平成1年

1989.3.12
反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ
池田指導「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。やられたらやり返せ。世間などなんだ!なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ!(中略)反逆者には「この野郎、馬鹿野郎でいいんだ!」埼玉指導
 
このころ顕正会対策として秘密裡に「広宣部」発足
主な活動内容:郵便物の抜き取り、尾行、盗撮、盗聴怪文書配布、交友関係調査など
➡広宣部は宗門側をはじめとした対立者もターゲットとしており、学会内では20年に及び隠密部隊として行動。裁判でその実態を暴かれ、その後、公然の組織として認知された。メンバーは池田の懐刀である創価班から秘密裡に人選され、周囲にはその謀略活動を漏らすことはない。
1989.4.14
東京・妙真寺の裁判
◇宗門側が全面勝利、山口法興は正宗僧侶にあらず 「この山口は、御法主日顕上人の血脈を否定する『正信会』の中心的人物。昭和五十五年八月、山口は日顕上人猊下の御指南や、その御意を体した宗務院の度重なる中止命令を無視して、学会への誹謗・中傷のために第五回全国檀徒大会を強行開催した一人。これによつて、宗門より住職罷免処分を受けた。さらに、後任住職が赴任しようとした際には、多数の檀徒を使って実力で妨害したため、横斥処分に付されていた」(聖教H1・4・14)
 
財務を振り込み方式に変更
''89~'90年にかけて、財務の集金方式を銀行振り込みに変え、全国の財務部員をデータ管理化。個人の財務状況が分かる問題の方式
1989.5.28
第1回SGI欧州総会(ロンドン近郊)
◇御法主日顕上人のメッセージ 「一切衆生皆成仏道の大法を受持する皆さまこそ、世界平和への透徹した良識と信念と実践の力が養われるのであり、その組織的基盤として世界連帯のSGI、また皆さまの欧州各国SGIが存在することはまことに心強い限りであります。皆さまはSGIの育ての親である会長池田先生の指導を受け切り、 一人一人が御本仏。日蓮大聖人の尊い仏法の意義を体し、世界平和に貢献されるとともに、欧州各国におけるSGIの充実・発展にますます精進なさることをお祈りいたします」
池田「‥本日は、御法主日顕上人より、丁重なメッセージを賜っている。これは私どもにとつて何よりの喜びであり、私は哀心より感謝申し上げたい‐」(聖教H1・5・30)
1989.6.14
フランス学士院で「東西における芸術と精神性」を講演
1989.6.14
池田の金庫番・中西治雄のゴミ処理場金庫事件
横浜市の産業廃棄物場で1億7500万円入りの金庫が見つかった事件。名乗り出たのは、池田氏の金を管理する側近幹部・中西氏だった。
➡この金は本山での売店で売り上げた金で脱税した金だと主張。しかし、札束の帯を検証すると食い違いが明らかなためウソである。【詳しくは➡】
1989.7.3
金庫事件で記者会見
中西氏と金庫を運んだ外郭企業・日本図書輸送 大川社長らとともに記者会見。 「金は私のもの。昭和46年ころから三年間、総本山大石寺で個人的に開いた物産店で金杯などを売って儲けて脱税した金だ。聖教新聞社地下倉庫に置いたまま忘れていた」
1989.7.18
韓国創価学会メンバーは本部の駒
韓国創価学会の初代議長・李敦秀氏
「60年代後半からは10年近くも韓国創価学会初代議長を初めとした要職をやらせてもらいました。しかし結局、我々韓国人は、彼らにとって使い捨ての将棋の駒でしかないんですね。全ては日本の学会本部とその最高権力者である池田大作の利益のためにあったんです。(中略)
当時、韓国の信者たちは皆貧しく、それこそエレベーターの乗り方も知らなかった。そんな中で日本からやってくる学会の幹部たちは「コリアナ・ホテル」や「新羅ホテル」などの最高級ホテルに部屋をとり、挨拶に来る韓国人信者たちを廊下に並ばせておいて平然としていました。夜は夜でキーセン・パーティーにしろナイト・クラブで遊ぶにしろ全てファーストクラスですね。お金を湯水のように使って… … 。あまり下半身のことは言いたくないんですが、ソウルでこそ人目につきますから控えていましたが、教学指導などで地方へ行った際には確実に韓国女性を買ったという情報も入っています。」(平成元年7月18日号 アエラ)
1989.9.6
第8回全国婦人部幹部会(東京・広宣会館)
池田「個人のプライパシーの守秘、すなわち個人の私事の秘密を守ることについて確認しておきたい‥‥特に幹部の皆さまは、信心の先輩として、後輩や友人からさまざまな相談を受ける場合が多々ある。その際、相手のプライバシーは絶対に尊重しなければならない。立場上、知り得た秘密を守ることは、いかなる組織、団体においても当然のことである…」(聖教H1・9・8)
1989.9.8
最高裁 蓮華寺訴訟で蓮華寺・久保川双方の上告を棄却、以後自称正信会寺院奪還訴訟は全て双方却下
1989.9.8
第17回全国青年部幹部会(埼玉池田文化会館)
聖教100万部減で啓蒙拡大運動本格化
1989.10.3
SGI理事会(東京・創価文化会館)
「SGI副会長の森田理事長が、任期満了に伴い、SGI規約に基.ついて選任された理事を紹介。続いて秋谷会長がSGI理事長に再任され、新任の役員が発表された」(聖教H1・10・4)
1989.10.4
中西治雄氏退会
➡池田が会長になる前からの片腕であったが、後に宗門へ復帰。
1989.10.23
「戦争と平和」展、海外巡回開始(ニューヨーク・国連本部)
1989.11.7
正宗僧侶誘拐身代金要求事件
別府市寿福寺の住職を学会B長の桝永康典らが誘拐し、身代金6億円を要求した事件が起こる。主犯の桝永は「学会なら金がある。身代金を出してくれると思った」と供述。
 
この年の財務は1400億円
 
この年までの公明の国政選挙結果表
 
この年まで世帯数と得票数の推移表

平成2年

1990.1.3
学会員外交官公私混同
ミラノ総領事館にいた学会員ノンキャリア外交官は学会の依頼であるヴァチカンの状況報告をまとめ返信。 ヴァチカンの方針としてつぎのような書き出しで始まっている。「昨年十月鈴木琢郎副会長から手紙をいただき、その中でヴァチカンについて私なりの実感を教えてほしい旨書いてありました。その返事は神崎さんを通じて鈴木副会長にだしました」
1990.1.3
ルーマニア新政権について
「民主の総意による新生ルーマニアの誕生を、私はもろ手を挙げて、祝福いたします。『民衆』が勝った。『人間』の叫びが勝った。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました」聖教新聞
1990.2
「ノリエガは創価学会員だった」
「……ノリエガのビジネス・パートナーによれば、池田はノリェガが最大の危機にあった一九八七~一九八八年に財政的、政治的支援を行ったという」(平成2年2月1日号 ニューズウイーク)
1990.2.17
第11回SGI総会(ロス・NSA世界平和池田講堂)
日顕猊下メッセージ「…現在、一切に魁けて大きな視野と叡智を以て、その浄業に傾注しておられる方がSGI会長池田先生であります。今日、益々お元気な池田先生を迎へ、世界の日蓮正宗のメムパーがお元気な姿でロスアンゼルスに結集し、世界平和の為、また本仏日蓮大聖人の大正法を流布するため、盛大な総会を開かれることは、私のまことに欣快とする処であります。SGI会長池田先生の指導により、また一層の団結の精神をもって此の総会を機に、世界夫々の日蓮正宗が益々発展されることを、そして皆様一人一人の御健康と御幸福を心より祈り、祝辞といたします…」(聖教H2・2・19)
1990.2.18
衆院選で46議席
1990.3
二百億円まで無担保で貸す
 三菱商事と池田創価学会との密着ぶりもきることながら、「学会とアソコの関係は金魚のフンのように切っても切れない関係だ」(大手都銀の都内支店長) とやっかみ半分、銀行業界の羨望の的になっているのが三菱銀行である。池田氏の側近だった山崎正友元学会顧問 弁護士が語る。
「三菱銀行には四十九年当時で、学会の一般会計・聖教新聞社合わせて五百億円をこえる預金があったんです。そ のほか、毎月百億円をこえるカネが三菱銀行の口座をとおして集計され、支払いが決済されていた事実もあります よ」
 この時期、池田氏が天下の三菱銀行頭取にわざとカマをかけた。
「もし、私が無担保で貸してくれといったらいくらまで貸してくれますか」 このナゾかけに対し、当時の頭取は間髪を入れず返答した。
「池田先生でしたら、当行は二百億円までなら、無担保でご用立てします」 この最大級のお世辞を真に受けた池田氏は喜色満面、側近連を呼びつけては頭取の言葉を吹聴してまわつたという。無邪気なものである。(平成2年3月号 月刊現代)
「池田氏の財テク指南役は、三菱銀行と三菱信託銀行。かつては貸付信託を多用していたが、そのツマ味がなくなったため、最近は、間接的な形ながら株式の運用に力を注いでいる」(証券投資願間会社部長)(平成2年3月号 月刊現代)
1990.3.5
金を出しているので口は出すな
 平成元年六月二十八日、猊下が池田氏に立川寺院の建立延期について尋ねられ、平成二年三月五日、猊下が池田氏に対し、ほとんどゼロになった丑寅勤行の参詣について尋ねられている。  
 しかし、池田氏という方は非常に自尊心のお強い方であるから「何言っている、学会は金を出しているのであるから、囗は出さないでほしい」、「学会の方針、俺のやっている事に、いちいち口を出すな」というが本音ではなかったか。(『妙道の春に』高橋公純著)
1990.4.25
ブラジル南十字国家勲章
1990.4.25
勲章授与に浮かれる
「アルゼンチンから五月に大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心です。たった五ヶ月の間に三つの勲章(コロンビア、ブラジル)をもらった。(中略)五ヶ月間に勲章を三つもらえる人は、これまで一人もいなかった。議員でもない私なのだ。」
1990.4.29
東京記念総会
池田「今までの既成宗教は権力と結んで大きくなってきた。学会だけが権力と結ばずに、弾圧を受けながら純枠に大きくなってきた。(なのに)坊さんは供養を取って、弾圧されることもなくて、いい身分だよ」(平成2年4月29日)
➡池田のまったくの自語相違。
1990.5.12
創価学会「週刊文春」に抗議
「最近、『週刊文春』など一部の週刊誌等で学会が『ニセ本尊』を作り会員に下附したかのような誠に悪質なねつ造記事が出ている。これらは大石寺開創七百年、学会創立六十周年の佳節に宗門、学会を混乱させ、離間を図ろうとする策動にのったデッチ上げ記事であることは明白である。ただ、御本尊という信仰の根幹に関わることについて極めて悪質なねつ造であるために、青年部代表二人が『週刊文春』編集部を訪れ同誌の花田紀凱編集長らに厳重抗議し、記事の取消し並に謝罪するよう強く要求した。もともとこの『ニセ本尊』云々との話は、昭和五十三、四年ごろ、後 に御法主上人に反逆し宗門から擯斥された『正信会』の悪侶らが、宗門、学会を分断し自らほしいままにするための野望から言い出した陰険な策略による作り話である」(聖教H2・5・12)
➡学会が「勝手に本尊と作らない」とする趣旨だが、平成5年に学会はニセ本尊を製造販売した。
1990.5.16
「登山部から徹底」
◇登山会参加証がなければ御開扉の受け付けはできません
「フリー登山(登山会参加証による登山)に関して最近、登山会参加証を持参しないで御開扉を希望する人が一部で見られるため、登山部では重ねて、次の点を厳守するよう呼びかけている。
①フリー登山を希望する場合は、必ず各人が所属する本部に申請し、『登山会参加証発行申請書』に基づき、登山会参加証の発行を受けてください……
②登山会参加証には、『平日用』と『日時指定用』の二種類があり、特に、『日時指定用』では、常来坊受け付けでは、登山日・御開扉時間の変更はできませんのでご了承ください…」(聖教H2・5・16)
1990.6
国税調査入る(第一回)
学会顧問弁護士・八尋頼雄氏は税務調査の際、公明矢野氏に下記のことが行われないよう電話で依頼。
1. ○○信託銀行に税務調査 
2.××証券に池田大作氏、かね子氏、博正氏、秋谷氏らの個人口座の有無についての税務調査」 
3.△△証券に税務調査

学会はこの墓苑事業で莫大な利益ただけでなく、裏金を捻出した疑惑が挙がった。
このうま味を覚えたことで、現在、全国に16ヶ所の墓苑(一部は納骨堂)を造るに至っている。なお、これらの事業には富士桜自然墓地公園(1980年完成)をはじめ、不透明な取り引き、暴力団などの関与が噂された。
➡学会は国税調査に際し、公明党・国会議員である矢野氏を利用。公明党を学会の防波堤とする政教一体を現実に見せた。
1990.6.20
池田 公然と宗門批判
6月度本部幹部会
池田「金ばかり取って、小欲知足どころか、大欲傲慢じゃないか。在家を励ますどころか、責める、いじめる、嫌な思いをさせるような人に、我々はなめられてはいけない。秋谷(栄之助会長)はびくびくして、顔色ばかりうかがって、だから宗門からなめられるのだ。お寺のことで何かあったら、私といっしよに立ち上がりましよう」(平成2年6月20日)
➡会員は学会へ財務を行うことが主であるため、金が集まるのは学会本部である。その中から、学会本部は宗門へ御供養しているのが現実。つまり、仏への御供養の大部分を学会が収奪していたことになる。「金ばかり取って」は池田の暴言でしかない。
1990.7.9
苫小牧記念動行会(苫小牧平和会館)
池田「かつて衣の権威をカサに着て、一部の悪侶が、まじめに信心し、弘教に励んでいる、尊い仏の使いを軽んじ、いじめ、見下げてきた。その心は仏法の心ではない。僧としてよりも、人間として許されることではない‥‥だれびとが、どんなに『自分は偉い」と威張ってみても、現実に一人の人に弘教し、面倒をみ、幸福にしていった『実証』にはかなわない。『高位の人』よりも『弘教の人』が偉いのである。仏法の眼からみれば、実社会のなかに、我が地域のなかに、『正法流布」を進めている皆さま方ほど尊い存在はない…」(聖教H2・7・11)
1990.7.14
札幌記念幹部会 第1回北海道最高会議(北海道池田講堂)
池田「…僧侶は『少欲知足』が本分である。高潔な『聖僧』が大聖人、日興上人の教えられた道である。踏むべき道を忘れた末法の僧侶のことを大聖人は、食べ物を奪い合う大にたとえて厳しく裁いておられる。″畜生道〃であり、また″餓鬼道〃の姿である。そして弘法もせず、我が身を養う欲望ばかり盛んな僧侶を、『法師の皮を著たる畜生なり』表に法師の皮をつけただけの畜生である、『法師と云う名字をぬすめる盗人なり』僧侶という名前を盗んでいる泥棒であると、激しく非難し、指弾しておられる。これは本来、他宗の僧への破折であられた。それが近年、かの悪侶たちのごとく、日蓮正宗からも、そうした卑しき輩が出たことは、大聖人のお悲しみ、お怒りは、いかばかりかと嘆かずにおられない…」(聖教H2・7・16)
➡池田ほどの贅沢を日本国民で誰がしているであろうか?
1990.7.17
学会 一方的に宗門を罵倒
宗門との連絡会議の席上、法主上人・宗門を一方的に批判し席を立つ(東京常泉寺) 毎月行なわれる学会との連絡会議に、秋谷会長以下学会首脳は、宗門の役僧の目の前でそれら役僧の名前をあげ、猛然と批判し、宗門側か意見を言おうとすると、「今日は話を聞いてもらうだけです」と一方的にまくしたてた。学会は宗門に対して「対話がない、対話がない」と言うが、対話拒否は学会側から始まったのである。(『妙道の春に』高橋公純著)
1990.7.21
池田、秋谷 お目通り願い
時に猊下は十七日の学会首脳発言の「猊下の御発言は名誉会長に失礼である」等という事に関して、「どういう事なのですか」とお聞きになった。
池田、秋谷両氏はさかんに抗弁して、猊下の発言を封ずるような事があったので、猊下は「法主の発言を封ずるはきょう慢謗法となりますよ」とさとされたのである。(『妙道の春に』高橋公純著)
1990.7.27
ソ連、ゴルバチョフ大統領と会見
 
『週刊文春』 (国税調査が入ったため)「池田氏はソ連に逃げた」と掲載。
1990.8.7
「私どもの信仰も、ある意味で権威・権力との精神闘争である」池田発言
➡その後、公明党を利用し権力にしがみつくことになる。
1990.8.23
「宗門は、阿部日顕猊下が学会にきつい。池田名誉会長も相当強く言っている。池田氏もカリカリで、いまのままでいくと激突する。そこで秋谷会長を正面に立て、第一次宗門戦争で池田氏に会長辞職を要請したとされる野崎、原田たちを使って池田氏の代わりに宗門批判を言わせている」(『乱脈経理』矢野絢也 自身の手帖から)
1990.8.29
9月度全国県長会議(東京・広宣会館)
秋谷「…今後の活動のポイントとして
①会員中心主義の行動を
② 一人一人の人格の向上を ③反人間主義との戦い、 とりわけ権威・権力から仏子を守る戦いを、の三点を力説…」(聖教H2・8・30)
1990.9.2
大石寺開創七百年慶祝記念文化祭(総本山)
「大石寺開創七百年を寿いでの、創価学会による慶祝記念文化祭が…… 『天座に輝け・幸の光彩』のテーマのもと、大客殿広場で開催された。これには御法主日顕上人猊下が御臨席されたのをはじめ、藤本日潤総監、早瀬日慈重役、各能化、早瀬義雄宗会議長、宗務院の各部長、宗会議員、全国の宗務支院長・副宗務支院長など、多くの僧侶が出席。また創価学会の池田大作名誉会長、秋谷栄之助会長、森田一哉理事長、各副会長らが、芸術部、青年部メンバー、海外六十七カ国・地域の代表ら、約二千人による熱演の舞台を観賞した」(大日536) (聖教H2・9・3)
1990.9.12
第13回全国婦人部幹部会(東京創価文化会館)
池田「‥言うまでもなく、五座三座は日蓮正宗の伝統である。当然、信者としての私たちは五座三座が基本である。ただし、海外の場合、五座三座が続かなくて退転していくというケースをよく耳にする。また日本においても、五座三座ができなくなると、次第に信心から遠ざかつてしまうと、よく聞く。しかし、大切なのは一生涯、御本尊を受持して信行に励んでいくことである…‥それを、形にとらわれるあまり、圧迫感を与えては、途中でいやになってしまう場合がある……したがって、場合によっては、方便品・自我偈でも、凡夫の世界ではやむを得ない時もあるだろう。人によっては、一度やらなくなるとリズムに乗れず、かえって罪悪感が深くなって、退転してしまうという声もある。こうした点をリーダーは配慮し、きめこまかい、安心できる指導が必要であると思う‥」(聖教H2・9・14)
1990.9.18
第33回本部幹部会(東京・広宣会館)
池田「 いつの時代でも、いずこの世界でも、権威、権力の横暴は大なり小なりある。近年の正信会の悪侶の姿もそうであった。私どもは戦った。そして、勝った。権威、権力とはどこまでも戦う。これこそが真実の信仰の精神である…」」(聖教H2・9・21)
1990.9.21
池田大作SGI 会長が韓国に初めて訪問
1990.9.28
熊本大分合同記念会合(熊本池田平和会館)
池田「十年前には、あの悪侶による理不尽な嵐が、この熊本にも吹き荒れた。それは衣の権威をかきに着ての、尊い仏子に対する迫害であった。本来、信徒を守り、励ましていくべき立場にある僧が、健気に広宣流布のために戦っている仏子をいじめ、迫害するなど、僧としてはもとより、人間としても絶対に許されるべきことではない…」(聖教H2・9・30)
1990.10.2
八尋弁護士 矢野氏に国税調査の件依頼
八尋から1.財産目録は出さない。2.美術品にふれない。3.(池田氏の)個人所得にさわらない。4.第一庶務にさわらない。5.会員のプライバシーにふれない。6.宗教活動にふれない。の6項目を依頼した。八尋が書いたメモ→
1990.10.12
「大石寺開創七百年慶讃大法要」(総本山)
学会員の最後の登山となる
1990.10.13
猊下、池田に感謝状・記念品(大石寺蒔絵飾壺)を贈呈
「感謝状」 「貴殿は大石寺開創七百年に当り、その慶讃委員会委員長として記念事業の推進及び諸般に亘り多大なる貢献を為し、よく外護の任を尽されました。その功績は誠に顕著であります。依って意に記念品を贈呈し甚深なる感謝の意を表します」(大日537) (聖教H2・10・14)
1990.10.13
大石寺開創七百年慶讃大法要本会(総本山)
池田「…多くのいわゆる伽藍仏教が、自宗の権威と権力におぼれて、信徒を小バカにし、民衆を見くだし、軽視してきたが故に、その活力も発展もなくなっていったことは周知の歴史的事実であります。これに対して日蓮正宗は、常に慈悲であられる。日蓮正宗創価学会は、御仏智とはいえ、この御指南通りに邁進してきたが故に、奇跡的な大発展を見ることができたと、私は信ずるものでございます。私どもはこれからも、御法主日顕上人の御指南どおり、妙法の旗を高らかに掲げながら、多くの民衆の先頭に立ち、民衆の民衆による民衆のための大自法広宣流布へ前進しゆくことを、心よりお誓い申し上げ、私のお祝いの御挨拶とさせていただきます。おめでとうございました」(大日537) (聖教H2・10・14)
1990.11.16
宗門に本部幹部会録音テープ届く
池田氏 本部幹部会において、猊下、宗門、僧侶の蔑視・軽視発言 (52年逸脱路線無反省を露呈) 。この幹部会の録音テープが宗門に届いた。
➡池田の発言に不信を抱いたいくつかの会員のグループが届けたもの。
1990.11.20
池田、秋谷ら登山(総本山)
猊下にお目通り、御会式に参列(聖教H2・11・21)
 
権威権力とは誰のことか
平成二年十一月二十日、お会式のお目通りの時、猊下は、秋谷会長に「池田氏が言う権威権力とは誰れの事なのか」という質問に「国家権力です」と平然と答えている。
➡しかし、今、学会は宗門及び僧侶をあたかも権威権力の魔性のように言っている事、即ち、池田氏平成二年の七月あたりから言い出した「権威権力」とは宗門、猊下、僧侶を指していた事は間違いない。(『妙道の春に』 高橋公純著)
1990.11.28
富士学林研究科閉講式(総本山)
日顕猊下「…池田先生の組織的なまとめによって世界にもその広宣流布の形が、はっきり言えば戦争花嫁だけれども、要するに戦後の人的交流が世界的に行われて、世界に日本人が進出しつつ正法を受持する人が弘まったために、それらの組織的な形の薫陶があり、また指導、拡大発展が行われて、今日、百二十数万というような信徒が世界におるということが言われておる時代になっております。しかしこのような形の中での広宣流布ということが、たしかに行われておるけれども、我々僧侶の面から見たときに、果たしてこれでいいのかということもまた考えなければならないことだろうと思うのであります…」(大日蓮539)
1990.12.3
静岡県最高協議会(静岡)
池田「―大聖人は……女人よりも男子の罪は重く、男子よりも尼の罪は重い。尼よりは僧の罪は重く、破戒の僧よりも持戒の法師の罪は重い。持戒の僧の罪よりも智者の罪は重いであろう――と……かつて、僧という立場、衣の権威を利用して、健気に信行学にいそしむ仏子を、謗法呼ばわりし、迫書した悪侶らがいた。この御書に照らすとき、その罪は計り知れないほど重いことがわかる…」(聖教H2・12・5)
➡池田の宗門僧侶批判は、三宝破壊であることを自身が分かっていない証拠。
1990.12.5
妙宝寺新築落慶入仏式(山口)
猊下「‥不思議なことは、七百年間、大聖人、日興上人の唯授一人の血脈相承をもつて総本山大石寺に厳護されてまいりました日蓮大聖人の正しい仏法が、この昭和という時期に、特に創価学会の出現によりまして、日本乃至世界に広宣流布をするという因縁が築かれた次第でございます。その中の一分として法華講の方ももちろん一生懸命御奉公されましたけれども、特に学会員の方が日本全国において、あらゆる所でこの正法を深く確信してそれぞれの人々にこの大法の道を、功徳を説き、またそれに対して邪法邪義の恐ろしい所以を相対して説いていって、初めて多くの人々が今までの邪義邪宗を改め、正法を正しく清浄に信ずるという姿がそこに起こったのであります‥」(大日蓮539)(聖教H2・12・6)
1990.12.9
忠誠心を誓わせるのは臆病な権力者
抑圧的な権力者――彼らの本質は、じつは「臆病」なのである。臆病だからこそ、みずからを守る″威厳のよろい″として、権威を求める。また人々に尊敬され、忠誠を誓わせないと安心ができない。(平成2年12月9日 池田大作全集75巻)
1990.12.13
宗門・学会の連絡会議
宗門 創価学会との連絡会議の席上、池田大作の11月16日のスピーチについての『お尋ね』文書を学会に提出。 創価学会 「出所不明のテープを元にした文書は受け取れない」と受け取りを拒絶(東京常泉寺)
1990.12.16
宗門 12.13付「お尋ね」文書を創価学会へ送付
1990.12.24
宗門 創価学会からの12月23日付『お伺い』なる9項目にわたる事実無根・捏造の宗門批判文書を受信
1990.12.27
宗規改正にともない池田氏 総講頭資格喪失
1990.12.29
福岡市・正宗寺院へ脅迫数十回
 九州・福岡市では、日蓮正宗の寺院に、こんな脅迫電話があった、と総本山に報告がよせられている。こんな内容である。
 「昨年十二月二十九日より福岡市西区内のMという者より池田名誉総講頭を解任させたことはけしからん。よって住職がその寺を出ろ、出なければ火をつけて燃やすといういやがらせの電話が数十回にわたってあり一一〇番。派出所が境内を警戒し巡査もそのいやがらせの電話を取って聞く。それからも二十九日より二週間に及ぶ。その一部内容をテープにおきめることが出来た。その内容はコラ″出らんかコラ″日顕のパカが総本山なんてただではすまんぞ、猊下パカだよ猊下を精神病院が収容しますから、葬式は私がします。納骨室購入金返せ!! 開信寺正信会の住職、クソ住職!!(中略)平成三年一月二十二日午前十一時。福岡市西警察署 二階刑事課強行犯係へ行き今回の経過を報告したところ、すでに池田問題等は知っており、この件に関し本人へ警告をするということと、今回の件が原因となって相手が行動を起す場合を想定して必ずテープもよいが記録を詳細にとることを指示された。(以下略)」平成3年2月14日号 週刊実話
 
本山へ嫌がらせ電話800回
 平成二年の十二月二十九日、総本山に一日八百通の嫌がらせ電話りがあり、私のところは四日で五百通の脅迫電話があり、その外、福岡県教説寺住職の三方殴打事件、福岡県開信寺住職及び講頭に対する暴力事件、長崎県弘宣寺に「殺してやる」と叫ぶ学会員の乱入事件、四国敬台寺の警察官十名も出た暴言事件、その外、小さい事をもあげれば、仙台市妙遍寺、名取市広安寺、水沢市宝器寺、阿南市正玄寺等々、数を頼りとした暴力、暴言事件は枚挙にいとまがない。(『妙道の春に』高橋公純著)
1990.12.30
学会 総講頭・大講頭資格喪失の撤回を求め抗議書を宗務院に送付
翌年、学会は破門され「魂の独立」を叫んだが、宗門に居座りたいとしたこの行動とは矛盾する。
 
この年、学会草創期からの幹部で都議会議員を7期務めた龍年光氏が脱会日蓮正宗へ

平成3年

1991.1.1
宗務院よりの『お尋ね』に対する創価学会からの回答
再度、日蓮正宗を非難。
1991.1.1
宗門批判の怪文書『地涌』 発行
➡身元を隠し、宗門批判を行うこの怪文書は、学会本部地下の地涌会館で野崎勲副会長、学会系葬儀会社・報恩社社長等によって執筆。 全国の正宗寺院へ勝手にFAXされ続けた。
この文書を利用し創価学会は反宗門へと会員を洗脳。
1991.1.4
学会 宗門への批判キャンペーンを開始
1991.1.4
法華講連合会初登山目通り(総本山)
1991.1.6
全国教師指導会
「今後の対学会を呪んだ方針として六項目を発表した。これは、学会からの脱会者は寺院の直属の信徒、あるいは法華議員として積極的に受け入れること等が骨子。」(平成4年1月1日号 月刊文藝春秋)
1991.1.9
血脈相承を否定するものでは毛頭ない
「もとより、私たちは「仏宝法宝は必ず僧によりて住す…… 仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」との御文にある法義の継承、伝授における僧の意義、また歴代御法主によって継承されてきた法体の意義、またその血脈相承を否定するものでは毛頭ありません。」(平成3年1月9日 創価学会青年学術者会議有志 『宗門の不当措置に講義』)
1991.1.10
執行部の会合での池田発言
〈俺はマルチン・ルターになる〉
〈日本での宗教改革の歴史はなかった。今それをやるのだ〉
〈内に甘く、外に厳しい宗規を叩きつぶすまでやる。今後、登山は一切しない
〈今は前三後一の時だ。十年に一度は坊主とケンカするのだ
日蓮正宗とは絶対に離れない。もしもの時でも、大聖人の仏法を掲げて、外から宗門を攻めていく〉
(平成3年1月31日号 週刊文春)
1991.1.16
学会 宗門に「宗務当局の責任を問う」なる抗議書を送付
1991.1.17
多国籍軍 イラクを空爆、湾岸戦争勃発
1991.1.17
山崎正友氏 実刑確定(最高裁)
1991.1.20
学会 池田大作総講頭資格喪失に対し、冊子「宗門の不当措置に抗議」を発行
⇒「理不尽な措置」と抗議するが、後の、「魂の独立」を宣言する言動と矛盾
1991.1.24
自民政府 多国籍軍に90億ドル支援を決定。公明も賛成に回る
1991.1.30
学会 「本部見解」を発表。
宗門の公式謝罪と藤本日潤総監の辞任、さらに宗門側による池田大作名誉会長の「総講頭」剥奪処置の撤回を要求
1991.2ごろ
学会 「友人葬」を始める
1991.2.14
「1991 KOMEIパンフ」(公明党機関紙局発行)大量割り当て
「あのパンフは全国の組織に流された。一プロック当たり、ワンセツト三百円のを、三十~五十セットぐらい割り当てたようです。学会の一プロックはざっと三 十~五十人。これが全国に約二十万プロツクありますから、概算でも二十四億円―選挙資金稼ぎなんでしょうが、この時期、よくも押し付けてくるものです」(平成3年2月14日号 週刊文春)
1991.2.15
僧侶殴打事件発生
福岡布教区の教説寺に創価学会地域幹部が怒鳴り込んで乱入し、住職の国島道保師に諭争を挑んだあげく、三方(さんぽう。白木の盛りもの台)で住験の頭を何回も殴る事件までが二月十五日に発生した。国島住職の義父は宗務院の早瀬義寛庶務部長。いま、創価学会から集中攻撃のターゲットにされている役僧である。直ちに至急報として、全宗内を事件発生情報が駆けめぐり、緊迫感を一層高めるきっかけとなった。(平成3年4月1日号 月刊諸君)
1991.2.18
僧侶が自殺したとイタズラ電話
「二月十八日夕刻、群馬県安中市の「法勤寺」の岸本恭済住職のもとにかかってきた電話は、もっと常軌を逸している。
相手「警視庁捜査一課のヤマガワという者ですが、実はそちらの日蓮正宗の○○さん(総本山商僧の名)が、今日、自宅で自殺されまして」
住職「自殺? 嘘でしよう‥」
相手「警視庁が何で嘘つくんですか」
住職「‥ ‥」
相手「それてね、遺書の中にね、おたくの寺の名前が出て来るんですよ。それて、今晩、群馬県警の担当の刑事を二人、そちらに向かわせたいんですけれと、ご住職のご都合はいかがかと思いまして」
住職「私ですか? は、はい、ずっといます」
相手「サノとオオタニという二名が何いますので、署のほうで二時間ばかり事情聴取をしたいんですが」
住職「は、迎えに来るんですね、わかりました」
相手「では六時ごろ伺いますので、よろしくお願いします」
終始、事務的な男の声。動転した岸本住職はヽこのあとすぐに総本山に確認の電話を入れたが、くだんの高僧は会議に出席中で、完全なデマとわかった。(平成3年3月7日号 週刊文春)
1991.2.19
学会幹部暴言
学会の最高幹部が会員の前で、平然とこんな言葉を吐く(2月19日、岡山・玉野会館)
「‥法師の皮を着た畜生坊主。供養を欲しがるコジキ坊主、本山の僧侶の位なんかクソクラエ。衣は着とるけど、外見は僧侶でも心は腐っとる・・・」(平成3年4月18日号 週刊実話)
1991.2.21
日顕猊下書写の御本尊に功徳変わりなし
「九州本部の『庶務センター』が幹部対象に配布したもので「Q&A」方式で、こう記している。
Q 日顕猊下書の御本尊を拝むことは、どうなのでしょうか。
A 私達が頂いている御本尊は、その時々の法主が大御本尊を書写されたものです。戸田先生(創価学会2代会長、故戸田城聖氏)も幸福製造機と言われておりました。ですから、御本尊の功力に全く変わりはありませんので、ご心配はありません。しっかりど祈念していきましょう。」平成3年2月21日号 週刊実話
1991.2.23
第十五回全国婦人部幹部会(東京・戸田記念講堂)
「出席者の話によると、それは異様な光景だったという。先月二十三日、東京戸田記念講堂で開かれた、創価学会全国婦人部幹部会でのことである。集まった数千人のご婦人方を前に、池田大作名誉会長をはじめ、秋谷会長ら学会幹部が壇上に勢揃い。婦人部結成四十周年の記念大会とあって、「集いを祝う」意味で、名曲鑑賞が行われた。(中略)「池田名誉会長が、突然、壇上の幹部を一人ずつ指名して、曲にあわせて踊らせ始めたんです。幹部の方々は、わけもわからず、思い思いに、炭坑節だとか安来節みたいな踊りを披露してましたが、全然、曲にあわず調子はずれでした」(学会関係者)それを見てはしゃぐ池田名誉会長のカン高い笑い声だけが響き、次々と踊らされた幹部たちは、それこそ真剣な表情だったという。」平成3年2月21日号 週刊新潮
1991.3.1
「回向」は塔婆の本数で決まるのか
「親や子供、夫や妻を亡くした人の悲しみは、他人がうかがい知ることのできないほど深いものである。ところが、その遺族の心情につけこみ『塔婆供養』を強要するなど、『塔婆』を金もうけの手段にしている正宗寺院が少なくない。信徒に信仰の範を示すべき僧侶が堕落し、日蓮正宗の清らかな宗風を汚していいものか。このシリーズでは、全国のなかから目にあまる事例をリポートする」(聖教H3・3・1)
1991.3.5
宗門 SGIへの一任廃止
海外信徒への指導をSGIに委任してきたが、宗門はこれを廃止
1991.3.6
聖教特集座談会「信徒利用の金もうけの塔婆を破す」
(辻武寿・森田康夫・曽根角二郎・田村志津子・山田郁子・山口寿子・望月教子・今井照磨)
◇塔婆の本数は信心の厚薄と無関係
◇塔婆年間数百万本の木材消費
◇追善供養の本来の意義(新報H3・3・6)
1991.3.13
学会、東京第2布教区支院長に「抗議書」を送付
「このほど東京第二布教区(高橋信興宗務支院長)から『謝罪要求書』なる文書が学会本部に送付されてきた。これは、昨年十一月十六日の本部幹部会における池田名誉会長のスピーチが日顕猊下を軽侮したなどと、全く根拠のない言いがかりをしてきたものである。本来ならば謝罪、反省すべきは宗務当局であり、布教区である」(聖教H3・3・15)
1991.3.16
宗門 登山方式の見直しを秋谷会長宛に送付
月例登山の件
「諸般の実情に鑑み、今後は本来の在り方に立ち還り、学会による登山運営を取り止め、総本山の責任において創価学会の登山を取り扱って参りたいと思います」
1991.3.18
法華講支部指導教師指導会(総本山)
猊下「今、色々な問題がありますが、たしかに池田名誉会長の昨年の十一月十六日の発言において、特に法主に対する蔑視・軽視の発言、宗門の僧侶に対する蔑視・軽視、これも充分認められるところであります。さらに五十二年路線ということに関して、あれ程誓い、あれ程日達上人に対してお詫びを申し上げたにもかかわらず、宗門に対する色々な形での批判とか、そのような考え方が出てきておるようであり、これが最近は特に露わになってきました。前回はあまりに正直にやり過ぎたから、あのように謝らなければならなかったけれども、今度は謝らないと言っているらしい。今度はそれだけ利口になったというような考えらしいので、そのような発言もこぼれてくるようであります…」(大日蓮543)
1991.3.20
創価新報 ナツトクQ&A 「ズパリ聞く宗門の堕落と謀略」
「宗門は一連の問題の根拠となる重大な箇所のミスを訂正しながら、なぜ学会に謝罪をしないのか。あくまで僧侶の権威を誇示し、その実、金儲けに狂奔するのはなぜか。今、私たちが直面している宗門問題は、一宗の問題にとどまるものではなく、聖職者の在り方や日本の卑屈な精神風土をただす現代の宗教改革ともいうべき大きな意義を持つ。ここでは「新報特選の″ナツトクQ&A″」と題し、谷川佳樹男子部長をはじめ七人の方に、宗門の堕落と謀略の本質をズパリ聞いてみた」(創価新報H3・3・20)
1991.3.20
聖教社説「『回向』の真義を考える」
「回向とは、彼岸や盆などの特別の時だけに行うものではなく、日常的に毎日の動行の際にしていくことが、その基本となる。大聖人の仏法において『常盆、常彼岸』といわれるのも、その意義である。彼岸に故人の追書を行う風習が日本だけのものであることを考えれば、世界宗教である日蓮大聖人の仏法において、回向が盆・彼岸に限定される道理はない‥‥故人の追善供養のため塔婆を立てる風習が存在しているが、これは一つの慣習に過ぎず、塔婆を立てなければ回向ができないというものではない。まして、塔婆供姜をしなければ幸福になれない、などということは絶 対に仏教の教義ではない。塔婆供養の風習は日本だけの、しかも平安時代から始まったもので、仏教の本質でもなんでもないからである。日蓮大聖人が御書において塔婆供養に言及された例もわずかながら存在するが、それは、仏教の本義にたがわない限り、各時代や地域の風習を否定せず、時と場所に応じた弘法を行っていく『随方毘尼』の例として拝すべきであろう」(聖教H3・3・20)
1991.3.22
佐賀県支部長会(佐賀文化会館)
秋谷「…仏法が世界百十五カ国に流布し、二十一世紀をリードする大白法として光り輝こうとする時代にあって、江戸時代からの檀家制度の悪弊に染まっている宗門の改革が求められる。権威・権力の動向を鋭く見抜く英知の人として、威風堂々と広布を前進させ、自身の勝利と満足の人生を築いてほしい…」(聖教H3・3・23)
1991.3.26
法華講連合会春季総登山会目通り(総本山)
猊下「創価学会員の方々の中において誤った考えに執われておるような人が皆様方の知人にあれば、やはりその人達に対して仏法の正しい道理を説き、そしてあなた方が盲従しておるところの学会の考え方は誤りであるということをはっきり申し切っていっていいものと思うのであります」(大日蓮543)
1991.3.30
朝日新聞 ルノワール絵画取引疑惑報道
この春に大騒ぎとなった事件。三菱商事が創価学会幹部の依頼を受けて、ルノワールの絵画「浴後の女」「読書をする女」を都内の画商から21億2500万で購入し、創価学会系の東京富士美術館に41億円で売却。 この内14億7500万円が行き先不明となた事件。その後の調査で、陶磁器販売会社や経営コンサルタントに仲介手数料として12億円を支払っていた事実が判明し追及されたが、この疑惑は解明されていない。 しかも残る3億円が不明になっている。
1991.3.30
第40回本部幹部会(大田池田文化会館)
池田発言 「葬儀は会館でやれば良い。心配は要らない。葬儀は私たちで出来ますよね、しましょう。全国に会館がたくさんありますから」 「……痛烈なる権力者に対してのパンチ。宗教、ニセ宗教に対する戦いです。だから、最後は、もう牧師も坊さんも誰でもきくんだよ。もう何にもできないように。だけども毅然としてて″何だ!″と、このねぇ、ニセ物が! という。最近ねえ、お葬式が多くなって、ともかくもう、全部会館でやればいいんだから、あるんだから、全部……」  場内で録音される危険を感じたのか、ジェスチャーを使って次のように表現したという。両手で宙に大きな四角を描いて、「イラナイ!」。同じく、今度は小さな四角を描き、「イラナイ」。いったい、なにがイラナイのか。 東京都下で、壮年部支部長を務めるA氏がこうショッキングな解説をしてくれる。「最初の大きな四角の意味は本尊のことだと思います。実は、現在、学会では全国で会館を建設しており、完成すれば館内に安置する大きな本尊が必要になる。しかし、宗門とケンカしていて本尊がもらえない。そこで会員の間から、どうするんだ、という質問が出ているんです。2番目の小さな四角は、おそらく位牌のことでしょう。宗門僧侶にお葬式を依頼しなくなりますから、当然、位牌も関係がなくなります」(平成3年5月2日号 週刊実話)
➡池田が公式に友人葬を指示する発言。
御本尊は学会で発行することはできないと認識していた発言。
1991.3
米ABC放送 アメリカ創価大学をカルトスクールとして報道
(平成4年3月12日号 週刊実話)
1991.4.2
学会 宗門に対し登山会変更による違約金を要求
「いきなり三カ月後というのは納得出来ない。そんな無理を言うなら、運輸関係者に対する補償金、総額六十億円を、宗門のほうで払って欲しい」(平成3年6月20日号 週刊文春)
1991.4.10
池田 宗門をニセ宗教呼ばわり
「……痛烈なる権力者に対してのパンチ。宗教、ニセ宗教に対する戦いです。だから、最後は、もう牧師も坊さんも誰でもきくんだよ。もう何にもできないように。だけども毅然としてて″何だ!″と、このねぇ、ニセ物が!という。
最近ねえ、お葬式が多くなって、ともかくもう、全部会館でやればいいんだから、あるんだから、全部……」(第40回本部幹部会)(平成3年6月20日号 週刊文春)
1991.4.13
男子部300名が福岡県・開信寺に殴り込んで集団暴行事件
全国の寺院で妨害、居座り、面談強要、参詣者に対する暴行が頻発する。
柏崎寿宣住職証言
「御講の最中に、約三百人ほど(学会側の言い分では二百人)の青年部員が押しかけ、私の説法をさえぎって取り囲むと、装裟衣を引っ張って糸を切り、足の付
近を数十回にわたって蹴り続け、さらに、暴行を上めに入った講頭(寺院信徒代表)ら檀徒にまで暴行を働いたのです」
重松日出彦副講頭証言
「当日の模様は録音テープに取ってあります。地獄絵図でしたね。数人の檀徒が暴行で怪我をし、診断書もある最もひどい被害を受けたのは八尋由夫講頭です。私も青年部に取り囲まれていましたが、八尋さんは後ろからネクタイで首を絞められ、弓のように後ろにのけ反っておりました」 (平成3年6月20日号 週刊文春)
1991.4.25
県長会議全国事務局長会(東京広宣会館)
池田 友人葬指示
「『全国で学会幹部による葬儀を行なうようにする。ただし学会本部の指示で行なうのではなく、会員の要望を受け入れて実施する体裁をとりつくろうように』として、3項日の秘密指示が出された。
①学会葬は全国の会館で執行
②学会員に学会葬を希望させ雰囲気を作る
③あくまでも会員の強い要望があったとする (諸君H3・7)
1991.4
日顕上人に実弾入り脅迫状が届く。
本山塔中・妙遠寺に銃弾が打ち込まれる。
1991.4月下旬
アメリカ創価学会の弁護士による対日蓮正宗の防蟻
ロサンゼルスの世界文化センターにSGI・USA法務部長であるジョージ・小野田弁護士ら7人と女性検事による宗門攻撃の謀議を図る。(クロウ裁判その真実を追う)
 
新会館へ模刻本尊安置
「学会本部職員から宗門戦争について連絡があった。寺院を通して参詣登山した学会員は自動的に学会を退会したとみなすとのこと。破門された場合、最も困るのは信仰の対象であるご本尊の問題だが、これについて幹部職員は「いままでいただいたご本尊を流用しているが数が足りない。新しい会館がオープンするとご本尊を備えなければならないが、数が足りないのでおそらく模刻している。模刻がバレるので新しい会館オープンのことは聖教新聞に載せないみたいだ。宗門から模刻をチェックされるのを恐れているようだ」『乱脈経理』矢野絢也
1991.5.6
福井県の本縁寺で暴力事件
留守を預かるお手伝いさん(50)と、信徒の青年(26)が、寺院にいきなり乱入してきた男に殴られるという事件が起きた。(平成3年6月20日号 週刊文春)
1991.5.7
1991.5.14
去る5月14日夜、福井県福井市の学園町方面で、地域の月例行事である「座談会」が開かれた。 同座談会に出席したM副会長は、多くの会員を前にしてこう発言をした。 「宗門には金があり余っていて、学会が必要でなくなったため、池田(大作)先生を切った。今も1日2万人の登山者があり、1人1600円の御開扉料として、1日2億円入る」 すると、会場にいた会員の1人が発言。 「3200万円ではないのか。数字がちがう」 会員 「お金で宗門をなじるとは何事か!」 会員その他 「そうだ、何事だ」 (平成3年6年6日号 週刊実話)
➡「宗門は金が余って」とは全くのデマ。自分が負担した学会への財務・新聞書籍代と、宗門への御供養の額を計算すれば一目瞭然であろう。
1991.5.22
青年部、新「大学校」運動を展開
◇男子部「オープンハウス大学校」を新設
◇女子部「大学校フェステイパル」(聖教H3・5・22)
1991.5.24
山崎恐喝事件 北条浩会長の検事調書
<(八〇年四月二十二日)午後十時半頃から私、森田(一哉)理事長、秋谷(栄之助)副会長それに八尋(頼雄)弁護士の四人が集まり、どうやって(山崎弁護士から恐喝されている)三億円を捻出し、どのような形式をとって山崎弁護士に渡すかを相談しました。私がまず口を切り、
「三億円出すとすれば、学会の帳簿上雑損として処理せぎるをえないが、それだと、山崎弁護士から三億円を脅し取られたことが帳簿に残り、汚点になるから、こんなことが明瞭に残らないようにして金を出す方法はないか」
と皆の意見を求めました。
森田理事長も同感のようで、
「そうですね、どうしたらいいでしょうね」
といっておりました>
<そうしたら、八尋弁護士が、
「山崎弁護士は手取りで三億くれ、税金がかからないような方法をとってくれ、と言ってるから貸付という形式をとらぎるをえないんじゃないですか」
というので、皆が、
「それがいい、それで行こう」
ということになったのです>(平成3年5月24日号 週刊朝日) 詳しくは
1991.5.28
学会本部 宗門に添書登山の件について話し合いを要請する「書簡」を送付
1991.6
シンガポールで暴力事件
「平成3年6月に、4人の僧侶が出張した際には、シンガポールの空港や港、ホテルでSGIの会員約50名に殴る蹴るの暴行を受けた。身の危険を感した僧侶らが、警察に訴えたところ、指揮していたSGIの男子部長が警察に逮捕、拘留されることとなった。しかし、今回は比較的平穏無事に出張ご授戒を終えることができた。現在、シンガポールの宗門側信徒は約5000人。おそらくSGIは1万人くらいでしょうが、脱会者は増え続けている」(現地の法華講員と親しい日本の関係者)(平成6年1月20日号 週刊実話)
1991.6.5
宗門 学会員へ登山のお知らせを各全国紙朝刊に広告掲載
来たる7月2日から、創価学会の皆さんの総本山大石寺への登山(御開扉願)の手続き方法が変わります。 今まで皆さんの月例登山会はすべて学会の組織を通して行なわれて来ましたが、今後は本宗本来のあり方に戻し、総本山と末寺において取り扱うことになりました。従って7月からは学会員の皆さんが登山されたい時は、各所属寺院から発行する添書を所持して個々に登山することになります。 【写真全国紙広告➡】 
1991.6.10
正興寺新築落慶法要(埼玉)
猊下「‥創価学会などは、大聖人の御信徒を『自分の信徒だ、自分の手下だ」と考えているのです。そして、そこに執われておりますから、大変な嘘まで言って、何とか自分の支配するところにつなぎとめようとしております。そのような姿を外道の我所見というのであります…‥今日、ひどい嘘によって僧侶を誹謗し、あるいは『塔婆などはくだらないことだからやめろ」とか、『寺には行くな」などと言って大聖人様の仏法を護持する宗門を迫害せんとする創価学会の者達がおりますが、これこそが因果撥無の姿であります…」(大日蓮545)
1991.6.14
SGI会長、ヴァイツッゼカー大統領と会談
ドイツの有力経済紙
<東京のドイツ大使館の明確な反対にもかかわらず本日予定されている、連邦大統領と日本創価学会会長の会談は、致命的ともいえる誤った決定である>
と伝える。
1991.6.17
財団法人・平和墓苑 法人税(3年分)を修正申告
「群馬県渋川市の財団法人・平和墓苑(はるな平和墓苑)に対する関東信越国税局の税務調査が、このほど終了した。その結果、同財団の経理に不正は一切ないことが明らかになったが、墓園事業の税法上の取り扱いについて理論的な解釈の相違があり、十七日、昭和六十二年度、同六十三年度、平成元年度の三年分の法人税の修正をした。三年分の修正所得金額は約五億七千万円で、これに対する法人税約一億五千万円を高崎税務署に納税した」(聖教H3・6・18)
1991.6.18
フランスの大衆紙「パリジャン」創価学会を特集
〈内務省国土監視局(DST)が、フランス創価学会に関心を持って調査中……〉
DSTとは、スパイ活動など国の安危に関わる事柄を調査する内務省直属の機関だ。 平成3年7月4日号 週刊文春
1991.6.25
広布30周年イギリス記念総会(イギリス・タプロー・コート)
池田「…仏道修行は、水の流れるように『たゆまず』前に進むことが大切である。忙しい時や疲れきっている時、その他、さまざまな事情で勤行が完べきにはできない時もあるかもしれない。そういう時は方便品・自我偶の勤行、また唱題だけでもよいと思う。ただ決して『止まらない』こと、『やめない』こと、『続ける』ことである。ともあれ、だれが決めるのでもない。信仰は自身の『権利』である。やった分だけ、境涯は開け、自分が得なのである…」(聖教H3・6・27)

創価学会による団体登山がこの日で最終となる
1991.6.27
池田 大衆車と高級車を使い分け
本部職員や会員が見てるところでは、池田氏が学会本部を出るときは、乗る車が大衆乗用車。それが高速道路に入る直前、渋谷神宮近辺で素早くキャデラックに乗り換えるんです。それで終わりではありません。東名高速で静岡県富士宮市の総本山に向かうでしょう。今度は、富士インターの高速出口を出てから、再びキャデラックから元の大衆乗用車に乗り換え、総本山に到着するんです。会員の前ではゼイタクを隠し、庶民ぶる演出ですよ」(原島嵩氏)平成3年6月27日号 週刊実話
 
海外の脱会者
創価学会本部によれば、海外の学会員は百二十六万三千人。世界百十五カ国に及ぶという。しかし、今回のニュース番組や大石寺との争いが原因で、脱会者が海外で続出していると学会ウオッチャーは話す。
「ロス支部で八十名、ニューヨークで百五十名脱会したと聞いています。また、韓国では六十万人いた学会員のうち十万人が辞めたそうです。海外の学会員の数は実質五十万人とみていいと思いますよ」平成3年6月27日号 週刊新潮
 
三菱商事の株主総会
当初、「騒ぎに迷惑している」と、絵画取引には一切無関係を装ってきたが、やがて売買の現場(帝国ホテル『桂の間』=平成元年3月28日)に、八尋頼雄副会長(学会顧問弁護士)が同席していた事実を報じられると、学会側は、「紹介者として立ち会ったもの」 と、弁明。絵画取引をめぐって、学会最高幹部の関わりは認めたものの、「学会は絵画取引には全く無関係で、不明金騒ぎは極めて迷惑」(『読売新聞』4月3日付)と、同会の山口総司広報室 長がコメントを出していた。
 ところが、創価学会側のこうした説明が、ウソだったわけだ。 前出・社会部記者がこう言う。 「三菱の諸橋社長の口から初めて、八尋副会長から直接購入の依頼があったことを明らかにされた。さらに発言で注目したいのは、三菱が支払った36億円は、最初、八尋副会長に手渡したこと。しかも、その架空のフランス人名義の領収書は、三菱が、八尋副会長を通して受取っていた。ここまで説明されたら、学会は、絵画取引に無関係どころか、むしろ深く関与していたことを認めるべきでしようね」 平成3年7月18日号 週刊実話
1991.7.2
宗門 添書登山方式に切り替え
創価学会組織での登山申込みから、末寺での添書申込みでの登山方式に変更
1991.7.3
谷川男子部長、猊下に質問書を送付
(偽書「通諜」について宗門の謝罪を求む) 「戦時中、軍部政府による神札の強制に対し、敢然と拒否、殉難の歴史を歩んだ創価教育学会。それに対し、宗門は、戸田理事長名による『通諜』なる文書を持ち出し、学会が神札を容認していたとの言いがかりをつけている。それが、宗門の時局協議会資料収集班一班による、『「神札問題」について」と『日蓮正宗と戦争責任』との二つの文書である」(新報H3・8・7)
➡通牒は戦前の学会幹部が所持していた真正なものとして残存。
1991.7.11
野崎勲副会長発言
昨年の財務て広宣流布の資金は大文夫になった。百年は心配無い。宗門に金がたまった、と言っても百年は持たない。その内に末寺からも愚痴が出る。宗門は財政的に必ず、疲弊してくる。金とスキャンダル攻撃に弱い坊主が上にも下にも案外多いんだ。いずれ、足並みが乱れてくるのを待てばよい。こちらの勝ちだ」
小川只道理事談
「日蓮正宗は、昔から、“針金宗”と言われた頑固者集団ですからね。登山者がどれだけ減ろうとも、私たちはきちんと我慢してやっていきます。いつまで続こうと、耐えるしかない。苦しさは覚悟のうえのこと」(平成3年7月11日号 週刊文春)
1991.7.13
創価学会諸精霊追善勤行会(東京・新宿平和会館)
池田「…私どもは日蓮正宗の信徒であり、正宗の正しき伝統にのっとらなければならない。その上で、今日は、さまざまな質問もあると思うので、御書と日達上人の御指南を拝しつつ、一般論として、懇談的にお話ししておきたい。成仏は、どこまでも自身の正しき信心、正しき仏道修行によって決まる。葬儀等によって決まるのではない。(御書には、『葬儀』『葬式』という言葉は一度も用いられていない。〉……また戒名について言えば、御書には『戒名』の語は一度も用いられていないと記憶する。『法名」「法号』の語は用いられている。〈『伯耆房日興』『蓮蔵房日目』等、大聖人が門下に与えられたのが『法名』『法号』である。)……戸田先生も、現在のような戒名は必ずしも必要ないと常に言われていた…」(聖教H3・7・14)
1991.7.17
学会と三菱商事の陶磁器取引き明るみに
三菱商事がルノアール絵画購入の三日後、中国製陶磁器200点を学会の委託を受けて、造船会社から22億5千万円で購入し、一年間東京富士美術館に預けてから、買値より7億円高い値段で学会に売却されたといわれる。 そもそも、東京富士美術館は高価な美術品を買う資金に不足しており、実態としては学会側主導で品物を買い、美術館へ提供されている。
1991.7
浄財を財テクしていたことが発覚
創価学会が国際証券に4億5700万円もの損失補てんを行っていたことが明らかになった。 これは大口顧客への特別扱いとして社会問題化した事件であるが、その顧客リストの中に創価学会が入っていた。
➡このとき、国際証券に勤務していた学会員がこれを担当することとなり、不信に思う。
1991.8
脱会者へ嫌がらせの手紙
脱会した青森に住むNさんに“創価学会信奉者”なる者から嫌がらせの手紙が届く。 「前略 一筆申し上げます。Nさん私たちを馬鹿にした行動は、私たち学会員に対する挑戦ですか?・・・いつか、かならず一家の人達に不幸が来るかもわかりません。(中略)私たち学会員一同のいかりはこわいです。一つ気をつけて下さいね。(中略)N一家江 元友人から」
1991.8
第二回目の国税調査
'91/9月~'92年4月にかけて国税(料調)調査入る
墓石販売収入80億円余りが追徴課税を逃れ
学会の墓地は永代使用料・墓石をセットで販売。税法上、土地は非課税だが、墓石は課税対象となる。この区別は小学生にも分かる単純なものだが、学会はこれらをすべて非課税扱いとして法人税を逃れていた。そこに国税当局の手が入り87~89年度分を修正申告、追徴6億円を支払った。 しかし、それより昔の 「戸田記念墓地公園」「富士桜自然墓地公園」の分はすでに時効を終えており、難なく課税を逃れていた。その後も学会は姿勢を改めることなく、この91年度も総額30億円近い巨額の修正申告を行っていることから、税金逃れをあの手この手で行っていたことが明らかだ。
 
【時効成立の怪】
本来7年ある時効期間が3年で“なぜか打ち切られた”ことによる。 この経緯について、社会党・渡辺嘉蔵議員が、平成4年2月26日に衆院大蔵委員会で質問している。 「この修正申告は、3年で打ち切っておられるように思われるんですが、時効は7年ある。調査の時効も5年はあるんです。私は、何も7年全部とかいろんな事はいいませんが、少なくとも私は3年で打ち切った理由はなぜか。これは余りにも金額が大き過ぎるからなんです」 この追求に、出席した羽田大蔵大臣、国税庁・宮沢次長らの中から、中川徴収部長が答弁に立ったが、その理由については一切答えなかったのである。
1991.8.18
第4回北海道総会(北海道・函館研修道場)
池田「… 『本尊』のための本専ではなく、まして『僧侶』や「寺院』のための本尊でもないと。大聖人の門下においても、かりにも、御本尊を仏子を脅かす″道具″にしたり、金儲けの″手段″にするような行為があれば、それは大聖人の仏法を破壊する『大悪』であると、私どもは断ずる……私どもが、どれほど真心を尽くして、宗門にご奉公し、多くの寺院を寄進申し上げてきたか。宗門の世界的な大発展を実現してきたか。これは、だれびとも否定できない事実である。それにもかかわらず、私どもが真心から御供養した寺院を私物化し、まして信徒をいじめ脅かす僧侶 がいるとすれば、まさに『信仰の横領」というほかない…」(聖教H3・8・20)
1991.9
池田・内藤国夫対談
内藤 ケンカ両成敗です。どちらにも改めるべき、反省すべきことはあるはずだ。信者だからといって宗門に平伏する必要はない。そうではないですか。
池田 信徒は宗門に随順すべき立場にあるのです。学会執行部が、御法主上人猊下のご指南を受け、御宗門の先生方とも、とことん話しあっていく以外にないのです。そのうえで、誠心誠意、各寺院を外護し貫いていく。そういう決意でいます。 平成3年9月1日号 月刊現代
➡この頃の池田は明らかに二枚舌。
1991.9.19
各部代表協議会(学会本部)
池田「…御本尊への供養を自分や家族のぜいたくのために利用したり、供養して当然と傲ったり、いわんや脅して供養を強要したりする者がいれば、大聖人に師敵対する謗法の者であろう…」(聖教H3・9・21)
1991.9.30
人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを、法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義である」(平成3年9月30日付 聖教新聞 秋谷会長指導)
➡学会自ら三宝破壊を犯し、平成終盤には人法一箇を捨てた。
1991.10.4
スペインで法人「正法日蓮正宗スペイン」許可
野口スペイン理事長、副本部長、本部婦人部長らsgiメンバー700名の内、140名ほどが脱会し正宗側へ就く。
1991.10月ごろ
創価学会・SGI 日顕上人退座要求署名運動を開始
12月度全国県長会議(12月6日)において公表した総数、国内で1416万、海外を含め1619万名分
1991.10.17
宗門 全国教師指導会
参集した四百余人の中から六人の代表僧侶が選ばれて発言。それぞれ「池田大作名誉会長 秋谷栄之助会長 森田一哉理事長の学会三首脳を信徒除名にし、「本尊下付の停止、登山停止」等処分を要求。
藤本日潤総監は「十月末までに、各教師は署名捺印をもって要望書を提出せよ」と応答した。(平成4年1月1日号 月刊文藝春秋)
1991.10.21
日蓮正宗 創価学会へ『通告文』を発送。 学会葬などの化儀破壊行為を改めるよう通告
1991.10.23
第41回中央会議(東京・創価文化会館)
秋谷「昨年の夏、宗門は、いわゆる『C作戦』なるものを画策していた。『C作戦』とは、学会、名誉会長を『カットする』=『切り捨てる」という作戦である。つまり、名誉会長を総講頭から解任し、日蓮正宗と創価学会とは関係がないと世間に公表し、学会組織の徹底的な壊滅を謀る、というものである。(聖教H3・10・25)
➡実際のC作戦は、学会側が行っている。
1.会員の登山止め。
2.後の大御本尊否定(会員と大御本尊を分断)
1991.10.30
学会 緊急会議
宗門を批判しつつも御本尊についての不安の声上がる。 「破門には訴訟で対抗する。猊下も裁判に引っ張り出す」福島弁護士
1991.11.3
全国壮年部幹部会(東京・創価大学)
秋谷「…学会は一貫して、大聖人の仰せ通り、正法・正義を行じております。したがって、正法・正義を実践するのが日蓮正宗であるなら、創価学会こそが日蓮正宗であり、謗法の宗門は異端であります…」(聖教H3・11・4)
1991.11.7
日蓮正宗 創価学会へ『解散勧告』
創価学会は、本来、唯授一人血脈付法の法主の指南、及び教導のもと、日蓮正宗を外護し、広宣流布へと挺身すべき本宗信徒の団体であります。  
 ところが、最近、創価学会は、自らの本分を忘れ、本宗信仰の命脈たる下種三宝義、並びに血脈相伝義をはじめとする本宗伝統の化法・化儀を、己義をもって改変し、他宗教さながらの様相を呈しております。日蓮正宗としては、これまで慈悲の立場から、種々の指導・善導に努め、教誡等をもって反省懴悔を求めてきましたが、創価学会は、全くこれを無視し、かえってあらゆる手段をもって、法主・宗門に対して、誹謗・攻撃を加えつづけてきております。 【全文】
1991.11.7
読売新聞夕刊 「現在の学会の活動路線そのものが同宗の教義に折り合わないことを明確にするため、解散勧告を行うことに固まったとみられる」
1991.11.7
11月度全国県長会議(東京・広宣会館)
副会長の総数は180名に 総合教学部長に青木副会長が、新教学部長に斎藤克司が就任。47人の新師範が発表(聖教H3・11・8)
1991.11.18
本門の本尊は戒壇の大御本尊
日蓮大聖人の仏法の根幹は、「三大秘法」であり、その根本中の根本は「本門の本尊」である。日蓮大聖人が、弘安二年( 一二七九年)十月十二日に御建立になられた、一閣浮提総与の本門戒壇の大御本尊こそ「本門の本尊」であられることは、いうまでもない。(平成3年11月18日 創立の日記念SGI勤行会 『池田大作全集79』)
1991.11.20
総本山御会式(総本山)
猊下「今や創価学会は、その本来の正法広布の目的と使命を忘れ、大聖人の五段の相対の元意と甚深の法脈に背き、特に、内外雑乱して世間に媚び・・・かかる池田創価学会は、もはや、昔日の如き正しく正法を弘通する団体ではなく、自らその使命を放棄した、三宝破壊の集団と化しております。故に本月の七日をもって、宗門においては、創価学会に対し、断固、その解散を勧告いたしました…」(大日蓮550)
1991.11.24
日顕猊下書写の御本尊問題ない
もう一点、「極悪」とか「天魔」とか呼ばれる日顕法主の書き写したご本尊を拝むのに抵抗はないでしょうか。
野崎(副会長) 抵抗ある人は、いると思いますよ。いますけど、ご本尊というのは、日蓮大聖人が書いたものをそのまま書写しているわけですよ。日本語では書写ですが、英語でいえばコピーですよね。ご本尊に功徳があるんであって、法主であれば誰が書写したかというのは、問題じゃないんですよ。 信徒としては、本山に参拝したいと、思いますよね。
野崎 当初、確かに寂しいという人もいましたけど、同時に、こういう形になってきちゃうと、その本山の座主は日顕法主ですよね。法主自身が狂っちゃってるんだから、会員は、そんなところ行きたくない、という心情になっていますよ。あの法主が退座するまでは本山に行かない、という皆さんが多いんじゃないですか。 (平成3年11月24日号 サンデー毎日)
1991.11.28
日蓮正宗 創価学会及びSGIを『破門』
「創価学会は、法主並びに宗門の、たび重なる慈悲の教導に背反し、本宗の法義・信仰を著しく改変して、仏法破壊の大謗法団体と化したのであります。ここにおいて、本宗は、創価学会の過去における外護の功績が、いかに甚大であろうとも、謗法厳誡による宗門七百年の伝統法義護持と真の大法広布を目指す上から、もはや日蓮正宗の信徒団体として認めることができません。よって、日蓮正宗は、宗教法人創価学会を破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、これを破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします」(大日蓮550)
1991.11.29
秋谷会長記者会見
「何の話し合いもせず、一片の通知で破門などという時代錯誤の措置をとることは中世の暗黒時代そのものであり、まったく理不尽というほかはなく、憲法に保障される信教の自由の精神を踏みにじる冷酷無残な暴挙といわざるを得ません。創価学会としてはこのような破門通告を受ける筋合いはまったくなく、また、具体的な根拠もないものであり、無効なものであると断ずるものであります。」
1991.11.30
創価ルネサンス大勝利記念幹部会(東京・創価国際友好会館)
秋谷会長「新入会メンバーや分世帯の方々の御本尊下付の問題については、海外のメンバーと同じように、何の心配もありません。また、日本全国どこへ行っても会館もあり、また、どこの家庭にも御本尊が御安置されているのですから、そこへ行って勤行をさせてもらえばよいのです。あくまでも一人一人の信心の姿勢が大事であることを、互いに銘記したいと思います。」聖教新聞 1991.12.2付
全国教師指導会(総本山)
日顕上人御指南「創価学会は五十ヵ所ぐらいで裁判を直ちに起こすそうですから。で、そこへ全部私を引き出すんだそうで。私も別にまあ、場合によったら行ってもいいかと思っている。別にどうってことはない、あんなもの」(『今、改めて問う創価学会・公明党』内藤国夫)
 
福島源次郎元副会長ら脱会
1991.12.2
御本尊不要論への布石
「戸田先生は御本尊のない“地獄”のごとき牢獄で二年間を過ごされた。そして、あの偉大なる境涯を開かれた」聖教新聞 12/2付
➡牢獄に御本尊がないのは当たり前。戸田は終生、御本尊流布を行った。
1991.12.2
第49回本部幹部会、第3回埼玉総会
「本日は、学会が〃独立記念日″を迎えてから第一回の本部幹部会となった。」池田発言
➡独立記念と喜ぶのなら、破門を下した宗門へ感謝すべき。
➡52年路線の時、日達上人も学会破門を想定、しかし、池田は破門しないよう懇願していた。
1991.12.9
講員に殺すと脅迫
上今回の宗門vs.学会紛争が起因で山田氏は、三十年間所属してきた学会組織を離れ、改めて宗門本寺の法華講員になった。昨年の十二月九日、突然、三人の中年男性が来訪する。見るからにその筋の人違という風体で、話し合いの場を近くの喫茶店に移すと、いきなり、こう切り出してきた。
三年間で日蓮正宗を潰すから、その間、反学会活動をやめろ。もし反学会の活動をやったら殺す
その三日後、今度は二人のうち一人が訪ねて来て、
「どうだ、考えは変わったか」年明けて今年の正月三日にも、やはり同一人物がふらっと訪ねて来て、同じセリフを吐く。山田氏は“真剣”だと察知し、中野警察署に届け出たという。(平成5年4月1日号 週刊文春)
1991.12.20
創価学会の処置と今後の対応について
「平成三年十一月二十八日付をもって、創価学会に対し破門を通告いたしました。さらに、創価学会の指導のもとにある、SGI組織並びにこれに準ずる組織に対しても、併せて破門を通告いたしました。従って、創価学会、SGI組織及びこれに準ずる組織は、日蓮正宗とは無関係になりました。この破門により、宗門は創価学会を認めないことになりましたが、個々の会員が寺院で受けた御授戒・御本尊下附は、創価学会員としてではなく、日蓮正宗信徒として受けたものであるから、個々の会員については、日蓮正宗信徒としての資格は残ります……
一、御本尊下附
二、御授戒
三、総本山登山
四、御報恩御講
五、各種法要・諸願
六、墓地
七、会館入仏式等創価学会からの願い出は一切受け付けない」 (大日蓮552)
1991.12.25
『日蓮世界宗創価学会』を出願
創価学会は正式名称を日蓮世界宗創価学会変更するため同日、出願。平成5年3月31日認可。何の手違いが、「日蓮世界宗」の名称も同時に出願。【資料→】
 
この年から、学会は日蓮正宗を相手取り膨大な訴訟を起こすが大敗。 学会が起こした訴訟138件、宗門が起こした訴訟40件の計178件。 宗門が118件で勝訴。38件は裁判所の勧告による和解、学会の勝訴はわずかに22件(平成20年6月現在)
 
SGI会員 約60万人が脱会、海外組織は壊滅状態となる
 
官房機密費 公明幹部に260万円支給(高級紳士服代として)



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