作氏もかなりの金額を支払うという。元大統領の訪日がコマーシャル旅行ということは、事実上、はっきりしている> 池田氏と面識のあるロシア共和国の政府関係団体職員は、匿名を条件にこう語る。 「当初、池田のことは、もっぱらモスクワ大学のログノフ学長(当時)が面倒を見ていたが、池田は気前がいいので、すぐに様々な方面に人脈を広げた。特に、訪日したソ連人には例外なく接待攻勢をかけてきた。全く関係のないミッションでも、日本に行くソ連代表団は必ず接待し、代表者だけでなく、随員や通訳にまでおみやげを配っていた。この話は有名になり、″日本に行ったら、とにかく池田を訪ねるといい″というのは、ソ連人の間では常識になってしまった。おそらく、訪日したソ連人で池田に何ももらわなかった人間は、ひとりもいないんじゃないか」 また、『ソ連平和擁護委員会』の元スタッフも、こう証言する。 「私が日本に行った時は、なぜか創価学会側から代表団全員が、ある避署地で大接待を受け、私のような下っ端にまで、カメラと5万円をくれた。上の方の人になると、かなりの金額になったようだ」 (平成4年5月1日号 週刊ポスト)
➡金で人はなびくことを知り抜いた池田らは海外要人関係者へも。 - 1992.4.13
- 学会員 末寺で暴力事件
開信寺では、昨年の4月13日には、学会青年部員ら約300名が、本堂に乱入し、住職と夫人、法華講講頭らに暴行を加え、八尋由夫講頭が、重傷を負うという、暴力事件も生じ、警察が出動する騒ぎがおこっている。 (平成4年4月30日号 週刊実話) - 1992.4.20
- 大石寺ダイナマイト爆破予告事件
静岡県警富士宮署は(中略)創価学会高松本部婦人部副本部長、主婦Hを恐喝未遂の疑いで逮捕した。調べによると、Hは(平成四年四月)二十日午後三時ごろから二十数回にわったて同県富士宮市上条の日蓮正宗総本山大石寺に『境内に爆弾を仕掛けた。三億円を用意しろ』などと電話で脅した疑い」(読売新聞 平成四年四月二十二日付) - 1992.4.26
- 第53回本部幹部会
「法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては大聖人、総じては学会――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の仰せです。」
現宗門は、人法一箇の大御本尊を根本とする日蓮正宗本来の宗旨を改変して、法主根本を宗旨としてしまった。そのために、日蓮正宗の立てる「三宝義」を改変して、法主が仏宝・法宝と等しいという法主絶対化を図った。
➡法主信仰は宗門に存在しないのであり、学会のデマである。
広島市「興福寺」で放火事件
「トイレを貸してください」と、本堂に入ってきた婦人会員が、トイレ内にあった紙屑に火を付けたのだ。寺院関係者が煙の臭いて急行して火を消しとめ、婦人会員をつかまえると、
「池田先生がかわいそう。日顕が悪い、日顕が憎い。だから火を付けてこのお寺を燃やしてやるつもりだった」
と、自状したことから、広島東警察署に突き出したという。(平成5年4月1日号 週刊文春)
- 1992.4.28
- 広島市で181名の脱会者 宗門へ帰伏
徳島の「敬台寺」で、約千人にのぼる学会員が、学会を脱会、法華講に入講 (平成4年5月28日号 週刊実話) - 1992.4.30
- 第54回中央会議(東京・創価文化会館)
「会議では、『五月三日』を記念し、すでに除名となっている山崎正友、原島嵩をはじめとして、福島源次郎、竜年光、藤原行正、大橋敏雄らの反逆者12人を学会から永久に追放することを全員の賛同で決議し、署名した」(聖教H4・5・1)
➡学会は批判する者は永遠に許さず、救わない指導であり、大聖人の仏法でも宗教でもなくなった。 - 1992.4
- ライベツクス(投資用のワンルームマンション販売)が破綻。
千葉隆社長はじめ、ほとんどの役員が学会員。(平成4年2月27日号 週刊文春) - 1992.5.22
- 宗門は血脈が切れている発言
「謗法の現宗門には、大聖人からの成仏の血脈は完全に切れている。堕地獄( だじごく) の宗門となってしまった。これに従う人々も、御書に照らし、同罪である」(平成4年5月22日付 聖教 池田指導)
⇒大聖人の御化導が断絶したとする発言。そもそも学会に大聖人のからの血脈相承はなく、御書に照らして正当性はない。 - 1992.6
- PKO法案成立
当初、反対の立場にあった公明党は突如、賛成にまわり法案成立。前年の創価学会への国税調査との関係か。 - 1992.6.11
- 本部職員給与150億円
全国に約3千人のこれら本部職員に支払う給料だけでもぼく大な出費。ちなみに単純計算をしてみると、本部職員の年収が平均5百万円と低く見積っても、年間150億円。まさに一流企業並みの必要経費がかかっているのである。 (平成4年6月11日号 週刊実話) - 1992.6.16
- 創価新報でシアトル事件報道開始
学会員ヒロエ・クロウを告発者に仕立て、日顕猊下を破廉恥行為を犯した僧として捏造報道
➡裁判は和解で閉じているが、クロウ数年前まで、日顕上人に対し信頼の念を抱いていたことが、猊下の著書で確認できる。その昔にこの事件あれば、クロウは信頼するはずはない。 - 1992.6.24
- 学会 僧侶離脱工作並び本尊問題
《関西副会長から「京都の某僧侶が宗門から離反すると言ってきた。仕掛けは竹入氏の弟が半分やった」との連絡があった。悩みの種だったご本尊問題は、宗門から離脱する僧侶の寺に保存されていたご本尊を使うことで解決できるとのことだった。》(『乱脈経理』矢野絢也) - 1992.6.25
- 現役副会長の告発本出版
『創価学会 池田王国の崩壊』(永島雪夫著) 複数の現役副会長が取材に答え、強烈な池田批判をおこなった書。 - 1992.7.4
- 東京第二布教区宗務支院長名で 池田氏へ除名処分通知送付
- 1992.7.5
- 学会員は大聖人直結の信徒発言
「こんな『法主の信徒』ではなく、私たち全学会員は『日蓮大聖人の信徒』でありたいと思うが、どうだろうか」 (平成4年7月5日付 聖教 池田指導) - 1992.7.31
- 宗門追放決議
8月度全国県長会議(東京・創価文化会館)
◇ 「日顕永久追放」の「決議」を採択、仏法破壊の悪法主。日顕こそ、宗開両祖からの『破門』は明かであり、我々は日顕を大聖人門下から『永久追放』することを宣言する。邪宗『日顕宗』の信徒たることなど、我々のほうから断して拒否する。
一、日蓮大聖人に弓を引く、大謗法の所行は、日顕に追随する信心なき末寺住職も全く同罪である。もし日顕が『破門』し『除名』したのだから、その願主名が入った寄進寺院の御本尊を替えるなどという愚かなことを考えているのであれば、その前に学会の寄進寺院から全住職は即刻退去し、ただちに全ての寺院を学会に返還すべきである。
一、日顕に盲従するのみならず、その甘言にだまされ、走狗となって蠢動している一派についても、その罪は重大である。我々は、この師子身中の虫であり、天魔の眷属たる一派を断固破折し、その破和合僧の悪に対して徹底的に戦う」(聖教H4・8・1)
秋谷会長「宗門の信徒ではない」発言
「私ども創価学会員は御本仏・日蓮大聖人の信徒であり、。貴殿のような大謗法の法主の信徒でもなければ、大聖人に敵対する邪宗・日顕宗の信徒でもありません。とんでもないことであります。」 (聖教 H4・7・31) - 1992.8.8
- 財務は最高の御供養
第3回長野県総会(長野研修道場)
秋谷「一、本年度の財務につきましては、九月末から実施されますが、不景気の時代でもあり、皆さまには大変ご苦労をおかけしますが、何とぞよろしくお願い申し上げます。広宣流布への財務は最高の御供養であり、大きな功徳があることは間違いありません‥‥従来、宗門に気を使って表現を遠慮し、何とか調和を取ろうと努力してきましたが、もう破門で無関係なのですから、堂々と『御供養』と言い切っていきたい‥‥大聖人の仏法を世界宗教へと進める広布を支える財務こそ、真の大聖人の心にかなう供養であることを申し上げておきたい…」(聖教H4・8・9) - 1992.8.10
- 市川公明書記長発言(党本部で)(軽井沢研修道場での池田指導を引いて)
「名誉会長はこう話していた"師弟の道とは師匠の仇を弟子が討つことだ。塚本(三郎民社党元委員長)の暴言を石田(公明党委員長)は見逃した" "仇を討て! 私を守れ! 感謝の気持ちを持て! 学会を守れ!" "最近は学会を裏切る議員が多い。 何とかならないのか" "選挙の勝利はすべて学会のお蔭。 俺のお蔭だ。 史上空前の選挙をやった。" "今年の党大会では、これまでどおり石田委員長の体制で行く"」(『乱脈経理』矢野絢也 講談社)
➡仇討ちの教義などは大聖人の仏法ではなく、池田教によるもの。 - 1992.8.11
- 公明区議 北京で売春事件
練馬の公明区議は「日朝友好議員連盟」一員として訪朝、立ち寄った北京で中国警察当局に売春容疑で逮捕される。 - 1992.8.13
- 宗門 池田大作を信徒除名処分
- 1992.8.24
- 国税庁へ投書工作
《大阪で西口総関西長と会談した。「本山の猊下が脱税しているという投書を国税庁に二度出させた。まもなく国税が入るらしいという情報がある」》 (『乱脈経理』矢野絢也 講談社) - 1992.9.1
- 香港創価幼稚園開園
- 1992.9.25
- 第58回本部幹部会(東京・創価国際友好会館)
池田「日蓮大聖人も、御自身が『信徒の葬儀』を執行された例は、御書には一つもない。日興上人はじめ弟子の方々も、同様に信徒の葬儀を行われていたという記述はない。いわゆる『戒名』も、大聖人は認めておられない。あったのは死後につける戒名ではなく、生前につける法名である。現在のような『位牌』も、『過去帳』も用いられていなかった。今や宗門では大聖人、日興上人の御精神は、まったく失われ、金もうけのための『宗教屋」になり下がってしまった。宗門は完全に『法滅』の姿である。こうした歴史を見るとき、学会の『友人葬』『同志葬』、また同志による『追善動行会」等は、不思議にも、釈尊と大聖人の時代と同じ在り方になっている…」(聖教H4・9・27)
➡では、信徒へ葬儀の方法を教えた御書が存在するのか。
【その後、学会では戒名を故人へ与えた事例ある、過去帳も学会員向けに販売】 - 1992.9.30
- 東京新聞 大石寺に嫌がらせしていた右翼団体の一人が転落死報道
学会と右翼の関係
語るのは、全氏が常宿にしていた大石寺近くの民宿関係者。
「全氏が怒った口調で『学会からカネを取ればいい!」といったのを聞いています。また『カネが入ってこない」とも漏らしていた。どこからとはいいませんでしたが……」
また、全氏がたまに食事に訪れたという富士宮市のある飲食店店員も、
「昨年末、食事にみえたとき、『イザとなれば学会からカネを取れると思う」と話しているのを聞きました」と証言するのである。
なぜ「学会からカネがとれる」のか。地元富士宮の商店主が解説する。
「襲撃は右翼のしわざというが、実際は学会の″ヤラセ″だということですよ。富士宮市民は、だれもが『あれは学会からカネをもらった右翼がやった」と思っている」(中略)
「昨年12月3日の昼過ぎのこと。本山の境内を走り回っていた右翼の街宣車が、近くの民家の前に停められていたんです。すると、しばらくしてベージュ色の日産アベニールがその民家の前に停まり、中に人が入っていった。
不審に思って、アベニールのナンパーを調べたところ、この車は『宗教法人・創価学会』所有の乗用車とわかったんです。この民家で、学会関係者と右翼が何を話していたのか」(大石寺の警備員)
本誌が照会したところ、車はやはり創価学会のものであった。 (平成4年11月28日号 週刊現代) → - 1992.10.3
- 学会 宗門僧侶を金で勧誘工作
当時SGIのアジア部長だった久野氏が、旧知の間柄にある福田住職を本地寺に訪ね勧誘工作。
① 10月3日の会談で、久野氏が「あなたが離脱をしないのは、猊下(日顕法主)にお金をもらっているからじゃないんですか。5000万円までなら出せる」と、離脱の見返り条件を提示。(中略)
「しかし、福田住職は、この離脱勧誘を拒否。逆に、10月下旬に『離脱勧誘始木記』『創価学会幹部3名による離脱勧誘の件』なる文書を宗門内外に配布し、久野氏らが5000万円の条件で離脱を勧誘してきたことを明らかにしたんです」(学会ウオッチャー)(平成12年4月27日号 週刊実話)
→この内容をバラされ、学会は事実無根として提訴したのだが、東京地裁では、原告(学会)が5000円を提示したことを認定した。
- 1992.10.8
- 日忠上人250回忌法要(総本山)
猊下「…今日、創価学会は様々な誤りを犯しておりますが、そのうちの一つとして、最近、彼等が決めた観念文には、日目上人までの御報恩はあるけれども、日道上人以下は全く削ってしまっております。これは実に、報恩の道にも外れ、また、仏法の伝承の筋道にも全く反したところの我見・我意の在り方であり、我々は今後、その謗法の姿をはっきり指摘していくべき必要があると思うのであります。本宗の正しい法脈はけっして日目上人をもって消滅したのではなく、常に唯授一人の血脈付法をもって伝えられておるのであります…」(大日蓮561) - 1992.10.12
- 墓苑事業は財源確保のため
《この幹部は、懸案のご本尊問題について「学会は(宗門所蔵の)ご本尊は無視する方向。日蓮大聖人や昔の法主の別のご本尊を復刻する方向も検討されている」と語った。また学会の財源にもふれ、財源確保のために学会が以前にも増して墓苑事業に力を入れていく方針であること、既に滋賀に墓苑を作るために土地探しをしていること、滋賀の墓苑の土地探しでは学会内で黒い噂が出ていることなどを明かした。》 (『乱脈経理』矢野絢也 講談社) - 1992.10.15
- 1地区1人の三桁財務推進
「1地区(※約50世帯前後の学会員)から1人の3ケタ会員を出せ、というのが幹部の口上なんです。3ケタ会員とは、Ш万円以上納金する会員のことを指すんですよ。金額が少ないと信仰が足りないと言われるし保険を解約したり、借金までして納金する中堅幹部もおりますよ」(東京の壮年部地区部長)(平成4年10月15日号 週刊実話) - 1992.11.4
- 「創価新報」 日顕猊下の芸者遊び写真捏造
日蓮正宗高僧の古希祝いの席に夫人同伴で招かれた日顕猊下の写る写真に、トリミング、修正を加え掲載。同月18日号にも連載された。【資料➡】
➡これほどのことをやりながら、破門を非難する集団は常軌を逸している - 1992.11.12
- 浄圓寺 日蓮正宗から離脱
所蔵する日寛上人御書写の本尊をのちに、創価学会がコピーして販売。 - 1992.11.13
- SGI初代教学部長に斉藤克司が就任
- 1992.11.14
- 池田 御本尊はちゃんとある発言
「どうか、エー、私たちは、大聖人の本当の直結の、マァ、御本尊も、ちゃんとありますから。何も心配はありません。正々堂々と、世界の創価学会、ネ、“世界創価宗”、“日蓮創価宗”で参りましようッ。永久に、永久に日顕宗とは訣別しますッ、みんなッ」(平成4年11月14日 第十五回SGI総会 『今、改めて問う創価学会・公明党』) - 1992.11
- 学会員『コーヒーカップ事件』起こす
川崎市の日蓮正宗・持堅寺に息子の遺骨を受け取りにきた学会員夫婦と付き添い幹部は、いったん寺を出て遺骨をコーヒーカップに入れ替える工作をした後、寺に戻り抗議をした事件。 夫妻は寺を訴えたが、矛盾を指摘され敗訴。寺側に慰謝料20万円を払うよう命じられた。 この種の事件が全国で一斉に起きた。【詳しくは】 - アメリカSGI初代理事長退任
アメリカ広布の立役者で会長の座も噂されていたジョージ・ウィリアムス氏がこの年、名誉職となり第一線から退く。後任にフレッド・ザイツ氏が就任、約10年間勤める。ウィリアムス氏はその後、名を聞くこともなくなった。つまり池田離れとなった。 - 1992.11.24
- 山崎尚見副会長インタビュー
――とにかく学会としては、絶縁されても、あくまでも日蓮正宗で行くわけですね。
もちろんです。改めるべきは″日顕宗″の方ですからね。
――学会側から折れて、和解へという道はありませんか。
こちらが折れることは、絶対にありません。ただし、宗門が反省すれば話し合いにはいつでも応じる用意はあります。(平成4年11月24日号 週刊読売) - 1992.11.29
- 第6回東京総会(東京戸田記念講堂)
池田「…正宗は学会によって正宗になったのである。現宗門は、学会を破門にしたことによって、再びもとの大謗法に転落した。学会を切ったと同時に、正宗としての命脈は断絶した…」(聖教H4・12・1) - 1992.12.12
- 反人権・暴力発言
「あの!まあ日顕なんか、その(嫌なヤツの)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)」全国青年部幹部会 - この年ころから、全国の末端組織に「日顕撲滅対策委員会」を設置。
'93年 大阪で配布された活動の一例と撲滅祈念カード → - 『勇気のエンジン』大作戦大綱」と題する行動マニュアル
テーマ 御供養泥棒 漆畑行雄、その袈裟をはぎ返せ!
目的
(1)極悪日顕の手先、法住寺の漆畑行雄の悪業を白日の元に晒し糾弾する。
(2)会員を悪の手先から守り抜き、断じて『寺に行かない・行かせない』 活動について 2/4『追放大会』参加者が『【元初の同志】グループ』として、誓いを立て、今までのビクトリー 活動を発展させ、以下の活動を展開する。
(1)D作戦チーム(CUTされたら取り返す。脱会者・法華講にアタックする脱講チーム)
(2)特別個人指導班
・A班(葬儀・法要・墓・納骨の問題等に回答できるスペシャリスト。別名、メモリアルチーム)
・B班(宗門問題解説班、寺信心の色のついた人の脱色作業を行なう。※廃案になった名称、ハイターチーム)
・C班(主に怨嫉問題等で活動しなくなった人へ手をさしのべられるチーム。別名、人間復興・ルネサンスチーム)
(3)FOCUSチーム(漆畑行雄、女房、所化の悪業を暴くネタ取材班)
(4)賢者の利剣チーム(ミニコミ誌・仮称『利剣』を新たに編集発行する)
(5)特攻野郎Sチーム(男子部の特殊潜行活動班。別名、鉄砲玉)
(6)ワイフ・キャッチャーチーム(女房を徹底糾弾する、婦人部の追っかけチーム)
(7)四条金吾チーム(壮年部の特別抗議行動チーム。別名893部隊)
(8)十羅刹女チーム(婦人部の電話抗議行動チーム。別名、極道の妻たち)
(9)ネットワークチーム(寺周辺地域包囲対策作戦、略称、ネット)
(10)パトリオットミサイルチーム(今だに来る寺からの郵便物の回収作業班)
(11)ナポレオングループ(前進を合言葉に、不可能を可能にする唱題会の参加者。
※廃案になった名称、わら 人形グループ)
(12)広布の使者チーム(聖教新聞、創価新報を内部未講読世帯に推進する)
以上、本部・支部・地区のビクトリー責任者が核となって行動します」
➡妨害・個人攻撃・・・これが公益を行う宗教法人のやることでしょうか。 - 1992.12.23
- 池田、婦人部懇談
「御書には、『開眼』『開眼供養』の話は十七カ所で用いられているが、そのほとんどは、この『真言による開眼』を破折され、『法華経による開眼』でなければならないことを教えられた御文である……実は、仏教で『開眼』について言われだして以来、その仏事は僧侶の重要な『収入源』となった。いくら立派な仏像を作っても、『特別の修行』をした僧の『特別の儀式』によらない限り、何の意味も生じないというのである。当然、『開眼』は、僧侶たちが『かせぐ』絶好の機会となり、『権威を高める』良き機会となったのである」(聖教H4・12・25) - 1992.4.12
- 三菱商事 ルノアール絵画取引で書類送検
ルノワール疑惑では、当初、14億7500万円もの不明金が出た。その後、国税局の調査で11億円余の行き先は特定(ダミーの可能性もあるが)できたが、いまだに3億円の行方は不明となっている。巷間、その3億円は、創価学会のウラ金として池田氏に流れたのではないかと見られている。
「だいたい美術部門があるにもかかわらず、不動産の開発が主であるディベロッパー事業部が、絵画取引を行っていること自体、不自然だ。平成4年の12月に、三菱商事は、警視庁防犯部から古物営業法違反の疑いで東京地検に書類送検されたが、三菱商事がなぜ、そこまでしなければならなかったのか。そこまでして協力しなければならない相手、かばわなければならない相手が誰かは容易に想像がつく」〈某紙社会部記者)(平成6年7月7日号 週刊文春)
平成5年
- 1993.1.1
- 札幌市・仏見寺に対する嫌がらせ起こる
「僧侶、脱会した法華講員などに対する嫌がらせや暴力事件も頻発している。特に、上田さんが所属する仏見寺に対しては、昨年1月1日から3月末までの3ヵ月間に、実に1031回もの嫌がらせ電話がかかっているほか、「住職がたいへん、すぐきてくれ」とのニセ110番通報、即番通報も起こっている。また、最近、公明党道会議員のT氏夫人らが中心となって、仏見寺周辺に、住職が「婦女暴行未遂で逮捕される」などという事実無根の中傷ピラがまかれてもいる。
「ビラは、「町内を明るくする会』という名称で発行されており、連絡先に仏見寺と大石寺の電話番号が記載されています。実に卑劣なやりかたです」(仏見寺
法華講関係者)(平成6年5月26日号 週刊実話)
- 1993.1.21
- シンガポール創価幼稚園開園
- 1993.1.27
- アメリカSGI&関西合同総会での異常発言
「ハワイ!(中略)マハロー! マハロー! バカヤロー! バッハロー!」 - 1993.1
- 「創価学会と公明党を守る、それが公明党だ」
池田 公明党・斉藤鉄夫氏への指導 - 1993.1.25
- アメリカSGI合同総会
「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。」 - 1993.2.7
- フランスで法人「日蓮正宗仏教寺院」許可
- 1993.2.22
- 「聖教新聞」(2月22日付)でいわゆる芸者写真を撮ったこと、その日時、場所を離脱僧・椎名法昭が告白。
- 1993.4.1
- 宗務院 全国37布教区を38布教区とする
- 1993.5.3
- 池田ついに御本尊否定発言
「宗教の究極は、板曼荼羅ではなく、久遠元初の法である」
●宗門教義
「要は法華経とは寿量品文底の三大秘法でありまして、その実体は大聖人の大曼荼羅本尊にあらせられるのであります。ここに注目すべきは、妙法蓮華経は宇宙の真法であって天地間に遍満しておるというものがありますが、それは理性でありまして、報身も欠如しており因行果徳も具わらないのであります」(大日蓮 昭和30年5月号 日淳上人) - 1993.5.5
- 大聖人直結・血脈不要発言
「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」
➡池田はこれまでの教義を否定と肯定を繰り返す支離滅裂状態に - 1993.5中旬
- 池田 公明議員に俺を守れの叱咤
「池田名誉会長は、証人喚問問題が国会で浮上して以後、『俺を守れ。なんとしても証人喚問を潰せ』と側近に当たり散らしている。
その意向を受けて公明党は喚間阻上に全力をあげたが、改新騒動によって社会党が政権を離れ、少数与党になってしまったため、創価学会・公明党の危機感は非常に強まった。そこで、5月中旬には、公明党の各議員に昭和45年の言論問題の時と同様、あらゆるパイプを使って、池田喚問を阻上しろとの指令が出されたほどだ」(公明党関係者)(平成6年8月4日号 週刊実話) - 1993.5.27
- ルノアール絵画事件で画商・立花女史逮捕
立花氏はこの件について、告白テープの中で、
「わたしがもし何か言ったら、ただしや済まない。みんな刑務所行きよ。わたしは爆弾を持っているのよ」
行方不明の3 億円は.
「(八尋)副会員に行った. 池田(大作創価学会名誉会長) がノーペル平和賞を欲しかって、そのため白工作資金だった」と話している。
その後、立花女史が池田大作名誉会長宛に書いた「ルノアール絵画取引の真相を日外しないことを約束するかわりに、計10億円の令を受け取る」という内容の「10億円念書」の存在が明らかになった。 (平成5年6月11日号 フォーカス)
- 1993.7.7
- 第六十六回本部幹部会
「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。……ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまりウケない)……駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」 - 1993.7.18
- 衆院選52議席
- 1993.8.8
- 内閣成立前に学会系議員からデエジンが出る発言
「すごい時代に入りました、ねー、そのうちデエジンも何人かでるでしょう、ねー、ね、もうじきです、あしたあたり出るから、あのー、あの、みんな、みんな皆さん方の部下だから、そのつもりで」第69回本部幹部会 - この日、わずか3時間の間に次のように立て続けに幹部会が開かれる。 総務会、参議会、教学部最高会議、県長会議、責任役員会。責任逃れのためか、池田はいずれの会合にも出席せず。
- 1993.8.14
- ブラジルの正宗寺院住職へ妨害騒ぎ
一乗寺の井尻執道住職含じが、ウルグアイの信徒の指導のために現地入りした。首都モンテビデオの空港で入国手続きを済ませロピーに出てきたところ、ウルグアイのSGI (創価学会インタナショナルメンバー約二十人に取り囲まれ、
「何で来たんだ、帰れ帰れ」
と怒鳴られたり、こづき回されたりした。出迎えの日蓮正宗信徒が大声で警察を呼ぶと、SGIのメンパーは退散した、という。「私を囲んだ人たちのなかに駐ウルグアイ日本大使館の職員で、ウルグアイSGI幹部のAさんの姿を見たんで、「ハハーン」と思いました。Aさんは、その日、日本からウルグアイに帰国したんですが、到着便は私の乗った飛行機より二、三時間前に着いています。おそらく私が行くことを知って、SGIのメンバーを集めておいたのではないでしょうか」 (井尻住職談)
井尻氏の話では、帰国するときも、B氏を含むSGIメンバーが空港で待ち受け、「今度来たら、ただじゃすまないからな。みんなで登山(本山である丞石寺に参拝すること)をするといっているが、絶対させないからな」などと、罵声を浴びせられたという。 (平成6年6月17日 週刊朝日) - 1993.夏
- 博正氏 将来は宗門との和解望む
博正氏に近い筋が明かす。
「93年の夏に、親しい友人にこういっていたのです。『自分は跡を継ぐ気はない。創価学会も親父の代はこれでいいのかもしれないが、その後、宗教団体として存続していくには、日蓮正宗(宗門)との和解をはじめ、機構改革も考えねばならない』とね」(平成7年1-6日号 週刊ポスト) - 1993.9.9
- 教徳院に重竹御住職赴任
浄円寺の配下となった浄円寺のほど近くに宗門は教徳院を建立。赴任した重竹御住職は学会出身の第一号僧侶で、御住職への批判ビラが撒かれる。(平成5年10月30日号 週刊現代) - 1993.9.7
- 最高裁 管長訴訟で自称正信会の上告を棄却、却下判決確定
- 1993.9.16
- 大御本尊が根本であることは変わらない
大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。池田発言。(第1回アメリカSGI最高会議 平成5年9月16日 「創価のルネサンス」60) - 1993.9.20
- 聖教新聞 『自分で開眼できる』
「拝する側の『信力』『行力』によって、御本尊の『仏力』『法力』は発揮する。これが本来の『開眼』の意義である」「従来は御本尊に関する権能が法主一人に限られたが、現在は『一閻浮提総与』の意味からも法主一人に限定する時代ではない」 - 1993.9.20
- 『ニセ本尊』作製発表
10月に販売開始
学会は、どこの末寺でもない離脱僧の浄圓寺(栃木県)に祀られる日寛上人書写の御本尊を改ざんし、会員の3000円で販売。 商品としても表装に見せかけた一枚刷りのの粗悪品。【資料➡】 - 離脱僧に『創価学会の本尊授与に関する法門上の見解』を発表させる 創価学会はニセ本尊があたかも、僧による認可があり正当なものであるかのように画策。
- 1993.9.30
- 聖教新聞 52年路線の本尊模刻製作者・赤澤朝陽の捏造コメント掲載
- 1993.9.22
- 博正副会長 スペインの大学に勲章要求
国立マドリード・アウトノマ(自治)大学を訪問した際のことを同大学関係者が証言。
「会談で、博正氏ら創価大学側は寄付の申し出を行ない、見返りとして池田大作氏に何らかの名誉称号を出してほしいと、強く要請したそうです。博正氏はしきりに″父が、父が″と大作氏の偉大さを強調していたようなのですが、そんな博正氏に対して、総長は、線が細くて頼りなさそうな人物との印象を受けたようです」
実は、同じようなことが過去にも起きている。83年スペインを訪問した池田大作氏は、やはリマドリードにあるコンプルテンセ大学を訪れて、図書1000冊を寄贈した。
「このスペイン訪間を前に池田氏の秘書グループである第一庶務から、当時スペイン支部長だった私のもとに連絡が入り“称号を出してもらえるように交渉しろ、金で買えるものならいくらかかってもいい”との指令があったのです」(前出・野口氏) (平成7年1-6日号 週刊ポスト) - 1993.10.24
- 東京牧口会館開館式(八王子)
300億円をつぎ込み、内外装に贅を極めた地上8階建ての学会の象徴的会館。最上階は幹部も入れない池田専用フロア。 創価大学が隣接するこの一帯での土地買収を巡り、暴力団が暗躍。地元不動産会社役員は「静岡の富士宮市に本拠を置くG組と、一時は真剣に富士宮市政を占拠しようとしたといわれる学会の、いうなれば腐れ縁だよ」と語る。 G組は'92年3月に司令部を東京へ移したとされ、とっかかりの仕事が八王子とされる。 - 1993.10.25
- 聖教 牧口記念会館に「学会常住御本尊を安置」と報道
➡この御本尊はかつて学会本尊に安置されてきた、大法弘通慈折広宣流布大願成就の紙幅御本尊のこと。本尊模刻問題では、紙幅御本尊が痛むとして、学会が板御本尊を作製したあのだが、その理由が後付けのウソであることが証明されたに等しい。
- 1993.11.12
- 秋谷会長 日顕上人の御本尊問題ない
――創価学会幹部は今の日顕上人が書写したものを本尊として拝んでおり、矛盾しているという指摘もあります。
秋谷 矛盾はしていない。写したもとの御本尊が大事であって、写した人がどうであっても影響はありません。(平成5年11月12日号 週刊朝日)
- 1993.11.18
- 『新・人間革命』連載開始(聖教新聞)
- 1993.11.29
- 創大卒の金沢仁検事が参考人に暴行して逮捕
「初日の十月十三日の調べは、夕方から翌日午前一時まで七時間に及んだ。金沢元検事はいすの足をけとばして座っている専務をはじきとばしたり、背広のえり首をつかんで上体をゆすぶったりするなどの行為をそれぞれ数十回繰り返した。 ひどい暴行があったのは翌十四日で、専務を壁に向かって長時間立たせた上、質問に答えられなかったりすると、後ろから繰り返し腰のあたりをけり、額や腹部を壁に激突させた。 「豚野郎」「猿野郎」「半殺しにして帰してやる」などと大声でどなりつけながらわき腹やももをけった。 調べがうまく進まないときは、靴のままで正座させ、土下座の状態で首や後頭部を繰り返し踏みつけ、額を床にぶつけさせた。 また、顔を数十回平手でなぐったため、口の中から出た血が机の上に飛び散った。 これらの暴行で、専務は口や耳、首、腰などに一週間のけがをした。 「私は検事さんにうそをついたら死にます」という「誓約書」も書かせた、という。」 朝日新聞 1993.11.29 - 1993.12.8
- 自民・渡辺氏 学会の脱税もみ消し発言
与党有力議員である渡辺美智雄氏は11/26の講演会で「自民党がかつて国会で法案を通すために創価学会の脱税もみ消しをした」と発言。この発言に対し改めて朝日新聞のインタービューに下記のように答え、8日、朝日新聞に掲載される。 「時の権力者が何もしないで、(創価学会が)国税Gメンをフリーパスできますか。国税側に歯ぎしりしている人がいっぱいいる。(時の権力者は)何代もある。知っているんだから」 - 1993.12.16
- 立正佼成会と会談
学会から西口浩ら、立正佼成会から布施浩志理事らの両者最高幹部は都内ホテル・ニューオータニにおいて会談。
「西口副会長から布施あてに直接お電話をいただきました。とにかく会いたいというのでお会いしました。宗教協力を標榜している以上、会いたいというのに拒否する理由もありませんので」(立正佼成会広報課)(平成6年3月24日号 週刊実話) - 1993.12.19
- ガリ国連事務総長と会見
平成6年
- 1994.2
- 自民議員 衆院予算委員会で「SGIから海外に流れる資金は適法に送金されているのか」と質問。
大蔵省(当時)答弁「個別の取引きについては言えない」
- 1994.2.3
- 脱会者へ嫌がらせ
埼玉県狭山市で一人暮らしの老婦人が昨年12月7日亡くなった。海老原敏子さん(62歳)である。直接の死因は脳内出血だった。
だが、元創価学会員で、学会を脱会後は、日蓮正宗法華講に所属していた海老原さん宅には、連日、学会が挙て押し寄せ、がらせを繰り返していた。(中略)
海老原さんが創価学会を脱会し、隣接する所沢市の「能安寺」の法華講(日蓮正宗信徒組織) に所属した平成4年以降、この家に異変がおこる。創価学会員が大挙して押し掛け、強談判に嫌がらせを始めたのである。
(近所の住人)
(中略) 度重なるいやがらせに対抗するため、上松さんは玄関先に「創価学会の皆さんへ、悪質なイヤガーフセはやめてください」との張り紙をだした。
その婦人部幹部のKさんは、しばしば海老原さん宅にも押し掛け、「ここから出て行け」と激しく海老原さんを攻撃していたという。
そうした学会員の攻撃を海老原さんはどう受け止めていたのか。海老原さんは、死の直前、自分の気持ちを「能安寺」法華講負の今川千恵子さん(仮名)に次のように語っている。 「亡くなる日前に私の家で行われた会合に見えたとき、『今川さん、お願いがあるの』といわれるので、『なんですか』と答えると、ポストに張りたいので、学会員に『もうこないで欲しい』という張り紙を書いてくれ
と言うのです。海老原さん宅には『打倒・日顕・坊主・海老原ますます力の入る題目』というメモまで入れられていました。もうやめて欲しいという気持ちだったのではないでしょうか」 その3日後、海老原さんは買い物中に気分が悪くなり帰宅し倒れていたところを法華講員に発見される。(中略) その海老原さんの、検視にあたった狭山署では「病死」と発表している。ところが地元狭山、所沢の学会組織では、「法華講員が変死した」「海老原は血の海の中で死んだ」などと喧伝していると言う。
(平成6年2月3日号 週刊実話) 資料➡
- 1994.2.27
- 毎日 学会は他宗と共存共栄図ると報じる
毎日新聞は東京のホテルで両者幹部が会談した内容に触れ、学会からは「これまで他の宗教団体と接触してこなかったのは、日蓮正宗の指導方針があったため。日蓮正宗から独立した以上、他宗教と交流を深めていくのは当然」(毎日新聞 平成6年2月27日付) 【資料➡】
【池田氏・すべての邪宗を撲滅発言(音声)】 - 1994.4.13
- 北海道の護念寺住職の葬儀に嫌がらせ騒動
(平成6年5月27日 週刊ポスト)
- 1994.3
- 創価邪説「日蓮思想の革新―凡夫本仏論をめぐって」発刊
最高幹部への池田発言
池田名誉会長指導としてマスコミ、宗門にFAXされた文書には、
一、今年が勝負だ。大勝利でいけ。今年が勝てば、あとはこっちのものだ。
一、宗門問題ももっと強気でやれ、心配するな。何の為に公明党を作ってきたのか。警察も大丈夫だ。
一、いよいよ学会の時代だ。天下をつかんだ。(公明)党の名前は、もういらない。国会も伸一会にまかせておけば大丈夫だ。
一、1人や2人の造反者にビクビクするな。あんなもの虫ケラだ。ふみつけていけ。仏子を裏切ったら地獄へ落ちるんだ。
一、私は世界だ。日本はせまい。世界が私を待っているんだ。(日本の)あとは、しっかりと守っていけ。
一、石原慎太郎(衆議院議員) の孫が死んだ。本当は死ななくてもよかったんだ。仏罰だ。創価学会をバカにしてる。なめているんだ。
一、私に会えば福運が付く。反逆し、敵対すれば地獄に落ちるんだ。きびしい仏法の法則ですよ。よく覚えておきなさい。(平成6年4月14日号 週刊実話)
と記されている。ただし真偽のほどは判らない。
- 1994.5.7
- 池田 市川外しか
「彼は私を利用しようとしているんだ」
創価学会の池田大作名誉会長の日から、こんな発言が飛び出したのは、今月七日と十二日に行われた婦人部最高幹部との懇談会の席上。彼というのは、公明党の市川雄一書記長のことである。
「懇談会では、婦人部側から、市川書記長と小沢一郎氏の一・一ラインの強引な手法、特に国民福祉税問題について非難の声が上ったんです。それに対し、池田氏も遠回しに同意したのがこの発言ですよ。いよいよ″市川はずし″を始めるという宜言ととってもいいでしょう」(学会関係者)(平成6年5月26日 週刊新潮)
沖縄・仏法寺住職が暴漢に襲われる
地元の信徒によると、寺院にいきなり木刀を持った男が現われ、
「お前を殺してやる!」と、叫んだ後、夫人の目の前で菊池住職を、10数回にわたって殴打、車で逃走した。
ほどなく容疑者が逮捕され、現在、犯行の動機について捜査中とのことだが、こうした暴力事件はこれまでも何度かあった。
マサカリを持った男が寺院本堂に侵入し、太鼓をぶち壊し、住職のエリ首をつかまえて、本堂中を引き回すという手荒な暴力。胸に水中銃を向けられ、脅かされた住職もいる。(平成6年5月27日 週刊ポスト)
- 1994.5
- ワシントンから各地に「オザワ批判リポート」配布
同リポートでは小沢一郎氏が池田氏の政教一致に協力、ノーベル平和賞獲得に向け加担していることや、ブッシュ大統領によって捕らえられた麻薬王・ノリエガが吐かされた内容の中に、創価学会・池田大作氏が学会の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していたことなどが書かれている。【詳しくは➡】
- ➡麻薬王ノリエガと池田氏は3回ほど会談していると思われる。
著名人とそれほど会談するのもよほどの仲といえるが、学会がそのじっこんの仲の証拠を隠したがるものに、『ノリエガ庭園』というものが白糸研修所に存在した。ここは全国に数ある研修所の中でも草創期から存在する、学会の施設としても象徴的なのもである。しかし、学会はノリエガが逮捕されるやその痕跡を消したのだった。
ドイツ・ビンゲン市の古城を買収
場所は、ライン川を眼下に見下ろす景勝の地。公園のような庭を構えており、周囲のぶどう畑などを含め広さ%惨(約7万6000坪)という広大な古城である。ドイツの高級紙『フランクフルター・アルゲマイネ』が報じたところによると、買収価格は推定で600万マルク(日本円で約3億7200万円)だという。(平成6年7月1日号 週刊ポスト) - 1994.5.26
- 池田 ローマ法王へ親書情報
今回の訪欧で羽田総理が驚くべき「役割」を果たしてきた、という情報が政界に浮上している。何と羽田首相は、創価学会名誉会長・池田大作氏の「密使」であったというのだ。
信頼すべき複数の創価学会関係者の証言によれば、
「訪欧に際し、羽田首相はある『親書』を携えていったんです。それは池田大作氏からローマ法王に宛てられたものでした。無論、学会の意を受け、羽田首相に指示したのは小沢一郎です。当初の日程では、羽田首相はパチカンでローマ法王ヨハネ・パウロニ世と会見することになっていました。ところが出発直前になって法王が入浴中に転んで大腿骨を骨折、会見は中止。結局、羽田首相はパチカンの総理大臣に相当するソダーノ国務長官を表敬訪間するにとどまりましたが、ローマ滞在中にバチカン側に『池田親書』を秘かに手渡した、と学会内部では言われているのです」(平成6年5月26日 週刊文春) - 1994.6.2
- 東北組織で多額の財務使途不明金
「昭和60年頃だったと思う。東北文化会館勤務の女子職員にヤクザのヒモがつき、学会の金に1000万円を超える使途不明金が出た。横領なのが使い込みなのか、学会は大慌てとなり、秋谷(栄之助)会長が来て、調査が行なわれた。その結果、女子職員ばかりではなく、当時の東北長(副会長)に5000万円、宮城県長の副会長に2000数百万円、東北婦人部長に1300万円もの使途不明金があることが発覚した。学会では、東北長を総合長に棚上げ、宮城県長を福島の郡山平和会館詰めに左遷するなど処分を行なった。もっとも処分は形式的なもので、池田氏に取り入っていた東北長はすぐに復権した。しかし、宮城県長は完全にパージされ、現在、飼い殺し状態になっている。もともと県長は、仙台の国分町で飲み歩いている東北長のために会館に布団を準備するような腰ぎんちゃく、忠実な子分として出世してきた人物。それだけに東北長にスケープゴートにされたといわれている」(元学会古参幹部)(平成6年6月2日 週刊実話) - 1994.6.5
- 直結信心論展開
「成仏は自分自身の『信心』で決るのであるのであって、『聖職者』の介在によって決るのではない。『直接』こそ仏教本来の在り方である。『日蓮大聖人直結』の創価学会の信仰こそが正義なのである」聖教新聞 6/5付 - 1994.6.7
- 池田 本尊替えたければ替えればいい
「御本尊。御本尊は大事だからさ。日顕の替えたければ替えてもいいしさ。自由でいいですよ……自由奔放にしなさい」(平成6年年9月7日 第70回本部幹部会) - 1994.6
- 反創価学会組織 『四月会』発足
学者、文化人、ジャーナリスト、宗教団体、自民党の政治家などがあつまったアンチ創価学会組織。代表幹事は俵孝太郎氏。国会議員84名。 - 1994.6.16
- 聖教 「秋谷会長の談話」
「大石寺にどのような登山が行われ、何人集まろうと、もはや、我々とは一切関係ない」 - 1994.6.24
- イタリア人も呆れた池田大作「賞獲り旅行」悪評録
池田氏がフィレンツェからボローニャ入りしたのは5 月31日。高級ホテルに宿泊した一行は40室以上を押さえた。
「彼は宗教家なの?ボディガードを連れて?宗教家って死をも恐れず人々の間に入っていって語り合うものだと思ってたけど… … 。マフィアかと思っちやったね。ヘー、そうなんだ」。静かで落ち着いた雰囲気のホテルを愛する地元住民は池田氏について、こんな感想を語っている。
史上2番目の名誉博士号(もう一人はかつての仏首相ドロール氏)なのに、「地元のTVすら取材に行かないのはニュースだ」とは地元記者。ローマ法王との会見も「派手に世界中がら賞を受けている宗教家であれば黙っていても謁見を許されるはず」(バチカン担当記者)なのに、いまだに招待されないのは、どうして?(平成6年6月24日 フライデー) - 1994.7.8
- 脱会したら創価高校を退学しなきゃダメ!?
創価学会と日蓮正宗の対立が続くなか、東京・小平市にある創価高校で「転向」を理由に、生徒に退学を強要するという信教の自由を揺るがす、「事件」が起きた。
B 教諭は、母親にも同様の「警告」をした。
「電話で『本人が最近、学校を辞めたいと友だちにもらしている』というので「そんなことは絶対にありません。楽しくてしようがないはずです」というと、「池田批判をしましたね。他の生徒は池田先生を求めて来ているのだから、困るんです」というのです」(母親)
とにかく来てくれというので、母親は、重大な問題と思い、弁護士らを伴って学校を訪れた。が、弁護士が名刺を出すとB教諭は姿をくらましてしまい、代わって応対に出た総務課長らは、母親の「学会員でなければ通えないのか」などの質問に即答しなかった。後日、弁護士宛に、「そのようなことはない」と回答してきたが、A君によると、その後も、「池田名誉会長の著作の勉強会に出るように」と指示されるなど、プレッシャーをかけ続けられているという。(平成6年7月8日号 フライデー) - 1994.7.14
- 朝日新聞 「渡辺元蔵相、国税長官に口利き」報道
➡学会の国税調査に対しての発言 - 1994.7.16
- 平成新編日蓮大聖人御書発刊
- 1994.7.21
- 学会 宗門僧侶死亡事故に号外発行
日蓮正宗深妙寺・大橋信明住職は国道を走行中、センターラインからはみ出し対向の2tトラックと激突、4時間後に死亡。この死亡直後に、深妙寺に創価学会員から「住職が事故を起こした」と連絡が入る。(追跡していた可能性が濃厚) 更に、事故の2~3時間後の真夜中、遠く離れた札幌市内で『遂に日蓮正宗天罰下る!室蘭 大橋住職交通事故死!ガードレールに衝突し、10:20頃死亡した』と号外がまかれた。 この時の対向車のトラック運転手は創価学会員(地区部長)であったが、号外ではトラックの存在を隠し事実を歪曲。 【学会がまいたと疑われるチラシ➡】 - 1994.7.24
- 地涌6万大総会(大石寺)
学会 6万人登山阻止できず
「6万総登山の阻止が無理なので、勝利宣言する形で撤退をはかった。理由は2つ。1つはダメージを最小限に抑えるために、会員の目を6万総登山からそらせること。そしてもう1つは、5月23日の亀井静香代議士(現運輸大臣)の国会質問によって、警察が創価学会の日蓮正宗攻撃の違法性について厳しい態度を示すようになったため、これ以上続けるとまずいという判断に立った。勝利宜言などと称しているが、事実上の敗北宣言だ」
(学会本部関係者)(平成6年8月11日号 週刊実話) - 1994.7.28
- 池田長男・博正氏(41)副会長就任
長野県軽井沢にある長野研修道場で最高会議を開催し、新たに34名の副会長が誕生 - 1994.8
- 池田腹心・細谷昭副会長失踪
週刊誌各誌が一斉に報道
「愛想を尽かして細谷が失踪したことは、池田にとっては大ショックでした。軽井沢に十数名の最高幹部を集めた首脳会議の席でも″弟子が憎くて叱る師匠はいないのに・・・・ ″ と珍しく弱音を吐いているんです。それもそのはずで、細谷は、実は姿を晦ます時、学会のカネの出し入れを網羅している財務のフロッピーを持ち出しているんです。もし、これを国税にでも持ち込まれたら学会は終り。脱税摘発を狙う国税当局に学会の経理状況がすべて明らかになってしまうんですから・・・・」(学会関係者)(平成6年9月1日号 週刊新潮) - 1994.8.4
- アメリカSGIメンバーは2万人
「現在どれくらいの学会員が全米にいるのかということは興味深い問題です。八〇年代に、米国SGI名誉理事長のジョージ・ウィジアムスは五十万人の信者と、ワールドートジビューンの発行部数十万部を目指していました。ところが、九四年の今日で、ワールド・トリビューンの発行部数は二万部であることが明確になっている。これは驚くべき減少です。またマクロスキー副理事長は、マスコミには、米国SGIは三十五万人の信者がいると話していますが、最近、あるグループに対して、実際の数字は、ワールド・トリビューンの部数と同じ二万人に近いと認めているのです」(平成6年8月4日号 週刊新潮) - 1994.8.18
- 元盗聴犯・稲垣和雄氏証言
最初に私が関与したのは昭和48年に創価学会が、房総半島の中程、千葉県保田町にある日蓮正宗の古刹「妙本寺」に対し行なった盗聴でした。当時、妙本寺は、反創価学会グループの急先鋒である松本勝爾氏(元民音磯員で内部造反)らと結んで、日蓮正宗宗門から離脱し、一派を構える動きを見せていたのです。これに手を焼いていた創価学会は、山崎師団の広野輝夫君(当時、学会学生部主任部長)、竹岡誠治君(当時、学生部常任幹事、後に学会副男子部長。いずれも宮本盗聴事件の実行犯で、広野は盗聴機の作成に従事。竹岡は電柱への取り付けと撤去作業を担当した)、北林方典君らを妙本寺に送り込み、門前に建てられた学会外郭企業の栄光建設の飯場の2階をアジトに、数力月間にわたって電話盗聴、発信機による盗聴、見張り、尾行などを続けました。(平成6年8月18-25日号 週刊実話) - 1994.8.24
- 池田三男・尊弘氏(36)副青年部長就任
昭和33年4月生まれの尊弘氏は、創価大学出身で、卒業後、大阪の創価学園で教師を務めていた。長谷川重夫副会長や池田家の家庭教師だった宮川清彦副会長らの側近グループと、正木正明、忍田和彦氏ら創価大27人グループが存在するとされる。 - 1994.8.25
- 公明都議 学会員を都営住宅入居の口利き証言
「当時のことで鮮明に党えているのは、公明党の品川区議から依頼されたIさんという学会員の婦人のケースでした。Iさんは都営住宅に入りたくて、抽選の申込みをしたが、外れてしまった。彼女の清貧な身の上話を聞くうちに、なんとか助けようと思いまして、住宅局の幹部に、なんとしても入居させてやってくれとお願いしましたよ。まもなく、大田区内の空きが出た都営住宅に入居できた。ほかの公明党議員だって、経験があるはず」(平成6年8月25日号 週刊文春) - 1994.9.2
- 反逆者断罪宣言
「2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。(略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」聖教新聞
➡たとえ対立する者であっても、成仏へ導くのが仏法であり、学会は名実ともに大聖人に違背し、カルト集団へ。 - 1994.9.12
- 池田 ガリ国連事務総長と帝国ホテルで会談
「年間数千億円もの財務を集める創価学会は絶好のターグット。ガリ事務総長は相当額の支援を池田氏に要請。池田氏もこれを快諾したといわれている。会えばお土産をもたせてくれる池田氏は、名ばかりの元首相経験者よりも重要な存在と認識してるに違いない」(政界関係者)(平成6年10月6日号 週刊実話) - 1994.9.13
- 妙栄寺に対する遺骨訴訟で学会による訴えを却下
学会員らの主張は、妙栄寺が、大阪市長の許可を得ずに納骨業務、それもズサンな業務を行い、原告らを騙して保管料を取っていた行為は、詐欺行為であり、原告らの死者に対する敬愛追慕の情を侵害しているから、慰謝料を払えというものである。
これに対し、妙栄寺側は、寺院の一隅で遺骨を預かることは宗教行為であり、原告らを騙す意志は毛頭なかったと主張。また、管理がズサンだったとする主張に対しても、相応の管理をしていたと反論していた。
平成6年9月13日に出された判決は、こうした妙栄寺側の主張を全面的に認め、創価学会員の主張を退けている。(平成6年11月17日号 週刊実話) - 1994.9.14
- 証人喚問容認、政教一致発言(記者懇談会)
「私は世界に出ていって評価を高めるんですから、日本では何をいわれてもいいんです。証人喚問だってなんともないんです。だって私は、何も悪いことしていないんだから」 「こう言うと、また政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変らないですよ。」
「つまり、公明党は新。新党にも参加する。しかし、学会は公明党以外の党の候補については、人物本位で対応を決めるということです。だから、甘くないぞと。もともと、私の理想は自公なんです。自民党だと国民は安心します。保守、中道なんてスタンスをとってきてるけど、あれはポーズであって、われわれの本質はやはり保守なんですよ。いまの情勢なら、自民、新生、公明が組めばベストなんです。昔から私はそう言ってきている。だから、自民党の候補を推すことに、なんの抵抗もありません」(平成6年10月6日号 週刊文春)
「私の理想は、もともと、自公両党による政権づくり。行きがかり上、公明党は新・新党結成に協力させるが、学会票は丸ごと回さない。人物本位とし、自民党候補者にも回します。だから証人喚問問題ではお手やわらかに願います」
(平成6年12月号 諸君) - 1994.9.30
- 米カリフォルニア州地区上級裁判所 ヒロエ・クロウの日蓮正宗への訴えを棄却
1、ヒロエ・クロウは、単なる名目的な原告に過ぎず、本当の提訴人は創価学会である。
2、ヒロエ・クロウ事件は、学会が破門後、日顕法主を法主の座から追い落とそうとして提訴した50余の訴訟の一つであり、その集約。
3、創価学会は、日顕法主を挑発する記事を学会機関紙の第一面に繰り返し掲載し、日顕法主らにヒロエ・クロウを嘘つきだと言わせるように誘っており、罠を仕掛けたことは明らか。
だとして、ヒロエ・クロウさんの主張を全面的に退け、却下の判断を下した。
「だいたい、ヒロエ・クロウの裁判闘争資金が創価学会から出ていることは、ヒロエの弁護士自身も認めており、ヒロエが創価学会のダミーであるのは明らか。
最近、ヒロエは、ロサンゼルス郊外に家を購入したとの噂も流れている。彼女は、事件の訴訟を起こすまでは金持とは思えなかった。家を買う金はどこから出たんだろうか」 (平成6年11月17日号 週刊実話) - 1994.10.7
- 池田 外遊は5つ星ホテル貸し切り
「池田大作がパリに来ると、5つ星の最高級ホテル、リッツのスイートルームをワンフロア借り切ってしまいます。また、日本からヨーロツパの創価学会に送金された金はドイツのデュッセルドルフにプールされており、幹部らはこの金を湯水のように使っていました」(フランスSGI元支部長)
「タイSGIは、プミポン国王と池田大作の親密さを盛んにアピールしていますが、メンパーに対しては、池田と国王との会見写真を、500でバーツ、300バーツ、200バーツの3種類で販売しています」(タイの元SGI幹部)
- 1994.10.11
- 自民党・川崎二郎代議士に嫌がらせ殺到
国会の衆院予算委員会で、川崎二郎代議士〈自民党)が、学会に関する質疑をしたところ、創価学会が代議士の地元で抗議集会(2回)をもったばかりか、機関紙『聖教新聞』紙上でも抗議。さらには暴力団まがいの脅迫電話や、無言電話が事務所に1日100本も殺到、関係者は身の危険を感じたという。(平成6年11月10日号 週刊実話) - 1994.10.14
- マリブ研修所に超豪華な池田ハウス
改修工事にたずさわったゴア氏証言
「天丼や壁も防音材の上に檜材を打ちつけ、すべて二重構造にした。寝室の窓ガラスも二重です。床の上には白いフワフワした毛足の長いカーペットを敷きました。ベッドは金ピカのパイプでできたキングサイズ。リムジンが3台ほど入る広さの駐車場をつぶして岩風呂も造った。ヒーターでつねに温度が華氏102度(摂氏39度)になるように管理されており、お湯が岩の上から滝のように流れ落ちる仕掛けになっていました。池田はここをたいへん気に入り、『アメリカにおける俺の家だ』と何度も語っていました」
「池田は、金曜の夜から日曜日にかけて、しばしば少数のアメリカの婦人部や女子部の大幹部を集め、特別の指導会を開いていました。一緒に岩風呂に入ることから″裸の指導会″と呼ばれており、アメリカの幹部の間では公然の秘密でした」 (平成6年10月14日号 週刊ポスト) - 1994.10.29
- 学会員ら暴行・レイプ事件起こす
札幌ではノロノロ運転のカップルに腹を立てた4人組の男たちが、運転していた男性を袋叩きにし、4人のうちの1人が女性を別の場所に連れ出して、レイプするという事件が発生した。
もちろん、事件そのものは絶対に許す事ができないが、それ以上に驚かされるのは、この4人組の中に、何と創価学会員がいた、ということだろう。(平成6年12月8日号 週刊実話) - 1994.11.7
- 被害者の会代表・八尋氏 暴行被害を語る
11月7日、東京・新宿のホテルで同会の設立記者会見が開かれた。会見では代表の八尋由夫氏(68)が、こう口火を切った。
「私はこの通り、身体障害者一級の手帳を持っておりますが、集団で乱入してきた創価学会青年部員たちに足を蹴られ、ネクタイで首をしめられるなど暴行を受け、一カ月半の入院を余儀なくされました……」
八尋氏は地元・福岡の宗門末寺「開信寺」(柏崎寿宜住職)の信徒で、事件当日、同寺院の信徒約20人が「御講」という行事参加のため本堂に集まっていた。そこに300人近い創価学会青年部員が押しかけ騒ぎ始めたことから、本堂内はパニック状態になる。 (平成6年12月1日号 週刊実話) - 1994.12
- 新進党結成 公明議員合流
➡一部参議院、地方議員を除き、公明国会議員は新進党へ - 1994.12.18
- 秋谷会長 テレビ初生出演
テレビ朝日の番組『サンデープロジェクト』に生出演。評議家の田原総一朗氏のインタピューを受けた。
田原 いくらぐらいもらっているのか。
秋谷 中小クラスの会社の社長程度。あまり金額的なことはチョット。膨大な収入みたいなものはいっさいございません。普通のサラリーマンの、中クラスの会社の社長程度と思っていただければ。
しかし、東京・四谷税務署に申告された秋谷氏の納税額は、平成4年度分で1842万1000円。この納税額から類推すると所得は、4000万円にもなる。(平成7年19日号 週刊実話) - 1994.12.22
- 学会の異常な財務強要
都内練馬区在住の増田宏久さん証言
「今から十年ほど前です。祖父が死んで父親が遺産相続した時、当時の支部長と本部長が何度も家にやって来ましてね。遺産が入ったはずだから四桁、つまり千万単位で財務にカネを出せ、としつこくいうんです。両親は五百万円出すことにしました。しかし、まだまだ少ない、と彼らはうるさい。すると、平成元年に今度は父が卒中で倒れ、私が家督を継ぐことになりました。そうしたら、今度は私に幹部が″まだじいさんの遺産が残っているだろう″と言うんです」
(平成6年12月22-29日号 週刊新潮)
学会による団地支配「団地部組織」
団地部の設置目的と活動について学会本部関係者は、次
のように語る。
「団地部は、高度経済成長によって首都圏や関西、名古屋などに多くの団地が建設され、そこに多数の学会員が住むようになった20年前の昭和48年に結成された。目的は、地域で広宣流布を進めるということだが、具体的には団地の自治会組織を学会員によって占有し、学会に有利な自治会運営を行うことで、公明党への集票能力を高めることにあった。いわば団地自治会のジャンクを図る組織、それが創価学会団地部だ」
(平成6年12月22日号 週刊実話)