平成7年
- 1995.1.17
- 阪神・淡路大震災起こる
そのニセ本尊を学会員に強制的に販売し、日蓮正宗の御本尊と交換させた。その成果が日本一であった兵庫の会館に平成六年十月池田大作自身が行き「来年は兵庫の年にする」と煽動した。
この煽動に有頂天になった兵庫の学会員は『御本尊取替勤行会』の看板を学会会館に掲げて、二日間にわたって、ニセ本尊取替に狂奔した翌日、平成七年一月十七日未明、阪神大震災が起った。(『有徳王』)
- 長田区で死んだ人の半数は学会員か?
第一回の調査の際、鷹取駅で大橋本部の地区担が「地区で五人死んだ」とポツリと言った。
その割合で計算すると、一支部七地区として四支部で、二十八地区死者一地区五人として二十八地区で百四十人が大橋本部で死んだことになる。隣の長田本部も同じだというから百四十人として、二本部だけで二百八十人死んだことになる。
長田区に五本部あるというから他の本部の分を入れると、三百人以上は確実に死んだようだ。
長田区全体の死者は七三三人(三月三日現在)だから、その半数は学会員ということのようだ。(『有徳王』龍年光) 【資料続き➡】
- 池田はこの震災を尻目に、楽園ハワイへ外遊
2月4日になって、震災とはほど遠い、大阪天王寺区の関西文化会館に顔を出す。
- 1995.1.31
- ハワイでご満悦 SGI総会に出席
池田SGI会長が白い帽子を振った。関西吹奏楽団が「常勝の空」を奏でた時だ。文化祭の第1部。潮騒がかすかに聞える浜辺のステージ。「関西の同志に届け!」「兵庫の空まで届け!」SGI会長が帽子を回した。
(聖教新聞 H7.1.30)
「アローハ! 総会おめでとう。すばらしい晴天おめでとう!]
「今回の阪神淡路大震災の折にも、その厳たる実証があったことは、皆さまもご存じのとおりである。」
その後は、震災とは関係のない話を続け、戸田会長指導を引用した。
「あせらなくても、この御本尊を持った以上は、必ずよくなるのですから、心配しなくてもいいのです。
少々苦しい時もありますが、この御本尊をいただいているからには、必ず、明朗な、人生になってきます。」(池田大作全集85巻) - 学会員国税調査官による職権乱用
国税調査官である学会員M・Kは17日、山口県にある新生佛教教団に現れ「四月会とおたくとの関係は?要するに、創価学会を批判するんですか?」と尋ねる。 - 1995.2.1
- 第二回アメリカ最高会議に出席
「いずれにしても、アイゼンハワー将軍のこの声明からは、部下たちへのいたわりとともに、指導者の責任感が、ひしひしと伝わってくる。彼が、自分に権力を集中するのでなく、自分のもとの指揮官を信頼し、彼らが力を発揮しやすいように指揮をとったことは有名である。
彼は、つねに、指揮官たちの意見に積極的に耳をかたむけた。しかも、自分自身の功績にはこだわらず、部下たちをどんどん前に出して、彼らが栄誉を受けられるようにしたのである。
手柄は惜しみなく部下に譲る一方で、何かあった場合は、潔く、すべて自分が責任を引き受ける――― 。だから、将軍のもとでは、皆、思う存分、戦うことができたという。また、一丸となって、将軍の心に応えようという団結が生まれたとされている。」(池田大作全集85巻) - 1995.2.2
- 宗門 兵庫県へ阪神淡路大震災の義捐金を寄贈
- 1995.2
- 『創価学会は検察庁の「部外秘」資料で右翼団体に分類されていた』と掲載
本資料は、東京地方検察庁検事正からの報告にかかるものであるが、その序文にも詳細に述べられているとおり、同庁公安事務室の長期間にわたる労作であって、甚だ有益なものと思われるので、執務の参考とするため印刷配布することとした。
昭和三十一年十二月
法務省刑事局
序文 一、今回当庁公安事務室において右翼団体の組織と行動の概要を取纏めて集録した。
第一編 終戦後の右翼団体
第二章 新興右翼団体 (三十九)創価学会
本会を右翼団体として集録した理由はその信条に基づく行動に暴力的な動向が顕著に窺われるからである。 (折伏の)手段として多数の青年行動隊を軍隊の組織区分に準じて編成し、この折伏の実践に当たらせるものである。
(『マルコポーロ』2月号) 【詳しくは】
- 1995.3.15
- 山崎正友氏 赤坂警察署に告訴状
被告訴人はA氏ほか「氏名不詳者十数名」、容疑は「脅迫罪、威力業務妨害罪」など。告訴状にによると、3月6日、A氏は事務所前で見張りを続け、山崎氏の外出にともない、その直後をつきまとったという。
「男は銀行の中までついてきて、カネをおろしている僕のそばでじっと睨み付けたんです。それで僕は派出所へ向かった。男は僕が派出所に入るのを見て、クルッと向きを変えて歩き出した。それをお巡りさんが呼び止めて、不審尋問した。それで住所氏名が分かったのです」(山崎氏)(平成7年年3月31日 週刊ポスト) - 1995.3.20
- オウム真理教による地下鉄サリン事件起こる
オウムと創価学会の関係
オウム事件が起こった折り、捜査に当たっていた当局の幹部はこう証言している。 「この暴力団は別のモンスター教団に食い込んでいて、巨額の報酬を得て、幹部らの警護に当たったり、反対勢力を襲撃するなどの活動をしてきた。教団施設の地上げなどにも暗躍したとかで、教団も最初は非常に重宝がっていたが、そのうち歯止めが効かなくなってきて、最近では、完全に食い物になっているようなんだ」(オウム帝国の正体 一橋文哉) - 1995.4.16
- マレーシア創価幼稚園開園
- 1995.5.26
- 学会員警察官 職権乱用
長野県での葬儀を終え、本山に戻る途中、中央高速を走行中の日顕上人の車に、突然、警察官一人(学会員)が乗るパトカーが現れ、パーキングエリアへ誘導。この模様は一ヶ月後、5/26の学会発行の怪文書『地涌』に掲載される。 - 1995.7.4
- 衆院出馬理由の変説
「本当は私は衆議院にはだしたくなかったんですよ。それは、戸田会長が『衆議院にはださないほうがよいと思う。出すとお前が誤解される』といっていました。しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、時代に即応してゆくことが正しいと判断したものです」『中央公論』4月号 - 1995.7
- 学会による遺骨裁判敗訴
寺院に預けていた遺骨を引き取ったところ、勝手に骨壷を小さくされたうえ、入りきらなかった遺骨を処分されたとして創価学会員が寺院を相手に慰謝料を求めた裁判がありました。 この裁判の一審では学会員側の主張を鵜呑みにして寺院側に慰謝料の支払いを命ずる不当な判決を下しました。
しかし、二審において、学会員が預けた骨壷の大きさがもともと小さいものであったという葬儀記録を発見し、これを証拠に提出したこと等から、判決(東京高等裁判所・平成7年(ネ)第1556号・損害賠償請求控訴事件)では、寺院に預け入れられた骨壷は、もともと直径四寸のものであったこと等を認定し、寺院側の逆転勝訴となったものです。
司法を悪用して宗門を陥れんとした創価学会側の悪事は暴かれ、かえって司法によって断罪されたのです。(東京第二布教区リーフレットより) - 1995.7.23
- 新進党躍進 1250票を獲得、自民1100万票を上回る
- 1995.8.31
- 龍年光氏事務所に学会員が奇襲
8月31日午後、元公明党都議・龍年光氏の事務所(東京・五反田)に、日本刀と長さ1メートルほどのバールを持った池田大作の四男を名乗る男が押し入るという事件が起こった。
平成7年8月31 日“池田大作の息子”と名乗る大型凶器を携帯した男が「おやじを裹切ったからブツ殺す」と私を襲撃してきたが、仏天の御加護で間一髪で、無事であ
った。犯人は数ヶ月前から現地調査をして練り上げた殺人計画を実行したのである。警察は狂人の犯行として処理しようとしたが犯人が創価学会品川男子部員とマスコミに発表したので、警察も検事も池田創価学会との背後関係の打ち消しに躍起になった。(『有徳王』 龍年光) - 1995.9.1
- 朝木明代市議怪死事件
かねてより創価学会を追求(創価高校退学強要、公明関与の清掃事業ほか)していた同市議は、近くのビルから転落し死亡。転落直後に駆けつけた発見者の問いかけに、自殺ではない旨の言葉を残す。 この事件に関わった3人の検察官はのちに学会員であったことが判明。公正な判断を脅かすことに。【詳しくは】 - 1995.10.14
- 英BBC 創価学会番組放映
ニュースドキュメンタリー番組「アサイメント」で、『百万遍の題目』(45分間)と題し創価学会の特集、池田氏はこのインタビューで驚きべき発言。
「これはオフレコですが、実は韓国の大統領は、私が決めるんです」 - 1995.10.26
- 三男・尊弘が総務補に就任
- 1995.10末
- 池田ら優雅なネパール外遊
「総勢百人にもなる池田氏一行は、カトマンズの五つ星ホテル『ホリデイイン・クラウンプラザ』に泊まり、池田氏はリーガルスィートという最高級の部屋に滞在していました。
インタビュー記者に脅迫状
インタビューの数時間後、カナール記者の自宅に、SGI広報担当のアカシュ・K ・オオウチ氏(インドに帰化した日本人) からSGIの用箋に認められたファックスが送りつけられたのだ。
<私は、今日のあなたの空港VIPルームにおける公正を欠いた行為に対して強い抗議をするべく、この文書を書いています>
<どの質問と答をあなたの記事に使用するのか、返答を明日一九九五年十一月六日の正午までに貰えるよう要請します。また、その記事を公表する前に私にみせることも要請します>(中略)
オオウチ氏は、
「もし私の要求を受け入れなければ、我々はあなたに対して行動を起こすだろう」
と脅したという。更にこの電話と前後して、
「お前の身に悪い事が起こる」
などと、何者かから脅迫電話が数回かかっている。
三日後、カナール記者のファックスにオオウチ氏の「脅迫状」第二弾が届く。そこには、インタビューの録音テープを引き渡せ、と記してあった。
(平成8年3月7日号 週刊文春) - 1995.11
- 公明元参院議員・片山公人 セクハラで敗訴
同氏は議員当時、議員会館内で秘書の大崎優子さんにセクハラ行為。東京地裁に訴えられ敗訴 - 1995.11.23
- 「SGI憲章」発表 学会公式サイト
-
- SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に貢献する。
- SGIは「世界市民」の理念に基づき、いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る。
- SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
- SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広げ、各人の幸福の達成に寄与していく。
- SGIは各加盟団体のメンバーが、それぞれの国・社会のよき市民として、社会の繁栄に貢献することをめざす。
- SGIはそれぞれの国の実情をふまえて、各加盟団体の自立性と主体性を尊重する。
- SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。
- SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築をめざす。
- SGIは仏法の「共生」の思想に立ち、自然保護・環境保護を推進する。
- SGIは真理の探求と学問の発展のため、またあらゆる人々が人格を陶冶し、豊かで幸福な人生を享受するための教育の興隆に貢献する。
- 1995.11.28
- 宗門 FBI記録名誉毀損事件で池田・創価学会・SGIを東京地裁に提訴
- 1995.12.4
- 国会で秋谷会長表明 「宗門の教義変える必要ない」
「日蓮正宗の教義を信仰するということでは、私どもは今、日蓮正宗とは現実に関係を絶っている。そもそも日蓮正宗は日蓮大聖人の仏法の本義を正しく伝えるがゆえに、宗旨の今日があるはず。だが、現実には僧侶の堕落によって大聖人の正義が保たれていない。腐敗している。これを改革して大聖人の本義にもどさな ければならないというのが私たちの立場だ。つまり大聖人の仏法の正義を日蓮正宗の教義とするなら、それを正しく堅持し、伝えているのが創価学会だと確信している。従って『日蓮正宗の教義』という文言を変更する必要はないと考える」(参議院宗教法人等特別委員会 参考人として秋谷会長出席) - 1995.12.14
- 学会による遺骨裁判敗訴
創価学会員が寺院に預けた遺骨を引き取ったところ、預けた遺骨と違うとして寺院を訴えた裁判が全国で多発しました。 その一例の控訴審判決(仙台高裁・平成7年(ネ)161号事件・平成7年12月14 日判決)では、寺院が学会員から預かった遺骨と引き渡した遺骨とは同一であると判断するのが相当であると認定し、寺院側か勝訴しております。
また、同判決で、学会員が「中身が違っていたとの抗議ないし問合わせの電話をしたのは、それから一ヶ月近く経つ」でからであり、学会員らの「了解し難い行動や、余りにも遅れた対応ぶりこそ、『取違え』により甚大な精神的苦痛を受けたと主張していることと平仄( 注:つじつま) が合わないと評すべきである」と厳しく断罪しました。その後、この事件は最高裁でも裁判官全員一致の意見で寺院側の勝訴となっております。(東京第二布教区リーフレットより) - 1995.12.15
- 改正宗教法人法公布
役員名簿 、財産目録また年間8000万円を超える収入の場合、収支計算書の提出を義務付け。 - 学会による悪質な遺骨裁判全国で展開
平成8年
- 1996.1.11
- 聖教 シンガポール会館寺院発表
僧侶不要の学会が僧侶雇い寺院設ける
「シンガポールでは、近年、新メンバーが増加しており、これにともない、現地の実情に応じた儀式、典礼などを行なうことで、日蓮大聖人の仏法への正しい理解をさらに広げていきたい、との要望が出されていた。S S A では、こうした要望を配慮するとともに、さらに、メンバーの教学振興とシンガポールにおける正しい仏教哲学の伝承のために、日蓮大聖人の仏法の正統である青年僧侶改革同盟の僧侶の駐在を決めたもの。あわせて、新寺院を建設することも決定した。
渡辺さんは、現地メンバーと協力し、当面、シンガポール文化会館を中心に各地のメンバーの冠婚葬祭などの儀式や、教学研鑚の応援などに努めるほか、新寺院の開設準備にあたることになっている」 1996.1.11付 聖教新聞
- 1996.1
- 学会 邪教容認
「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」大白蓮華一月号 - 学会公式HP開設
- 1996.2.11
- 戸田記念国際研究所発足
- 1996.2.15
- 池田のレイプ記事「週刊新潮」22日号に掲載
(北海道婦人部幹部・信平信子の手記) - 1996.3.6
- 公明代表・藤井氏と暴力団組長密会ビデオ事件
学会側は、暴力団との関係を認めるコメントを出すはずがない。しかし、その関係を事実上認めてしまうような“とんでもない事件”が起こっている。 それは、国会の勢力図も変えてしまうことになる1996年に起きた「密会ビデオ」事件である。 以下、「野中広務 差別と権力」(魚住昭 講談社)から引用。 小沢一郎の側近、平野貞夫(当時新進党参院議員)が友人の権藤恒夫(公明議員)から「会いたい」と連絡を受けたのは橋本政権が発足してまもない1996年3月6日のことだった。 権藤は旧公明党時代に国対委員長として活躍した新進党の現代議士である。 平野はすぐ議員会館の権藤の事務所に向かった。部屋に入ると、深刻な顔をした権藤が口を開いた。(中略) 「野中さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもない話だった。『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが・・・」 政界内に激震を与えるこのビデオの声紋鑑定が行われ、二人に間違いないという結果がでているという。 - 1996.3.7
- 信平夫人 聖教の反論に反論
二月二十五日付の聖教新聞には、なんと私の後輩である函館の石田道子・婦人部長が大要、こんなことを語っているのです。
<池田の三度目のレイプを受けたという平成三年八月十六日午前七時半頃は、信平は現場におらず、到着したのは午前九時半のことだった。それは当時、信平の運転手だった婦人部幹部が語っている>
<信平が昭和五十八年に池田にレイプされたというプレハブ建ての喫茶「ロアール」は、当時、存在していなかった>
そして、
<最初のレイプを受けたという昭和四十八年六月二十七日午後九時は、まだ幹部との勤行や懇談会が続いていて、池田はそこにはいなかった>
つまり三度にわたる池田のレイプが存在しなかったというのです。しかし、この石田なる婦人部長は後輩ですからよく知っていますが、なんでこんなすぐわかってしまうデッチ上げを喋ってしまったのでしょう。私は怒りを通り越して哀れさえ覚えています。
そもそも八月十六日早朝、大沼研修道場に車で送っていってくれたのは主人なのです。いったいどこの誰が私を送っていったと“証言”しているんでしょう。
それに、私の運転手役だった婦人部員はとっくに創価学会に愛想を尽かして脱会し、今も頻繁に連絡を取り合っています。石田さんのいう私を送っていった婦人部員というのは幽霊なのでしょうか?
それに、プレハブ建ての喫茶「ロアール」が昭和五十八年にはなかったというのも、笑ってしまいます。私が責任者ですから誰よりもよく知っていますが、これは昭和五十七年にできているんです。
そして、最初のレイプとなった昭和四十八年六月二十七日午後九時に池田と幹部との懇談会が続いていたなんて、なんで当時、大沼研修道場に来たこともない石田さんにわかるんでしょう。普段から酒も飲まない池田はあの日、午後九時にはとっくに幹部会などお終いにしていましたよ。(平成8年3月7日号 週刊新潮) - 1996.3.14
- 藤原郁子氏 池田と妹・通子を回想
池田が三代会長に就任した昭和三十五年以降は、特に露骨になりました。ある日、きれいなネックレスをしていたので、
「それ、どうしたの?」
と、聞くと、
「先生にいただいたの」
と嬉しそうに言うし、また、突然アパートに電話が入っているので開いてみると、「先生が入れて下さったの」
と言う。
そして、なにより池田が、
「通子、通子」
と、まるで自分の女房に対するように身の回りの世話を命じていたんです。
それは誰が見ても、普通の関係でないことが分るものでした。
私の主人の前で池田は通子に胸を撫できせたこともあったそうです。池田はその時、
「通子に胸をさすつてもらうと苦しいのがとれるんだよ」
と主人に言ったそうです。(中略)
通子に対してだけではなく、ある大手出版社に勤務していた有能な女性を自分の秘書に引っ張り込み、その女性の母親が、
「娘は池田先生のパンツの洗濯をさせられている。汚れがなかなか落ちなくていつも困っている」
と、こぼしていたのを開いたこともあります。 (平成8年3月14日号 週刊新潮) - 1996.3.23
- クロウ夫人(64) ガンで急死
売春宿にかけつけたという頼みの警官ですら、クロウ夫人が提訴した米国での裁判の過程で証人申請したものの、【供述の信憑性】に疑問を抱いた裁判所が却下の裁定を下している。要するに“信頼するに足りない”人物だとみられたわけだ。
肝心の証言はどうか。今年二月七日の第十回口頭弁論で、原告・宗門側が主張した要旨では、
<クロウ証人の主張するルートでは、日顕法主が売春婦とトラブルを起こし、警察官が駆けつけたという現場に到達できない。なぜなら当時、シアトル市内にフリーウェイが建設中であり、掘割式で工事する場所にぶつかる。つまり、彼女が車を運転し、そのルートを通行することは絶対不可能である>
とすれば、日顕法主が売春婦とトラブルを起こしたこと、そこに警官が駆けつけたこと、電話でクロウ夫人の宿泊先に電話が入ったこと等々、すべての証言の前提条件も崩壊することになる。
その意味で、次回四月二十四日公判が大きな重みを持っていたのである。前回に引き続き宗門側弁護団によって反対尋問される予定だったクロウ夫人は、その宣誓供述、証言がことごとく根拠を失う危機にあった。(平成8年年4月11日 週刊文春)
- 1996.6.5
- 信平夫妻 池田を相手取り東京地裁に提訴
- 1996.8.18
- 黒柳明 祭りで神輿担ぎ
東京深川の祭りで黒柳明の神輿担ぎがテレビで放映される。 インタビューに「“お祭り重要、のべつまくなし”というのは、小選挙区の影響ですよ」などと答える。 - 1996.8.18
- 『自由の砦』 中外日報社との関係を暴露
平成8年9月8日付『自由の砦』(創価学会による被害者の会機関紙)で、中外日報社から流出した内部資料に基づき、創価学会が年間8千5百万円もの大金を中外日報社に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露(ばくろ)しました。このことが引き金となって、他の仏教教団が『中外日報』の購読を打ち切るようになり、そのため、いよいよ『中外日報』は経営不振に陥(おちい)りました。 - 1996.9.21
- 池田の兄・清信氏(学会理事)死去
自宅で営まれた葬儀に大作氏夫妻は姿見せず。
清信氏は生前、大作氏に「お寺と離れてはいけない」と告げていた。 - 1996.9.24
- 遺骨裁判 学会敗訴
総本山大石寺大納骨堂に納骨していた遺骨を引き取った創価学会員が、預けた遺骨とは違うとして、総本山に損害賠償を求めた裁判がありました(福岡地裁小倉支部・平成6年(ワ) 第196号・損害賠償請求事件)。 この事件で裁判所は、平成8年9月24日、総本山側の勝訴の判決を下しました(その後控訴審でも総本山勝訴、確定) 。 裁判所は判決で、総本山の納骨手続きは正しく行われ、安置の状況からも間違いが起きるはずはないと認定しました。これに対し原告学会員は返還を受ける際に疑義ももたず遺骨を受け取り、4ヵ 月以上もの間何の問い合わせや苦情もなく、突然、提訴した等の不自然な行為が認められるうえ、返還された骨袋そのものも諸般の証拠や事情から原告学会員が預けたものに相違ないと認定しました。創価新報に煽動されて総本山を訴えた池田創価学会員が、逆に司法によって断罪され、そして大石寺の正しさが実証されたのです。(東京第二布教区リーフレットより) - 1996.9.24
- 池田レイプ公判開始
創価学会の元北海道副総合婦人部長という要職にあった信平信子さんが、昭和四十八年、同五十八年、平成三年の三回にわたり、北海道・函館市郊外にある創価学会施設で、創価学会名誉会長池田大作氏に強姦されたとして、平成八年六月、夫の醇浩さんとともに東京地裁に提訴した、池田氏に対する損害賠償請求訴訟。池田氏は信平さんに対し、人目もはばからず『二号さん』と呼び続けていた事実がある。池田氏自身はこの事態に沈黙していたが、学会幹部、地元会員たちの猛攻撃が信平夫妻に向けられた。【詳しくは】 - 1996.9.26
- 池田 幹部会で裕次郎の歌を熱唱
2週間ものあいだ、動静が分からず、“雲隠れ” の噂さえあった池田氏が、ひさびさに幹部会員多数の前に姿を見せたのは9月26日。(中略)
「そのうちに、前後の文脈とはなんの関係もなく、突然、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』を歌い出したんです。“おいらはドラマー、やくざなドラマー”と。会場の幹部には大ウケでしたが、こっちは“なんほじゃコレ”と、唖然としましたよ」(平成8年10月17日号 週刊宝石) - 1996.10.20
- 小選挙区比例代表制 初の選挙
新進党156議席、自民239議席 - 1996.11.3
- 池田 仇討ち命令
「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」 『創価同窓の集い』にて - 1996.11.18
- 日蓮正宗 創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、文部大臣(当時小杉隆氏)に対し『意見書』を提出
平成9年
- 1997.1.2
- 信平夫妻を標的に怪文書撒かれる
「″もう黙ってはいられない!!= 信平夫婦(醇浩・信子)を告発する= ” という怪文書は十二月までに二十種類出ました。毎回、私のマンションに撒いていきます。それを小冊子にして、支援してくれている女性団体にも送りつけ、聞けば外国の報道機関の本社にまで送っているそうです。中身は、主人にセクハラされたという女性の話とか、私にお金を騙し取られたとか、そんなデタラメばかりですが、こんなひどいことを一方でやりながら、一方では露骨な懐柔も行なってきているんです」(平成9年1月2-9日特大号 週刊新潮)
- 1997.1.21
- 神戸・公明幹事長 賭博で現行犯逮捕
神戸市議会の公明党森和愛幹事長がゲーム機賭博で逮捕される
- 1997.5.8
- 新進党内に「公友会」を結成
神崎代表幹事に - 1997.6.24
- 公明 兵庫県川西市市議会議長が妻を衰弱死
病気で衰弱した五十七歳の妻を放置したまま「餓死」させたとして六十一歳の夫が逮捕された。夫は兵庫県川西市の市議会議長。公明に所属する当選八回のベテラン議員である。三十四年間連れ添った妻は長年にわたって精神を病んでいた。自宅の門扉にはチェーン錠が巻かれ、事実上の軟禁状態だったという。(平成9年7月10日号 週刊新潮) - 1997.7.10
- 東京出張所を世田谷区中町より渋谷区松涛へ移転
- 1997.8.14
- 減り続ける信濃町の人口
●90年、1,746人
●97年、1,290人
「学会は、猫の額のような土地でも、しつこく売却を迫る。創価学会に”嫌悪感” を持っている所有者には、関連会社やゼネコン子会社がダミーの役割を果たして、買収するんです。第一、彼らの土地買収には、ソロバンを弾きながら地上げしていた連中のような『経済合理性』が存在しない。相場だって青天井ですよ。しかも、買収さえすれば、宗教法人だから、固定資産税を支払わなくてすむ」(平成9年8月14-21日号 週刊文春) - 1997.9.21
- 公明・大宮市議収賄で逮捕
公明・大宮市議の横田高夫ら三人は平成6年12月に開かれた市議会で、業者より依頼を受けた工事承認の議決案に賛成し、入札後、謝礼として業者から2回に渡って合計100万円を受け取った疑い。容疑者、業者ともにこれを認める。 - 1997.10.10
- 公明 北朝鮮・金正日体制を賛美
金正日が朝鮮労働党の総書記長就任した際、公明代表・藤井富雄氏は「建国の父、故金日成閣下の魂を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」(10月10日 公明新聞)と祝電を送っている。 - 宗門 学会員に対し脱会呼びかけ
宗門は信徒資格喪失を予告し、脱会を呼びかける。【資料➡】 - 1997.10.27
- 公明市議 保護責任者遺棄致死容疑で逮捕
兵庫県川西警察署は公明市議・赤井良一(61)を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。赤井は重度の神経病を患っている妻を二十余年、自宅で面倒をみていたが、妻が食事を受け付けなくなり、生命の危険があったにもかかわらず、食事をあたえず放置し、数日後に死亡させたというもの。 - 1997.10.29
- 公明都議・藤井富雄氏のとなり宅、門扉爆破
門を吹き飛ばされた会社員宅の勝手口のすぐ隣は「公明」の代表・藤井富雄都議(73歳)の自宅だった。
「現在の捜査では、爆弾が置かれていた会社員とその家族’が何者かに恨みを買っていた形跡はありません。藤井氏宅を狙った可能性も含めて捜査を進めています」( 戸塚署捜査員の一人)
警視庁の捜査関係者は、今回の爆弾事件は怪文書との結びつきよりも、暴力団との絡みに重大な関心を寄せている。
「実は、藤井氏と山口組傘下の組長とが、ある”仕事”のために密談している現場をビデオに撮られ、そのテープが永田町に流れたという話がある。さらに、それを知った藤井氏がテープが表沙汰にならないよう、山口組の本家に泣きついたというおまけまでついている」(警視庁捜査関係者) (平成9年11月22日号 週刊現代) - 1997.11.11
- 信平レイプ裁判 学会側時効求め審議されず
今回の法廷で満田明彦裁判長は、
「(時効部分に関して)弁論を終結し、次回、判決を下す」と、宣言したのである。
つまり、信平さんが池田氏からレイプをされたとする昭和48年、58年、平成3年の3件と、夫・醇浩氏が精神的苦痛を訴えて請求している中の昭和48年(除斥期間に相当)の部分について、審理を終結し、中間判決を下すというものだ。
信平信子さんはこう感想を漏らす。一方、総勢9人を数える池田・大弁護団は、してやったりといった感じ。なにしろ、同裁判の口頭弁論では、一貫してレイプの時効を訴え、実質審理を拒否してきたからだ。
(平成9年11月28日号 週刊ポスト) - 1997.11.13
- 中外日報 学会幹部と邪宗僧との写真掲載
第7回 日中仏教学術会議(主催 中外日報社・中国社会科学学院世界宗教研究所)に伴う“懇親の夕べ”の模様(10/20日)を掲載。そこには、赤ら顔で相好を崩す山崎尚美、西口良三副会長、創価大学教授の菅野博史らと、邪宗の高僧や幹部の写真で埋め尽くされている。【資料➡】 - 1997.11.21
- ロサンゼルス地区控訴裁判所 ヒロエ・クロウの法主・日蓮正宗への控訴を棄却
- 1997.11.22
- 公明藤井 暴力団との密会認める
「週刊現代」(11/22号)で公明党元都議会幹事長は同誌の取材に後藤組組長との密会を認めた。 後藤組長と会ってどんな話をしたんですか? (藤井)『いう必要ない。会ったら、「やあやあ」だよ。おかしな話をするわけがない』 - 1997.12.1
- 学会員個人の日蓮正宗檀信徒資格が喪失
日蓮正宗 宗務行政措置を実施 、 この措置により、創価学会個人の日蓮正宗檀信徒資格が喪失した。 - 「第二の法華経の行者」明記
学会内部文書「日顕宗の邪義を破す」 「我等の師匠池田先生は、昭和35年に会長就任以来10年毎に順に昭和45年の俗衆増上慢、昭和53~55年道門増上慢、そして次の10年である創立60周年には予定通りに僣聖増上慢を呼び起こし、末法に入って以来、大聖人に次ぐ二人目の「法華経の行者」となたのです」 - 【創価学会組織図➡】
平成10年
- 1998.1
- 97年末をもって新進党6つに解党
公明系は衆院中心に新党平和を結成。代表に神崎武法
- 1998.1.8
- 学会系怪文書『フェイク』発行
➡「地涌」に続き、この怪文書を宗門批判の道具として利用。 - 1998.1.17
- 創価学会員の女子行員が7千万円詐欺
高橋容疑者は、北陸銀行高山支店の預金オンラインシステム端末機を操作して、昨年1月から5 月までの間に前後11回にわたって、支店内部の一時預かり金を知人名義で開設した架空口座に振り替え、430万円をだまし取っていた。
高橋容疑者はこうした不正操作を12年前から繰り返しており、被害総額は7000万円に達する。
「父親は地元でも、数百人を入会させたこともある古参の学会員。もともとは中古車を販売するディーラーを経営しており、後にガソリンスタンドにも手をのばしたが、表向きは羽振りがよさそうだった。だから、財務についてもいつも高額を払い込んでいると自慢していた。おそらく無理を重ねた結果、娘が犯罪を引き起こしたのでは」(前出の元学会員)(平成10年3月5日号 週刊実話)
- 1998.2.23
- 学会員市議 ひき逃げで逮捕
静岡県伊豆署は山田喜八郎元市議を道路交通法違反(ひき逃げ)の容疑で緊急逮捕した。 調べによると、交差点でミニバイクを運転する主婦Aさんと衝突し、Aさんに十日間の怪我を負わせ、逃走したが、 自宅でタイヤを交換しているところを警察に問い詰められ逮捕。 - 1998.3.3
- 学会寄りの偏重報道をしてきた『中外日報』刷新 【写真】
- 1998.3.7
- 日顕猊下宿泊のホテルに盗聴器
高松市木大町のホテルで今月七日代日蓮正宗の阿部日顕管長が宿泊した部屋から盗聴器二個が見つかり、高松北署が住居侵入の疑いで捜査していることが十七日までに分かった。(平成10年3月18日号 西日本スポーツ) - 1998.3.20
- 「大聖人の仏法の本義からいえば、本門戒壇の大御本尊を御安置し、唱題にはげむところが本門の戒壇なのです。」(『創価学会入門』1998年3月20日 新訂版)
- 1998.4.5
- 大御本尊 正本堂より大石寺奉安殿へ遷座
- 1998.4.8
- 宗門 正本堂取り壊しを公表
ゼネコン関係者
「大手、中堅ゼネコンほとんどに創価学会は圧力をかけて回りましたよ。表向きは恒例の選挙(参院選)への支援要請です。しかしそれはダシにすぎず、実際には正本堂の取り壊しに協力するな、と伝えて回ったんです。創価学会ほど会館など建築物を建てるところは少ないですから、日頃、ゼネコンとの関係は深い。4月から5 月にかけて副会長クラスと公明の議員が別々に回りましたが、取り壊しに協力したら仕事は回さないという一種、恫喝ともとれる大石寺への″非協力要請″でしたね」
解体工事を受注した関西の業者には、抗議の電話や、″命は保証しないぞ″ という脅迫電話まで入ったというから凄まじい。(平成10年7月16日号 週刊新潮)
- 1998.4.21
- 自・公手打ち
自民機関紙に掲載した内藤国夫氏のコラムについて、創価学会に全面謝罪 - 1998.4.24
- 岐阜市職員 同僚の学会員を殺害
同僚だった岐阜市職員、藤瀬広行さん(50)を殺害したとして同市職員、園部信次容疑者(37・岐阜市加納長刀堀)と共犯の会社員、片山靖之容疑者(40・同市加納鷹匠町) が岐阜県警に逮捕されたのは4月24日のことだった。この事件は「前代未聞の市職員同士による殺人事件」として注目を浴びたが、実は藤瀬さんと園部容疑者は共に創価学会員同士だったというからビックりだ。しかも、園部容疑者の父親(71)は、昭和50年から4 期連続務めた元公明党岐阜市議だった。当時は公明党岐阜県本部庶務局長も務めていた。(平成10年5月21日号 週刊実話) - 1998.6.16
- 第二十三回本部幹部会
何でも語りあえる雰囲気- これを学会は根本にすることを宣言しておきたい。(拍手)大作全集89 - 1998.6.18
- アメリカ・クロウ裁判:宗門の全面勝利確定
ロサンゼルス上級裁判所で、クロウ裁判の最終状況確認のための会合(ステータス・コンファランス)が開かれましたが、その席上、クロウ側代理人デポラー・ドルーズ弁護士は、停止中の日蓮正宗テンブル(NST)、法華講(NSH)、及び高橋慈豊師(当時サンフランシスコ妙信寺住職)の現地関係者三者に対する訴の却下書面に署名しました。これで、先に却下判決のあった御法主上人猊下はじめ、日蓮正宗、法華講連合会、尾林広徳海外部長(以上、在日関係者)に対する訴えだけでなく、アメリカ現地関係者に対する訴えも、全部却下となり、アメリカのクロウ裁判に対する宗門側の全面勝利が最終的に確定。 - 1998.6
- 正本堂解体工事開始
- 1998.7.30
- 小渕内閣発足
- 1998.8中旬
- 竹下・秋谷会談 国会での協力を公明(学会)に依頼
- 1998.8.26
- 竹入元公明委員長 朝日新聞に政界回顧録掲載
計12回に渡り『秘話・55年体制のはざまで』を掲載。
「69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中(※ 角栄)さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。(中略)創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に働いてもらったのだが、田中さんは追求されると、『竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいを焼いているだけ』と釈明した。これには感激した。(中略)佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなど、いろいろ配慮してくれた。(中略)言論出版妨害問題は、田中さんらに対し大きな負い目になった。国会対策でも田中幹事長時代に、よく協力を頼まれ、党の基本政策に抵触しない限り、対応した。」元公明党委員長・竹入義勝氏の手記『朝日新聞』 - 1998.8.28
- 公明党側としては、創価学会の了解なしには同日選はやれな1い。(竹入回顧録 平成10年8月28日「朝日新聞」)
- 1998.9.3
- 民社党と合併寸前だった公明党
民社党とは近いようで遠い関係でもあった。だが、一九七◯年から翌年にかけて、一時は公明、民社両党が合併寸前までいったことがある。合併話は民社党の西村栄一委員長と創価学会首脳の間で進められていた。言論出版妨害問題の後、態勢をどう立て直すかの中で出てきた。箱根・仙石原にある創価学会の研修道場で、池田大作会長から、合流の話を聞かされた。(竹入回顧録 平成10年9月3日「朝日新聞」) - 1998.9.17
- 竹入委員長の辞任を慰留させた学会首脳
八六年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように.いわれたが、とんでもない話だ。 それまで何度、辞任をいい出したことか。最初は七〇年の言論出版妨害問題だった。騒動が一段落して五月に辞意を固めた。創価学会本部で北条浩理事長、秋谷栄之助さんら幹部の前で辞意を伝えた。「辞めてどうする」「そちらで決めてほしい。後任には矢野君もいる」「絶対辞めては困る」。結局がんばりきれず慰留されてしまった。 創価学会の世界には独特の論理がある。「辞めるか辞めないかは、自分で決めることではない。任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜の極みだ」というものだ。(竹入回顧録 平成10年9月17日「朝日新聞」) - 1998.9.18
- 学会員の事件に手心を加えさせる
衆院に進出して間もなくの総選挙で、大量の入場券をかき集めた「替え玉投票事件」が発覚して、大騒ぎになった。東京、神奈川などで、逮捕名は三十人ぐらい。海外に出た人もいた。都議選では選管職員と投票所で乱闘事件を起こしたこともあった。投票の締め切り時間が早すぎると言って殴り合いを始めたが、前代未聞の大事件だった。 替え玉投票事件では、警視庁の幹部にも陳情に行き、さんざんしぼられた。東京地検にも行った。「二度としないので勘弁してください」と謝ったが、地検幹部から「ここへ来るとみんなそういうんだよ」とやられた。そこで「こういう事件を二度と起こさなことを誓います」と言ったら「いっぺんだけ信用しよう」といわれた。 この事件は検察が大喜びで、「検察始まって以来の事件」と意気込んだものだったが、幸い大がかりな事件にならずに済んだ。(竹入回顧録 平成10年9月18日「朝日新聞」) - 1998.10.26
- 1300万人の核廃絶署名名簿を国連本部に提出
- 1998.11.4
- 池田 韓国を賛美・日本を糾弾
韓日友好を誓い「創価同窓の集い」での池田名誉会長指導 「愛の国、美の国、文の国。その平和の人々が、「何十世代の後までも忘れぬ」と、怒りを骨に刻んだ相手が、日本の残虐な国家主義者であった。行く先々での略奪。暴行。殺戮。「禽獣にも劣る」、文化なき「悪鬼」と呼ばれた。(中略) 私は父から『日本のやり方はひどい。日本はもっともっと韓国を大切にしなければいけない』と聞かされて育ちました。」 - 1998.11.7
- 新党平和と公明が合併 「公明党」が復活
神崎代表発言「自公連携、自公連立は考えていない」(記者会見で) - 1998.11.10
- 参院選で公約した「商品券」7000億円分の支給案が自・公で合意
- 1998.12.18
- 江沢民・国家主席、池田会談は学会が要望
「日中国交正常化は68年の池田氏の提言が発端で、学会の先見性が重要だったと主張する池田氏側の会談は、「学会からの要望で実現」(中国大使館関係者)し、江主席と文化についての話を延々と続けるにすぎなかったという。(平成10年12月18号 フライデー) - 1998.12.20
- 浅見副会長を告発する文書出回る
告発文書・天鼓一号>
「副会長が先生の国会証人喚問の危機に乗じて、金を懐にすることなぞ許すことはできない。伊藤園の自動販売機を全国の会館に入れ、伊藤園の社長が自民党に顔がきくから証人喚問回避できるなどと大嘘をつき、自動販売機を全国の会館に入れさせ、大金を手にした副会長がいる。 一千万円を二回にわたり受け取った。 ビックカメラの在庫品を何億円も創価学会に買い取らせ、その時もその副会長は数千万円の金を手にした。浅見副会長は本当に悪い幹部だ。 創価学会から追放し見せしめとしなければ、先生の不惜身命の戦いと民衆の献身的な活動で作られた創価学会が腐ってしまう。 私もこのような文書をばら撒くことについて悩んだが、先生の生きてらっしゃる間に膿を出しておかなければ大変なことになると考えて、あえて今回の行動を起こしたもので、ご理解願いたい。 中野区のある人が 「先生に使っていただきたい」 と一千万円を出したが、浅見、金沢(杉並)、岡松(中野) の三人で山分けした。あとでお金を出した当人が広布基金としての領収書を求めたことにより、三人はあわてふためいていたが、どのように処理したことやら・・・・・。 」
➡全国青年部長などを歴任した浅見氏はこの後、東北の副圏長に格下げされる。