昭和51年
- 1976.1.3
- 学会 大石寺近くで妙信講の広報車2台を破壊
- 1976.1.4
- 法華講連合会初登山
- 1976.1.15
- 第8回教学部大会
「・・私たちが御本尊を知り、永遠不滅の大生命哲学を知ったのも、七百年間、法燈連綿として厳護されてきた宗門があった事はもちろんだが、創価学会の淵源をたどれば全部、初代会長牧口先生、第二代会長戸田先生のおかげである。ゆえに私たちは両先生の御恩を絶対に忘れてはならない・・その淵源、原点を忘れて、仏法を知り学会を知ったと思うのは忘恩の徒である。宗門の発展も、又全世界の国々への妙法流布も、一切は創価学会があったればこそである。」(『前進』3月号)
- 1976.2
- 月刊ペン事件起こる
池田氏の女性スキャンダルなどを報じた月刊ペン事件起こる。 3月号「四重五重の大罪犯す創価学会」、4月号「極悪の大罪犯す創価学会の実相」
- 1976.2.15
- 「御本尊様は口をきいてくださらない。また御書もありますけれども口をきいてくださらない。(中略)全部、牧口先生、戸田先生のお力であります。両先生とも偉大な仏様でございます」奈良10周年記念勤行会
- 1976.2.16
- 宗門 「本門事の戒壇の本義」 猊下の緒言つきで阿部信雄師が発表
- この春の学会員、弁護士33名、検事18名、判事3名・研修生16名、国家公務員上級36名、外交官上級9名・中級8名、語研18名。
- 1976.3.28
- 宗門 在勤式 「・・とにかく今の僧侶は世間から馬鹿にされております。非常に情けなく思う坊主坊主という言葉を聞きます」
- 1976.4.1
- 札幌創価幼稚園開園
- 1976.4.11
- 創価学会 月刊ペン社、編集長・隈部大蔵を告訴
- 1976.4.16
- 墓苑事業第一号、北海道の「戸田記念墓地公園」が完成しての池田発言
「墓苑60億円、公園で180億円、土地代4億円、200~200億円ぐらいだな。正本堂御供養一回分だな。御供養返還だ(笑い)」北海道羊ヶ丘会館にて
- 1976.5
- 大白蓮華5月号
1.表紙の文字に堂々と「新入会の皆さんに」とある。
2.巻頭言(北条浩) 「5月3日、会長主任16周年のよき日。ああ16年、何という重みであろうか。牧口先生は御書を身を以て読まれた。そして戸田先生は、獄中の悟達を以てこれに答えられた。師弟久遠のちぎりは、かくして創価学会の永遠の原点としてつきせぬ泉となっているのである」
- 1976.5
- 韓国で「韓国日蓮正宗仏教会」が発足。破門後は「SGI 韓国仏教会」に改称。2000年に韓国政府に公式法人として登録されてからは「韓国SGI」
- 1976.6.19
- 映画『続・人間革命』が公開
- 学会 「日蓮正宗懲罰委員会」を立ち上げ
委員長に秋谷、副委員長・野崎勲
- 1976.8
- 池田 事件もみ消しを暴露
側近幹部に「戸田先生が事業で失敗し、刑事事件になりかけたところ、某新聞社の記者がかぎつけて書こうとした、書かれるとおしまいだというので、私が記者に会ってもみ消した。金で買収したのだ。」
- 1976.9.6
- 池田氏の母・一(80)逝去
学会員であった母・一の葬儀は9月13日、日蓮正宗総本山大石寺の細井日達猊下が臨席して合計八十人の僧侶が読経し、約六千人が焼香に訪れる盛大に行われた。
- 1976.10.24
- 第39回本部総会
「・・いかなる宗教においても、聖職者が、権威をかさに信者の上に君臨する場合、民衆の信仰心は薄れ、その宗教は死滅するのであります・・現在の既成仏教は、僧侶が寺にあぐらをかいて葬式仏教になりさがっております」
「不変の創価学会精神として定めておきたいのであります。それは、
一、創価学会は、永遠に民衆の側に立つ。
一、創価学会の実践は、人間革命の運動である。
一、創価学会は、仏法中道の大道を歩む。
一、創価学会の社会的意義は、平和を守り、人間文化の興隆にある。
一、創価学会は、人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する。」
(昭和51年10月24日 札幌文化会館) - 1976.10.27
- 池田 模刻本尊を安置
「この研修所にある東北牧口記念館の方も、昨晩、御本尊をご奉持申し上げまして、県長が参加して入仏式をいたしました。この東北の地は宗門においては第三祖日目上人にご縁の深い土地であります。…‥そういう意味からも私が昭和26年5月3日に日昇猊下より頂いた御本尊をお持ちいたしました。東北を厳然と守りたい。なかなかおじゃまできないのでこの研修所に御安置しておきたい。そういう意味で小さい御本尊を東北創価学会の続くかぎり、この記念館にど安置申し上げ、皆さん方を守りたいとお持ちしました」(昭和51年10月27日、東北総合研修所・牧口記念館での池田スピーチ)
- 1976.11.2
- 「創価班」池田氏より命名
➡後に、メンバーの中から謀略部隊(広宣部)を輩出
- 1976.11.4
- 「創価班」結成(創価文化会館)
初代委員長・佐藤政春(※輸送班大学校から改称) 、二代委員長はのちに抹消される
- 1976.11.14
- 宗門へ全五箇条からなる「回答を寄越せ」との最終通告
➡宗門「たとえ小さくなっても日蓮大聖人の教えを守る宗門として、創価学会と手を切るか、あるいは創価学会に悪い点を改めさせ協調していくか」(七七年二月、日達上人)
- 1976.11.14
- 池田 本尊模刻を口封じ
「口外はしていただきたくない。そこには創価学会の会長室の御本尊を安置させていただきます。これは今までなかなか富山のみなさん方の激励はできなかったわけですけど、その御本尊を安置してみなさんを厳然と守りたい。こういう決意でおりますので、その日を楽しみに待っていただきたい」(昭和51年11月14日、富山支部結成満16周年での池田発言) - 1976.11.16
- 「天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」 「今まで創価学会をいじめた者を今からやる。」公明党議員と記念撮影での池田発言
- 1976.11.18
- 学会版「日蓮大聖人御書辞典」発行
- 1976.11.30
- 月刊ペン対策を協議
山崎正友、北条浩、笹川陽平、月刊ペン弁護人・重富義男とホテル・ニューオータニで会談 - 1976.12.5
- 衆院選56名当選。再び第三党に
- 1976.12末
- 学会 月刊ペン社の間で「和解契約の裏文書」に調印
- 76年の学会内部文書から
・JRA (法学研究会――司法試験グループ)
弁護士33 検事18 判事3 修習生16 計70
・ERA (経済研究会――公認会計士、税理士試験グループ) 公認会計士6 公認会計士補27 税理士12 計45
・ARA (国家公務員研究会――国家公務員上級職グループ) 国家公務員上級36
・DRA (外交研究会――外交官試験グループ) 上級9 中級8 諸研18 計35 総合計186
昭和52年
- 1977.1.3
- 新年勤行会(別府会館)全国放送
1.大聖人御遺命の戒壇建立は創価学会がした。
2.寺院は儀式の場、我々は広布流布、そして大聖人の御遺命は広布流布。
3.学会を中傷批判すれば堕地獄。
(これより、日蓮正宗では成仏できないことの指導がなされ始めた)
- 1977.1.6
- 第1回創価班総会(創価文化・池田出席)
- 1977.1.9
- 女子部長抱負(藤田栄)
「正宗の寺院は単に儀式の場」「広布流布等、御本仏直結の脈動は創価学会のみ」 - 1977.1.15
- 【創価学会昭和52年教義逸脱路線】
池田大作 第9回教学部大会で「仏教史観」を語る
1)戸田会長の悟達が創価仏法の原点
2)大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要
3)「人間革命」は現代の御書
4)会長に帰命、久遠の師、本門弘通の大導師、 主師親三徳
5)寺院・会館混同(寺院軽視)
6)謗法容認
7)在家でも供養を受けられる
8)学会僧宝論 - 野崎 宗門と交戦・離山を発言
野崎勲は伸一会メンバーを集め次のような檄を飛ばした 「宗門に対して我々は断固戦う。第二の身延離山も辞さず。池田先生は徹底して戦われる。伸一会の諸君は覚悟して事に当たっていただきたい。第二の身延離山のことは妻子兄弟とはいえど口外してはならない」 - 1977.1.19
- 第二回全国県長研修会(関西総合研修所)
「全部御供養は、何百億、何千億で、全額日蓮正宗に。最後はみんな年とって、疲れて、批判だけ受けて、笑われて。坊主だけ太って、食べて、儲かって・・・。こんなバカな、おろかなことをしておったから。」 「それから登山会、二ヶ月か三ヶ月に一ぺんにしてもらて、これも労力をはずしてもらうようにする。」
➡池田の方針から、学会は登山、寺院の参詣を減らしていった。 「御供養は全額宗門へ」は大うそ。 - 1977.1.26
- 自分は大聖人以上の存在
「大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」 (第2回インターナショナルの日) - 1977.2
- 大白蓮華2月号
「ある著名な評論家と副会長との話の時である「国立戒壇を打破し、世界普遍的な宗教に路線を決めた事は先見であり、日蓮仏法の永遠性を昇華しましたね」また、その評論家は「仏法を世界に流布し、衰退の宗門を日本的、世界的にしたのは、池田会長であり、創価学会でしょう」また彼は「戦時中、牧口、戸田両会長は立派に権力に対抗し、殉教の戦いをしましたね」 - 1977.2.16
- 日蓮大聖人御誕生御報恩記念勤行会
この日興上人の仰せのごとく、私どもの根本とすべきは、日蓮大聖人御一人であります。その先師が、魂魄をとどめられたのが大御本尊であります。また大聖人の一代のご指導は全部、御書におさめられている。故に「御本尊」そして「御書」を根
本に進むのが創価学会の生き方なのであります。(昭和52年4月号 大白蓮華) - 近畿、四国で太陽が三つに見える現象
- 1977.3.1
- 学会本部金舞会館開館記念勤行会
「一般に宗教というものは儀式を尊重し荘厳な雰囲気を作り・・これは粉飾である・・仏法は生活の中にある。分身散体の義にもとづいて代々の猊下御本尊をしたためる。どの御本尊も等しい。大聖人御図顕の御本尊と等しい。あとは自分の信心。我々と御本尊の中間には何も必要ない。御本尊と直結する所に功徳あり」 - 1977.3.9
- 立宗記念勤行儀式
「・・恩師戸田前会長は、だれから教えられたわけでもなく、獄中において、自らが仏法の極理に肉薄し、悟達の境涯に達せられた・・しかし大聖人が大御本尊を残されて入滅された後は、だれが地涌の菩薩として広布流布を進めて行くのかここに戸田前会長の、大聖人御入滅七百年後の出現が重大な意味をもってくる」 - 1977.3.15
- 創価班大学校発足式(地涌会館)
- 1977.4
- 勤行要典 観念文改変 (大白蓮華4月号)
四座に「祈念し奉る創価学会興隆、慈折広布、大願成就の御為に」
五座に「祈念し奉る創価学会初代会長・牧囗常三郎先生、二代会長こ戸田城聖先生、死身弘法、御報恩謝徳の御為に」
大聖人の御一生(教学基礎教典)
弘安二年( 一二七九年) 九月に熱原法難が起こりました。無名の農民が権力の不当な弾圧にも屈せずに信心を貫いた姿をみて、時の到来を感じられた大聖人は、十月十二日、全世界の人々が根本として信仰すべき本門戒壇の大御本尊を顕されたのです。(大白蓮華4月号)
- 1977.5.1
- 5・3記念表彰式
「4月18日から聖教新聞紙上に六回にわたって連載した生死一大事血脈抄の講義は、私にとって生命の遺言ともなるものである」 - 1977.5.2
- 5・3記念勤行会
「戸田前会長は、牢獄の中、御本尊のないところで、大宇宙にむかって二百万遍の題目を唱え、法華経を色読され、地涌の菩薩の棟梁としての開悟をされた」 - 1977.5.3
- 民社党の 『質問主意書』を入手 宗教法人としての逸脱、池田の会館私物化などの問題を国会で質問するための主意書を入手。関西の施設はこれに該当するため納税を行った。民社党の追及をかわすため学会は選挙協力などを持ちかけ擦り寄る戦術を執る。【資料】➡
- 戸田の遺品偽造
この告発により、某会館の恩師記念室に展示されていた、戸田の獄中で使った牛乳ビンのフタで作った念珠の日付が昭和52年5月となっていたことが発覚。脱会者が出る。 - 1977.5
- 特別財務廃止
代わって、財務部員を広布部員と名称を変え、1口1万円、何口でもOKという納金システムにして、広く会員から募るようになった。 - 『前進』5月号
宗務局 接遇課課長・五島正三、儀典課課長・安田全男、文書課課長・牛久靖雄、局長・和泉覚、局次長・森田康夫 「君は、私の弟子になるか!弟子というものは、師匠が地獄の相で死んでいったとしても、疑わずに、自分も共に地獄へついて行くというのが弟子だ!」『前進』5月号 - 1977.6.25
- 北林芳典 大山正の名で『宗教成金PLの素顔』を刊行
➡北林は破門後、宗門批判の怪文書などに関わる。 - 1977.7.10
- 参院選14名、都議選25名当選
- 東京都 創価学園に立ち入り調査
この夏、創価学園に東京都学事部が教員の無免許問題をつかみ立ち入り調査に入る。(高校3人、中学2人) 事前に公明・藤井議員にタレ込みがあり、学園側は証拠書類を焼却。 学園関係者の証言 「開校のときは『いま、免許を取っている最中なんです』ということで対外的にはごまかし、そのままズルズルやってきたんです」 - 1977.8.25
- 週刊文春 9/1号
「創価学会と大石寺 離反の真相」
池田大作にもあったリンチ事件と報道。 - 1977.8.26
- 学会 週刊文春に抗議(的場師リンチ事件について)
(昭和33年3月に起きた学会による宗門僧侶リンチ事件のこと) - 1977.8.28
- 聖教新聞 的場師リンチ事件の弁明
「週刊文春に書かれた記事は、その内容が極端な誇張と悪意の偏見によるものであり、はなはだ遺憾に思う。・・私は当時、大石寺理事をしており、この時のことは、一部始終しっているが、およそリンチといわれる様な出来事は全くなかった事は断言できます」吉田渉外部長 - 教師講習会開講式
総監あいさつ 「・・聖教新聞紙上での吉田渉外部長での言葉について事実無根とはいいきれない」
大奥対面所で 「週刊誌に載ったM氏というのは的場の事で、あれは事実だった。書かれても仕方ない事である」 - 1977.9.3
- 宗門 池田大作を700遠忌委員長に命ずる
- 1977.9.22
- 日達上人 学会に対しての遺憾の意を宗内に通達
- 1977.9.27
- 日新聞 創価学園で無資格者が教授と報道
- 1977.9.29
- 聖教新聞 『寸鉄』
「僧侶は犯すべからず聖職者」と週刊誌。この大時代的な錯誤。いったいいつになったら人間の為の宗教が到来するのか、命がけで信者を守る僧こそ真の聖職者。 - 1977.10
- 幹部向け月刊誌『前進』廃刊
- 1977.10.6
- 週刊文春10/13号 「池田独裁を倒せ!全国蜂起した学会革命軍」
- 1977.10.21
- 僧侶吊るし上げ『竹岡文書』
竹岡が原田稔副会長に提出した僧侶吊るし上げ経過報告。
「本年一月より詫び状をとった坊主は以下の通りです。 一月二十日、二十七日 菅野憲道 一月二十八日、二十九日 松本珠道 二月六日、七日 坂井進道 二月十二日、十四日 栗林開道 二月十六日 水野顕道 三月二十二日 西本暁道 二月十四日 中村福道 八月三日 玉沢研済」 相承 【資料】➡ - 1977.10.27
- 創立47周年記念幹部会
「次に世間の一部に、本山と学会が離反するのではないかという風評も聞きますが、永遠に不二で進んで行く事は常に会長が明言している通りであります。池田会長は正本堂をはじめ・・無量のご奉公御供養、外護の任を全うされているのであります。」北条浩 - 1977.11.9
- 創価学会創立47周年慶賀法要
宗門と離反することは永遠にない
「御本仏日蓮大聖人の御遺命たる大法弘通、広布流布に立ち向かい行く創価学会の大発展も、これ偏に代々の御法主上人猊下の御祈念と御慈愛のたまものである事は申すまでもなく、就中、日達上人猊下におかれましては・・・世間では宗門と学会が離反するのではないかと一部で言われておりますが誠に迷惑至極であり、猊下のおしたための御本尊を拝している私達が信心の上からも道理の上からも永遠の因縁の上からもその様なことは絶対にありえぬ事を明言しておきます」池田発言 (『広布第二章の指針 第十一集』 昭和52年11月9日 東京・創価学会本部) - 1977.11.10
- 池田氏 日達上人を引き回す
聖教新聞『創価学会創立47周年記念法要』のおり、半日の間に5箇所に渡り日達猊下に法要を勤めさせる。 - 1977.11.14
- 「僧俗一致の七ヵ条」を発表
宗門たたきに調子に乗っていた池田だが、マスコミからの攻撃に動揺し始め「創価学会は宗教法人ではあるが、法人設立の三原則を遵守し、日蓮正宗の信徒団体たる立場を明確にする」ことを盛り込んだ「僧俗一致の七カ条」を発表。
僧俗一致の原則(案)
五ヶ条 僧俗一致のために
七ヶ条 及び、宗務院に11名の処分を要求。 - 1977.11.17
- 11月度本部幹部会
「・・しかし牧口先生も、戸田先生も、また私達も全部凡夫であります故に、南無=帰命すべき根本は、唯一、御本尊であることは忘れてはならない。すなわち御本仏は日蓮大聖人一人であるという事であります。したがって私どもは、三宝を敬うことは当然であります」池田発言 - 1977.11.23
- 静岡新聞 学会と暴力団の関係報道
<(被害者は) 宗教法人・創価学会の墓苑建設計画をとりあげ、この中で、市会議員某(旧公明党議員)と後藤組が関係あるとし、(中略)同議員と後藤組を厳しく攻撃している。このため同署(富士宮署)では、こうした政治的背景も関係がある可能性も考えられるとして捜査を進める方針でいる>
「富士宮に勢力をおく後藤組は、墓苑建設の際、用地買収や周辺住民の説得などに協力したといわれています。が、この蜜月関係は、匐年代に入り、崩壊する。その原因は、学会側が、後藤組に対して報酬の支払いを渋ったからといわれています」(富士宮市議会議員の一人)
「宅見射殺事件の捜査を進めていくなかで、藤井氏が山口組のトップと接触したがっていたという話が出ている。五代目と藤井氏が直接会ったかどうかはわからないが、中野(会長)に会ったという話は、各府警や県警からもあがっているようだ」(前出の警視庁捜査員) (平成9年11月22日号 週刊現代) - 1977.12.4
- 日向定善寺新築落慶入仏式
「・・私は愚鈍の身であるが日達猊下にわがままを申し上げながら・・我々は凡夫であり、愚まいにして、未熟な点ばかりである。また多勢であるが故に、勝手気ままと思われる節が多々あろうかと存じますが・・・どうか御尊師の方々には、私ども信者の今までのわがままを、ここに謹んで御寛恕くださるようお願いしたい」池田発言 - 1977.12.6
- 第14回全国県長会議
対宗門への軌道修正を示唆。(8日付、聖教新聞によると)
1.700遠忌を目指し、僧俗和やかに進もう。
2.猊下を悩ましてはいけない。
3.御僧侶を理解し宗門外護の原点を忘れてはいけない。 など - 1977.12.12
- 本山で
猊下 若手僧侶が学会を切れと言っているのを私が抑えている。
池田 五ヶ条の返事いただきたい。 - 学会による回向供養
この年、学会の会館では「慧光照無量」と書いた用紙に故人の名前を連記し、位牌をしつらえ学会幹部が導師となり法要を行う。 【資料】➡
昭和53年
- この年、板御本尊模刻問題が発覚
- 1978.1.8
- 東北・信越・第二東京合同本部長会
「・・私ども信徒が南無し帰命するものは御本尊のみである、あくまでも私どもは平凡な人間であり・・・」池田発言 - 1978.1.19
- 日達上人に届いた学会の悪しき体質が書かれた「ある信徒からの手紙」を有志僧侶に対し読み上げる。
- 1978.1.19
- Q.学会に対する言辞表現を慎んでほしい。
A.本音と建前は、ある程度使い分けねばならない。
Q.学会の教義に歪曲があれば、指摘してよいか。
A.堂々と大いに破折せよ。
「・・必ずしっぺ返しが来る、より以上のケンカ、その時こそ腹に決めなけりゃいかんと、私は考えておる。だから諸君もそのつもりで、いざ今度何かあれば、手を切らなきゃならん頭でいてもらいたい。 - 1978.1.25
- 理境坊住職・小川只道師 「法道院信徒209名 離籍の真相」発刊
- 正信覚醒運動始まる
計147人が反創価学会の主張を強くし決起。のちに正信会として発展 - 1978.2.9
- 宗門「時事懇談会」
日達上人 創価学会の歴史的経過の上から教義逸脱路線の根源を指摘 - 1978.2.12
- 池田会長・辻・和泉登山 日達猊下に詫びる。
- 1978.2.14
- 再び池田・福島・辻・原田・野崎・八矢ら幹部、猊下に詫びる
猊下 「1.の学会を切るのはやめる。しかし2.の項目アンケートを取る」 - 1978.2.16
- 宗門 学会に対するアンケート用紙配布
- 1978.2.16
- 日蓮大聖人御生誕報恩勤行会
一.正しい信仰はただ一つ。正本堂にまします大御本尊。日達上人に受け継がれている。
一.日蓮正宗の外護とし、信徒の団体として、よき正宗の信徒としての信心でなければならない。さらに、広布流布の実践・活動面においてはよき学会員
一.主師親の三徳具備の御本仏は、三世永遠に御一人であらせられる。その生命は御本尊である。また遣使還告のお姿として代々の御法主上人と拝すべきである
一. 南無妙法蓮華経即大聖人である。その人法一箇の大御本尊に「南無妙法蓮華経」と唱える時に成仏ができるのである。
(研修シリーズNo.6 昭和53年2月16日 広宣会館) - 1978.2.22
- 日達上人 2月12・14日の池田大作の御目通りの内容を公表
1)池田大作「手を切るのだけはやめてほしい」と懇願
2)日達上人「池田会長に日蓮正宗信徒の基本を徹底するよう」指南 - 1978.2.23
- 東京・狛江 仏寿寺落慶入仏式
「かねてより、狛江の天地に正宗の寺院が待望されておりましただけに・・・御宗門の隆昌のため・・私は今、御法主上人猊下に、じっくりと御指南を仰ぎながら、万代にわたる僧俗の理想的和合と広布流布への前進ができうる体制を考えております」 - 1978.2.24
- 学会 大化城に盗聴器仕掛け露見
- 1978.2.26
- 池田氏 僧宝は唯授一人の御法主と明言
「即ち、仏法とは、末法御本仏・日蓮大聖人、法宝とは御本尊、そして僧宝とは本門の大導師であられる二祖日興上人である。(中略)ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、ご僧侶は全部猊下の弟子である。ゆえに、いかなる理由がるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」『聖教新聞』三宝論を発表 - 1978.2.28
- 学会 各部代表懇談会
学会版経本について釈明
1.昭和52年2月24日宗門との連絡会議、御祈念の草案を作って相談した。
2.そして3月。猊下の御認可を得て聖教に紹介した。
3.経文にしてくれとの要望があり、やむにやまれず作製した。
4.全広布部員に贈呈し、残った一部を主要開館にて販売している。
5.ただし大石寺版の経本が原点。そのまま使用していても結構である。 - 1978.3.4
- 凡愚な私である。しかし、妙法の力と、時に相まって十の誇りがある。
一つは、法灯連綿七百年の総本山を未曽有に荘厳申し上げたことである。第二には、日蓮正宗の名を世界に知らしめたことである。
第二には、世界広宣流布の基盤をつくれたことである。
第四には、日本の広宣流布の基盤をつくれたことである。
第五には、令法久住のために宗門始まって以来、幾百か寺を御寄進申し上げたことである。なお、これからもまた多数御供養する決意である。
第六には、二十一世紀の指導者養成の教育機関を完備できたことである。
第七には、三千数百人の同志を、国家の安泰のために治世に送り出したことである。
第八には、あらゆる階層に指導者を送り出したことである。
第九には、文化と平和の大いなる推進機関をつくっ
たことである。
第十には、広宣流布のために、会館を確立できたことである。(53・3・4 立川文化会館) - 1978.3.5
- 東大会・慶大会合同総会
「・・今までいくたびも注意してきたが一部とはいえ、会長に帰命とか、あるいは主師親の三徳、本仏ではないか、本門弘通の大導師等と論ずる事は大なる間違いである。迷惑なことである」 - 1978.3.8
- 「ある幹部が人間革命は現代の御書であると言ったことがあるが、全く迷惑・・」池田発言
- 1978.3.14
- 全国教師指導会 学会を破門せず
「池田会長が、これ程まで非を認め、詫びを入れて来たのは、今だかつてない事であるし、ここは、もう一度だけ、池田会長の信心を信頼して、破門する事だけは取りやめたい。破門せずに学会と強調する方向で、協議を進めてもらいたい・・」
Q. 学会版の経本を注意してよいか。
A. してよい。
Q. 会員をやめる時、御本尊を返せといわれる。
A. いわれても返す必要はありませんって、はっきり言え。本人のものだ。
Q. 聖教・大白等は末法万年残るもの。教義の誤りは具体的に大白の何月号にこう書いたが誤りであったという様に訂正してほしい。
A. その通りだ。
アンケートによって九項目の協調案作製。それで学会と交渉すること。 - 1978.4.1
- 東京創価小学校開校
- 1978.4.3
- 踏み絵事件の弁明。池田会長登山
- 1978.4.11
- 北条・山崎等首脳幹部 邪宗主催の中国仏教代表団歓迎パーティーに参加。
- 1978.4.15
- 池田氏 三宝を守ることを約束
埼玉布教区内での懇談会にて>
僧侶「本山・宗門から離れてしまうと新興宗教になってしまいますからね」
名誉会長「全くその通りです、私どもはどこまでも七百年の伝統を守り、三宝を敬っていくことは三カ条の約束通りです」
一人の僧侶が「池田さん本部の本尊を板にしたということですが、どうしてしたのですか?」と聞いた。 すると、
池田は「学会本部の紙幅の御本尊は日差しが直接当たり年月も経っているし、このままではさらにひどくなり、不敬になるので板御本尊にした。また入仏法要に高僧にきてもらったが、それだけでは具合が悪いので法主に来てもらった」
(創価学会からの脱出)
と悪びれもなく答えた。
この時点で、この場にいた僧侶たちは在家の身でやってはいけない大謗法を池田が犯したことを確認した。それは、全国の僧侶にすぐさま伝わることになった。 この時の池田氏の言葉からしても、事前に法主に許可を取っていたことはうかがい知れないし「学会が板御本尊を作ります」と願い出ていたら、その時点で却下されていたことは間違いない。
財務について
池田 「特別財務にしても週刊誌で言うような一千四億円など大金は集まってはおりませんが、これら問題が起きる以前には私は『会員に対して収支報告をしてはどうか』と、何度も注意してきたが、その時期を失ってしまった」
秋谷副会長 「全くそのとおりです」
池田 「今、公表すればマスコミは飛びつき、さまざまな憶測が生じることは明白である。昨年までは一年間ひとり四千円の財務費だったが、それでも出した金を返せという人が多く、すべてこれらは円満に返金した。今年からは一括して一口一万円としたが、例えば群馬などでは四億円ぐらいかかる会館建立に二億円しかあつまらない。そのため、県幹部の強い頼みで特別財務を許可したところ、他の県からも同じ声が出るのはしかたがない。」
竹入県長 「その通りです」
池田 「学会の資金繰りも職員へ支払う給料だけでも大変で、聖教新聞だけではやっていけない。実を言うと、現在学会には余分な金は全くありません。そのような実態をとても恥ずかしくて世間に公表できないのが本音です」 (創価学会財務部の内幕 小学館)
この年の池田の推定収入は8300万円。S48年からは一億円を超えていただけに、学会の財政が厳しいというのは疑わしい。 - 1978.5.3
- 四面楚歌の池田
山崎正友氏に和歌贈る 「四面楚歌 君がおわせば 王の道」 - 1978.5.12
- 学会版経本製作中止を発表(全国県長会議)
- 1978.6.19
- 宗門 学会へ34ヶ条の質問書を提出(協調案は出されず)
- 1978.6.29
- 全国教師指導会で学会からの教義逸脱是正文書を公表
- 1978.6.30
- 「教学上の基本問題について」(教義逸脱を是正)を発表(通 称「6.30」)
この中で「会長に関して『久遠の師』という言葉を使った場合があるが、これは師弟の縁が深いことを述べようとするあまり行き過ぎた表現であった。正宗では久遠の師とは大聖人のことであり、今後、こういう表現を用いない」と発表 (聖教新聞) - ●三宝
宗門質問
日蓮正宗でいう三宝は法宝御本尊、仏宝大聖人、僧宝日興上人であります。正法を伝持してきた僧を僧宝ということは当然であります。又七百年来学会では「僧宝といっても僧侶を意味するものでない」として、日蓮正宗の三宝のたて方を無視し、自分達創価学会が僧宝であるというが、これは日蓮正宗の法義からは大変な逸脱だと思いますがいかがでしょう。これについて再度学会の意見をお聞かせ下さい。 学会答え 「僧宝」とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しておられるごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては絶対に混同するようなことがあってはなりません。また広義においても、学会を「僧宝」という言い方をしてはならないことであります。 - 学会から宗門への回答
血脈について この別しての法体の血脈相承は「身延相承書」に「血脈の次第日蓮日興」と仰せのごとく、二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところである。同抄に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事血脈とは云うなり」の御文は「別して」の法体の血脈を大前提としての「総じて」の信心の血脈を仰せなのである。故に代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となる。 - 1978.7.30
- 法華講連合会夏季総登山
「・・近ごろよく信者の方々の口にされる血脈という事を少々述べたい・・かくの如く、大聖人より血脈相承が無いという事は、口先だけでの法門であります。・・特に、信心があれば謗法をしてもよいのだと考える事はもっての外で、大聖人からの法体の血脈を無視した、信心の血脈の法水にも浴しない者であります」 - 1978.8
- 大白蓮華8月号 教学上に関する訂正文掲載
- 日達猊下 学会の模刻知らなかった
「学会の方で板御本尊に直した所があります。それは私が知らなかった」(機関誌「大日蓮」昭和53年8月号) - 1978.8.3
- 聖教新聞「人間革命」10巻掲載停止
その後、二年を経て掲載再開 - 1978.8.26
- 第一回檀徒総決起大会
池田総講頭罷免を決議
「・・8月の女子部の夏季人材研修会が沖縄で行われた時に一生成仏抄の講義があったそうです。その講義の内容が8月18日付聖教新聞の沖縄版に出ていた・・これは、明らかに、日蓮正宗の御法門ではありません・・日蓮正宗の御法門というものはきちんと定まっております。それを勝手に色々と解釈し・・そんな事が本宗の教義にあり得るでしょうか・・」
決議事項
1.池田会長を総講頭罷免の署名運動
2.昨年1年間の特別財務の返還運動
3.人間革命等学会系書籍を買い戻させる
4.シナノ企画から買わされた映写機8ミリフィルムを買い戻させる
5.学会員の再折伏 - 1978.8.31
- 学生部総会(立川文化会館)
「・・私も会長になって18年になる。私を追いこもうとする作用がある・・会長が本仏だなどというのはデッチあげである、まずいことはまずいことで訂正すればいい・・どこが悪いのか、三宝をたっとんでいる。学会が悪いところは全部訂正している猊下は何度も学会と仲良くしていこうと言っている・・猊下の言ったことを聞けないのか、宗門とは絶対に争ったことはないではないか・・大ぜいの学会員が惑わされても、私を騙しても百万の青年が立ち上がる・・うるわしい同士を裏切らないように・・私が出席しないと福運がつかないんだよ・・学会の境涯は大きすぎる、だから回りには解らない」 - 週刊文春9/7号 「本山大石寺に6,000人が集まって反池田教、総決起大会で決議された五項目」
- 1978.9
- 創価中学高校教職員組合が池田氏に公開質問状
- 1978.9
- 池田ら ペン社弁護士と会食
池田、北条、山崎が聖教新聞社でペン社側重富弁護士と会食 - 1978.9.11~20
- 宗会議長・野村学道師 猊下名代として外二名を連れ池田会長と訪中
- 1978.9.11
- 池田への公開質問状掲載
創価学園の教職員組合から池田への質問状内容
1.無資格の教員が教科を担当している。
2.必須教科の授業を行っていない。
3.創価学会の宗教行事のため、授業日数が圧迫されている。
4.池田氏によって運営が左右され、ことにその意を代表する校長の独裁が行われ、理事会や職員会議が全く無視されている。
5.教員は、労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件を強いられ、創価学会の宗教行事を強制される。
6.入学試験において、信仰によって差別が行われ、又、経済状態によって差別が行われている。 (週刊ポスト 9/29日号) - 1978.9.14
- 寿福寺において急G代表と会談(学会側 野崎・原田・原島)
1.会長を含めて自分たちは増上慢であった。
2.御本尊の模刻は8体である。
3.学会の中で直して行く、2ヶ月待って下さい。 - 1978.9.23
- 本部幹部会(立川)
「学会員が五万や六万減ったってどうということはない」 - 1978.9.28
- 学会 模刻本尊を本山に納める
中西総務らによって深夜、模刻本尊7体を総本山奉安殿に納める 【資料】➡ - 1978.10.3
- 院達2915号 模刻本尊の件
このたび、創価学会に於ては、これまでに彫刻申上けた板御本尊については、すべて総本山へ納め奉ることとなり、去る9月28日、七体の板御本尊が、総本山へ奉納せられ総本山に於ては29日奉安殿へお納めいたしました。 但し、学会本部安置の日昇上人板御本尊については、御法主上人猊下御承認のもとに、そのまま本部に安置せられることになりました。依って、今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切議論を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。我が宗は、日蓮大聖人の正義を広宣流布するものであることは、既に御承知の通りでありますので、これの妨げとなるような僧侶間の摩擦を排し、僧俗一致して御奉公の誠を尽されるようお願い致します。 右、通達いたします。 - 1978.10.31
- 池田大作×菅野慈雲師会談
「一切を大宣寺様にまかせる・・」 (これは11.2行法寺急G集会で発言) - 1978.11.2
- 急Gと学会代表が11.7の内容について教義(ホテル・ニュージャパン)
急G 菅野雲、佐々木、渡辺、山口、萩原、菅野憲 学会 野崎、原田、原島、山崎 - 1978.11.7
- 創価学会お侘び登山
創立48周年記念登山代表幹部会において、池田大作52年逸脱路線について謝罪。全国2000名の幹部とともに参詣。(通 称「お詫び登山」)
北条理事長 「私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に認めるものであります。すなわち、 第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体として基本がおろそかになっていたこと、 第二に、昨年のような学会の行き方(僧侶吊るし上げなど)は行き過ぎがあたこと、 以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります」と謝罪。
辻武寿副会長 「戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません。(中略)この戒壇の大御本尊を厳護するためにこそ、日蓮正宗の厳粛なる化儀、伝統があるのであり、その点、我々信徒は、よく認識していかねばなりません。その意味からも、不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南を受け、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、いちだんと厳格に臨んでまいりたいと思います。」
池田会長 「先程来、理事長、副会長から、僧俗和合の路線の確認、その他の問題について、いろいろと話がありました。これは総務会議、県長会議、各部最高会議の全員一致による決定であり、また私の決意であります。この方針に従って、私どもは、いちだんと広布流布と正法外護のご奉公に励む所存でございますので、御宗門の先生方、くれぐれも凡下なわれわれを、厳しくも温かく、今後ともご指南くださいますよう、心よりお願い申し上げます。よろしくお願い申し上げます。会員、幹部の皆さまも、この一点を深く了解をいただき、その指導徹底をなにとぞお願いいたします。 なお、これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします。猊下、まことに申し訳ありませんでした」と謝罪。 以上を「11.7」と呼んでいる。 - 会合終了後
猊下 「1、2年、学会を見て、もしまた同じようなことが繰り返されたら、それが最後だ。その時は、僧侶が一丸になって学会に立ち向かう・・」
池田 「僧侶の前で私に頭を下げさせたが、私は広布流布、令法久住、全学会員を思うが故に頭を下げたのだ。必ず五年から十年の間に私が今何をやってきたか、わかる時がくる。その時は坊主ども全員に頭を下げさせてみせる」 - 1978.11.7
- 全国教師総会 日達猊下 宗内に学会批判の中止を命令
- 1978.11.8
- 学会 本尊模刻認める
「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については……奉安殿にご奉納申し上げました」(「聖教新聞」53年11月8日付) - 1978.12.6
- 急G源立寺に集会(約200名)
11.7以後の学会の不誠実について。今後の戦術について。 - 1978.12.13
- 急G 統一原稿にて御講
- 『水滸会遺誡置文二十六条』作製
この頃、池田は副教学部長の佐久間昇に命じ『水滸会遺誡置文二十六条』を作らせる。【資料】➡
昭和54年
- 1979.1
- 宗門 「大白蓮華87号の正しい読み方資料」発売
- 1979.1.5
- 住職寺族初登山
「・・昨年の11月以後、創価学会も平常に戻り・・しかし、まだ学会も大変なる学会員の数でありますから、下部の組織までその意味が徹底することが少なく・・折角学会の指導では正しくないとみて、お寺を頼りにしてきた檀徒を、いま改めて学会の人が大勢来るから、そんな者追い出してくれと言ったら、すぐ追い出して大勢来た方へついて行くと。・・私は情けなく思います・・そういう僧侶は信心が足らない・・人が原稿をつくってパラパラと唯読んで・・誠に情けない・・少なくともこの1月13日には、御書を読むだけでもよいから、そういうことをやめてもらいたい」 - 1979.1.26
- 院達2971号 海外における宗教活動に関する件
- 1979.1.28
- 檀徒第二回大会(大講堂) 5500人
「・・まだまだある僧侶はいかに今まで間違った教義を宣伝されておっても、今だに平気な顔をしておる僧侶もあります。しかし、一応これからの僧侶も日蓮正宗の僧侶としておる以上、私はただ大きな心において、それの身を守り又、正宗の一つの団体の僧侶として守っておるのであります。・・今後できるだけ間違った教義だけをどこまでも追求して正宗の七百年来の大聖人の御本意である広布流布を正しい道において守ってもらいたいと思います」 - 1979.2.3
- 九州記念幹部会(鹿児島・九州研修道場)
池田指導「…ここで当然、永久に忘れてならないことは、私どもの信仰の根本道場は、戒壇の大御本尊まします総本山が中心であるということである。また、血脈付法の御法主上人現下の大慈悲を仰ぎ奉りながら進んでいかねばならないということである…」(聖教S54・2・3)
この日の聖教社説
「ICCR (インド文化関係評議会)の招へいによるもので、民間次元での教育・学術・文化の交流を深めることを目的にした公式訪間である。その出発にあたり、一路平安の実り多き旅となることを祈りたい。思いおこせば十八年前― 一九六一年二月に池田会長は、御宗門の御法主日達上人貌下を御案内申し上げ、釈尊成道の地プダガヤを訪れて東洋の平和交流の第一歩をしるしたのであった」 - 1979.2.14
- 2月度県長懇談会(東京・広宣会館)
過去の過ち言及
北條「十一・七は、我々の信仰の根本である戒壇の大御本尊まします総本山大石寺において、血脈付法の御法主日達上人貌下のご臨席をあおいで、我が学会が過去の行き過ぎは是正し、改めるべきは改めることを誓ったものである。それは、恒久的な僧俗和合へ向けての学会の信心の基本姿勢を示したものである。各幹部とも、この原点を忘れてはならない」(聖教S54・2・16) - 1979.2.20
- 宗務院、院第2977号 特別御形木御本尊に関する件
- 1979.2.23
- 第一回東京檀徒決起大会(妙真寺)
- 1979.2.23
- 聖教 血脈、会長本仏化の誤りの諸問題について
「法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところである……故に、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となる……歴代会長を折伏弘教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざまの指導をうけ、心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情である。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受け止められる過大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎まなければならない……日蓮大聖人の法義は、深遠かつ厳正なものであります。したがつて、日蓮大聖人の根本の教義に関する仏法用語を使用する場合は、かならずその大前提をふまえねばなりません。そのほか、たとえば、在在諸仏土常与師倶生とか、如来如実知見とか、大導師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべきでありましよう」(聖教S54・2・23) - 1979.2.28
- 小田原文化会館開館記念勤行会(神奈川)
池田指導「いうまでもなく、私達の信仰の根本道場は総本山であり、信仰の根本は戒壇の大御本尊である。どうかその根本をしっかり銘記し日蓮正宗を守り、また学会を愛し、自分自身を大切にしながら、信心勝利の人生を毅然として歩んでいただきたい」(聖教S54・3・2) - 1979.3.6
- 福島副会長 大牟田発言
1.本山の経営状態よくなったので登山の削減を図った。それが兵糧攻めと僧侶にとられた。
2.研修所等においては宿泊費取らない。本山は旅館業で収入がある。
3.墓地問題で御本尊を抵当に入れたり、カツラをかぶって酒を飲みに行く坊主がいた。そんな坊主に我慢できず青年部と共につるし上げをした。
4.本山において池だ先生がいれば皆ワッと寄ってくる。猊下が通っても、どこのおじいさんだという感覚しかない。
5.これは副会長全員の考えである。
(「人間革命」は現代の御書、池田本仏論・・・などで問題発言)
福島氏がこのような発言を行った裏には、池田氏の師弟観が存在するが、この発言によって、立場を悪くした池田氏は福島氏を全ての役職から解任、学会関連企業に左遷させる。 数年後、原島、山崎らが造反したため、池田氏は福島氏に対し、反論本を書くよう命じるが約束は反古となる。それに伴い、福島氏は池田の教義違背の念を強くし、数度、書面により池田氏に諫言を行う。 - 1979.3.7
- 聖教 「日蓮正宗の行事―やさしい解説―」連載開始
「現在、各地では『教学教典』を教材に日蓮正宗の伝統法義の学習に力を注ぐとともに『6・30』『11・7』の内容を通して、信心の基本を正しく習得すべく真剣な努力を重ねている。それらとあわせて、今回の新連載から正宗の歴史、修行の正しい在り方を、それぞれが学び合っていきたいものである」(聖教S54・3・7) - 1979.3.12
- 福島発言に質問状
庶務部長 藤本栄道師、3.6福島発言の中、僧侶がカツラを被って飲みに行った件につき、その僧侶の氏名、場所、日時についての質問状を創価学会に出す。 - 1979.3.13
- 内事部 3.6福島発言に質問状
創価学会に抗議並質問状を出す。 - 1979.3.15
- 内事部 讃岐本門寺での幹部発言について抗議状出す
- 1979.3.15
- 蓮生寺住職・菅野憲道師、創価学会に公開質問状を出す
「12、貴殿らは大聖人における戒をどのように考えているか」 「13、私の論文に対し、広布研究なる悪書をバラまいたが、公場において論争しようではないか」 「14、池田会長が生死一大事血脈抄講義で、創価学会仏と云っているが、如何なる御書、如何なる経文にでて、如何なる仏なのか」等、14項目 - 1979.3.16
- 創価中学高校教職員組合 池田大作に公開質問状を出す
同
日蓮大聖人の仏法は、文底深秘の大法であり、その意(こころ)は、相伝によらなければ、絶対に知ることはできないのであります。(聖教新聞 1979年3月16日)
- 1979.3.16
- 聖教 法体・化儀連綿の御僧侶の大功績
「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人視下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならない…」(聖教S54・3・16) - 1979.3.25
- 秋谷、辻 猊下に直接回答(本山)
- 1979.3.31
- 法華講連合緊急理事会
池田の総講頭辞任勧告を決議
1.昨年11.7で正宗の教義逸脱をわび誤りの訂正を約束したが、今日に至るまで学会員に周知徹底することもなく、未だに宗門を騒がせている。
2.11.7の謝罪表明は「法華講総講頭」としての謝罪だが、教義歪曲は単に創価学会の責任であり、法華講にとっては迷惑。
3.学会の体質改善もできぬ人物の傘下にあるのは忍びがたい。以上 - 第18回妙観会(大講堂)
「・・決して我々宗門としては、学会をつぶそうとか、どうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、長い間において学会が、宗門の法義の上において間違ってきてしまった、それを指摘して何とか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。長い間学会はよく宗門のために尽くして下さいました。その功績は大きいのであります、しかし功績が大きいからといって、教義が間違い宗門と逸脱してしまえば、何にも役に立ちません・・どこでも、たとえ会長であろうが副会長であろうが、間違ったことを言ったならば、どんどん指摘していかなければ、これからは日蓮正宗の僧侶ではない・・学会が昔よく宗門に尽くしてくれたその恩に報いるためにやるのである・・」(大日蓮398) - 1979.4.2
- 内事部 3.24の学会の回答を不満として再回答を求める
- 1979.4.6
- 宗務院、院第2998号 創価学会に関する件
- 1979.4.8
- 北条理事長 聖教紙上で3.6福島発言を陳謝
「昨年来、法義を遵守し、信徒団体としての在り方を正す指導を徹底して進めていることは、ご承知の通りであります。ところで、こうした学会の基本方針と努力にもかかわらず、いまだそれが十分に徹底していない地域や組織があることは、まことに残念なことであります。なかでも、三月初旬の大牟田会館での福島副会長の発言や、四国讃岐・本門寺周辺の幹部の言動については、宗務院並びに内事部より文書で具体的な指摘を受けました。ことに、大牟田での発言は、信徒にあるまじき不穏当、不謹慎なものであり、発言者の立場をあわせ考え、まことに遺憾なことであります。御法主上人貌下並びに御宗門の先生方に深くお詫び申し上げるとともに、本部として、今後、このようなことが再び起きないように、必要な措置を十分講ずることを明言いたします」(聖教S54・4・8) - 1979.4.14
- 神奈川文化会館落成開館記念勤行会(神奈川)
池田「…幾度か申し上げてきた『6.30』『11.7』の基本精神は、私どもにとっての信心の根本であるゆえに今後もさらにさらに、一人ももれなく指導、徹底を私は心からお願いしたいものである。御本仏・日蓮大聖人の血脈は第二祖日興上人へ、そして代々の御法主上人そして唯授一人・法水潟瓶の現御法主日達上人猊下へと受け継がれていることをけっして忘れてはならない。私をはじめ私どもは、すべて平凡な人間であり、大聖人の信者なのである。どうか、この点も厳とふまえた指導、徹底を重ねてお願いしたい……御宗門と私どもは、永遠に和合でなくてはならない。もし、そうでなければ、これほど不幸なことはない。また、全信徒が異体同心でなければ広宣流布の万事を成ずることはできないのである。それが大聖人の仰せであられる。あくまでも外護の精神で御僧侶を大切に尊敬していかなければならない…」(聖教S54・4・1) - 1979.4.22
- 池田 日蓮正宗総講頭を辞任を申し出
- 1979.4.23
- 早瀬日慈師、任期満了につき総監退任
- 1979.4.24
- 池田 会長を勇退
池田氏 学会問題の責任を取り会長を辞任し名誉会長となる。北條 浩 創価学会第4代会長に就任 教義逸脱について謝罪(会長辞任の記者会見)
➡ある日の出来事
幹部たちがソバ屋から出前を取り、池田氏はうどんの丼に大量の七味唐辛子をいれ、それを北条会長に食べさせた。北条は「おいしいですね」言いながら汗をビッショリかきながらたいらげた。
池田 学会の全財産は私のもの
「私が創価学会の魂である。……新執行部(四代会長 北条浩氏)は池田先生の全財産を一時お預かりします、というぐらいの誓いをすべきではないのか。私が本当に怒ったらこわいぞ!」
これにはさらに後日談がある。新執行部が池田氏からこう突き上げをくって、当時の全副会長が、署名をしたうえ、
「池田先生を永遠の師」
と定めた誓紙を提出した。だが、提出した誓紙の中に「池田先生の全財産を……」という一項がなく池田氏はたいそう不満であったというのだ。(平成6年11月号 宝石) - 1979.4.25
- 新会則を制定 「最高教導会議」設置
各地に「僧俗協議会」
「このほど、本部に『最高教導会議』が新設されたのにともない、日蓮正宗全国布教区単位に『僧俗協議会』が設けられることになった。これには、宗務支院長および副支院長が出席するほか、学会から県長をはじめとする県幹部らが出席、地域ごとの僧俗間の問題について、具体的に話し合うことになった」(聖教S54・4・26) - 第235回本部幹部会(東京・広宣会館)
北條「不肖私が第四代会長ということになりましたが、まことに大任で、弱っております。一数年前から『次はあなた達が力を合わせて、学会を推進していくのだから、すべてにわたって力を磨いていくように』といわれてまいりましたが、心の中では、先生にはずっと会長をやつていただくんだと思い、また、やめられることがないように願ってまいりました。しかし、今回の先生の決意は非常に固かったのです。七つの鐘という時を、固く心に期しておられたのでありました。『いつまでも私を頼りにしてはいけない』と日ごろ言われてきました。また、私達も『先生ご安心ください。私達がおりますから』と大きなことも言ってまいりました。今やその時が来てしまったのであります。まことに非力な、なんのとり えもない私で、到底この大任には耐えられるとは思いませんが、総務会の決定でこうなってしまいました以上、皆さま方のご支援をいただいて、諸先輩のお力も得て、会員の皆さまのために、全力をあげてつくしていこうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。」 (聖教S54・4・27)
森田「…新しい体制について、ごく簡単に申し上げたいと思います。今回、宗教法人法に基づく規則の改正を行い、新しい会則を制定いたしました。詳しくはすでに聖教新聞に掲載されておりますので、それをよく読んでいただきたいと思います。この会則は、いわば会の憲法のようなものであり、会の運営は、一切これに基づいて進められていきます。その趣旨は、皆で合議し、納得しあって進め、会員の皆さんが安心して、さわやかに活動できるためのものであります。まず、日蓮正宗の御法主上人の指南に則り、教義の厳正を保持し、それに基づく指導を図るために最高教導会議が設けられました。この会議によって僧俗の理想的な和合の姿を、恒常的に実現したいと念願しております…」 (聖教S54・4・27) - 1979.4.26
- 池田氏 学会問題の責任を取り法華講総講頭を辞任
「池田名誉会長は二十六日午後、総本山大石寺に参詣し、午後一時半から御法主日達上人猊下にお目通りした。そのさい名誉会長は御法主上人に法華講総講頭の辞表を提出申し上げた。御法主上人からは、宗門の現在の隆盛をもたらした永年の功労に対するねぎらいとともに、今後も外護を願いたい旨御言葉があり、名誉総講頭の辞令を賜った。名誉会長は、この深い御法主上人の御慈悲を拝し、なおいっそうのご奉公をさせていただく旨申し上げた。そのあと僧俗和合の未来について、いろいろな角度から懇談しご指南を賜った」 (聖教S54・4・28)【資料】➡ - 日達猊下より法華講名誉総講頭の辞令を賜る
- 聖教・7つの鐘総仕上げ記念幹部会
北条会長「私のことを先生と呼ばないで下さい」 - 1979.4.28
- 宗門 教師代表会議で今回の学会の問題について説明
「4月26日、池田大作総講頭が、辞任願いを持ってまいりまして、ですから、こちらも宗規に則って、総講頭を辞任した場合は名誉総講頭に置く、という規定のもとに名誉総講頭の名前を贈っておきました。それから、さっそく向こうで26日に学会の規則を作り、また自分も会長を辞め、すぐに北條氏を次期会長として上がるようにする。そういうわけで、会長もその方面のことを解決したと、まあ会長を辞めて一切の責務を退くと、今後はそういうことに口を出さないし、また、常に噂されている院政ついうようなことを絶対にしない、ということを表明しておりました。宗門としては、それで、いちおう解決したものと見ております」大日蓮400号
これによって、宗門内の学会の姿勢を糾す活動家僧侶たちも様子を見ることとなる。 - 1979.4.28
- 教師代表者会議(総本山)北條ら出席
「北条会長は、この日のお目通りのさい、御法主日達上人猊下にお誓い申し上げたごとく、日蓮正宗の法義を厳正に守り、御宗門を外護し奉り、広宣流布のために全力をあげていきたいと、抱負をまじえてあいさつ……質疑の中で、創価学会版経本問題について検討……今後、学会版経本についての使用を、御観念文を含めてやめ、大石寺蔵版に限ることに決定」(聖教S54・4・30) - 1979.4.28
- 聖教新聞社説 「顧みるに今日、御宗門におかれては七百年史上、未曽有の興隆発展の姿を示し、世界にも九十数か国にわたって、妙法を唱える信徒が誕生している。ひとえに御法主日達上人猊下の御威徳の賜と拝する」
- 2012年12月31日
- 日蓮正宗全国檀徒新聞「継命」創刊。猊下命名
- 1979.5.1
- 宗務院、院第3018号
日達猊下御指南
①御講等に於いては、御書による教義以外の説法は固く禁ずる。従来、しばしばこれについての通達があるにもかかわらず、乱れが見られたが自今以後は厳しく自誡せられたい
②創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する。上記について、今日以後これに違背する者は処分も辞さないことになるので、厳重に御注意願います。以上」(大日蓮400号) - 1979.5.3
- 第40回本部幹部会(創価大学体育館)
池田名誉会長指導
本宗における厳粛なる法水潟瓶唯授一人の血脈は、法燈連綿と代々の御法主上人に受け継がれており、御法主上人の御内証を御本仏日蓮大聖人と拝すべきであると強調。そしてこ戸田城聖先生逝いて二十一年。ここに創価学会創立四十九年。学会第一期の目標である。“七つの鐘”を打ち鳴らしたことによって、ひとまず私は、牧口常三郎先生、戸田城聖先生の遺言は、皆様方の絶大なるお力を得て、私の代としては、ことごとく遂行したことを確信いたします」と語る。(『年譜 池田大作』➡)
日達上人 僧俗和合協調をご指南 「この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。 」 - 1979.5.7
- 阿部信雄師 総監に任ぜられる
- 1979.5.8
- 学会中級登用試験の解説
「軍部や政府による合同問題で、宗門は、僧俗護法会議を開き、合同不参加を決議し正統正義が守られた」聖教5/8付 - 1979.5.11
- 「中級登用試験へ向けて」辻副会長談
「日蓮正宗の歴史と歴代の御法主上人のご事績等は、正宗信徒として知っておかなければならない基本……僧俗和合して進む以外に広宣流布はない……私達が御本尊を信受できるのも代々の御法主上人が一点のくもりもなく大聖人の仏法の法灯を受け継がれたからである……多くの弾圧や迫害に耐えてきた日蓮正宗の歴史を学べば学ぶほど、私も″ありがたい″という気持ちでいっぱいになる。中級登用試験を目指していくなかで6・30、11・7の精神をより深く再確認していってほしい」聖教5/11付 - 1979.5.14
- 細井日達殿は速やかに猊下を退くべしの怪文書(京橋消印)
大講頭任命
北条浩 森田一哉 和泉覚 辻武寿 秋谷栄之助 山崎正友 佐藤悦三郎 - 1979.5.15
- NST(日蓮正宗寺院)がアメリカ・カリフォルニア州から認知される(理事長・菅野慈雲師)
- 1979.5.18
- 「登山会・参詣の心構えについて」辻副会長談
「私は総本山に参詣するたびに、いつも『須弥山に近づく鳥は金色となるなり』の御金言を″なるほど、そうだな―″と思っております。我が身の生命が洗われて、境涯が大きく開き、福運が積まれていくことを心から感じています。生涯の間に、 一回でも多く総本山に参詣し、大御本尊にお目通りすることの重要さをひしひしと痛感しております」聖教5/18付 - 1979.5.21
- 急G代表×野崎、溝口、八尋会談(妙真寺)
- 1979.5.21
- 内事部、通達第2号
◇御本尊のお取扱い等に関する件
- 池田氏 最高幹部を引き締め(学会を私物化)
「創価学会は俺そのものだ。私が創価学会の魂だ。お前たちは、私の全財産をただ預かっているに過ぎないのだから、『一時お預かりいたします』という一札を書くべきだ。また、私を“永遠の師”と仰いでいく、ということも、誓約したらどうか」と言い誓約書を書かせる。
婦人部幹部に
「今回辞任した理由は、対外的、とくに宗門にたいする建前である。私は頭がよいだろう、うまくいったんだよ。皆、心配することはないよ」と語る。 - 『大白蓮華』臨時増刊号
「日蓮正宗の授戒の意義について述べれば、本門戒壇の大御本尊を受持することが末法の戒であり、爾前迹門等の邪法邪義の謗法を捨て、三大秘法の正法正義を純真に信受する決意を誓う、厳粛な入信の儀式が、正宗の授戒の儀式です」 - 池田ら ペン社弁護士と会食
池田、北条、山崎が信濃町の料亭「光亭」でペン社側重富弁護士と会食。 この会食によって、裁判の水面下で双方が裏取引き。池田が出廷しないよう働きかけたことが推察でき、後日、学会は告訴状を取り下げ「寛大な裁判」を望むと上申書を提出。 - 1979.5.29
- 宗門 第21回寺族同心会の砌
「昨年来、学会といろいろのいきさつがございましたが、本年になって前会長池田大作氏が辞任せられ、北条浩氏が新しい会長となり、また執行部が替わることになりまして、それに準じて宗門と学会との間でよく話し合いをしようということになりました。(中略)学会が正しく日蓮正宗の教義を守り、正しい信心をして、また世間の人を折伏していくのならば、我々はそれに準じて、どこまでも学会を守り、学会を信徒団体として受け入れていかなければならないのでありますから、ここしばらく様子を見なければならないと思うのであります」 - 1979.5.30
- 宗務院、院第3037号
「先に院第三〇一八号をもって通達いたしました二項目の件のうち、『②創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する』との件は、単に教師僧侶に対するのみでなく、広く法華講・檀徒をも対象とするものであるので、教師僧侶各位には、よろしく御承知の上、所属の法華講・檀徒全員へこの旨を指導徹底せられるよう願います。右記の通り通達いたします」(大日蓮401)
「地方協議会」に関する件
「このたび、地域における僧侶と創価学会との間の僧俗和合、広宣流布の推進をはかるために全国の布教区にそれぞれ『地方協議会』を設置し、適時開催して話し合って行くことになりました」(大日蓮401) - 1979.6.2
- 聖教 本部指導通達第1号
1.御本尊のお取り扱いを厳格に
2.指導上の基本について 三宝を敬い宗門を外護
「歴代の御法主上人のご内証は、日蓮大聖人と日興上人の唯我与我の御境地をそのまま伝持せられている」(聖教新聞 昭和54年6月2日付)
- 1979.6.7
- 聖教 広布部員について
森田理事長インタビュー
入信1年以上、信心の確かな人。原則として満20才以上、個人単位。広布部員の寄付は広く広布流布の為に(全国開館等の建設、整備費、会を管理運営していくため--法人運営費)また宗門に対する御供養・大学・学園等その他公益団体への寄付など。毎年の決算報告は宗教法人法に基づき責任役員会議、総務会に逐一報告、承認を受ける。
➡財務は学会本部だけではなく、傘下団体へも自動的に使われる。 - 1979.6.30
- 再び活動家僧侶がエキサイト 一斉に御講などで学会批判を展開
- 1979.7.7
- 渡辺広済、佐々木秀明、山口法興、丸岡文乗ら秋谷らと会談(東京・妙真寺)
- 1979.7.14
- 学会男子部会合で一幹部が
再来年の日蓮大聖人700遠忌までに日達は必ず退位する。そのあとは阿部がやることになっている。その時こそ池田先生が復権するとき。北条なんかメじゃない。(週刊文春 8/2号) - 1979.7.17
- 妙流寺御親教
「仏教では『恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なり』と法華経に説いております。今までかわいがられた、あるいは育てられたという恩を捨てて、真実の法を求めてこそ自分の父なり師匠なりを導くことになるということであります。よく学会の人が間違ったことを言いますね。『師匠が地獄へ行ったら自分も行っても良い』という考えは大変な間違いであります。よく考えなければいけません。そのような考えは、人を信じて法を信じないということであります。もしも師匠が地獄へ堕ちたならば、自分が本当の信心によって救ってやろうということこそ師匠に対する報恩であります。それを間違ってはいけないのでございます。それでこそ『無為』すなわち真実の道に入る者であり、真実に思を報ずる者であると仏様が定められておるのであります」日達上人
➡池田の折に触れた言動に対する御指南 - 1979.7.19
- 宗務院と学会の連絡会議(総本山)
一、信徒名簿作成の件
二、派遣幹部の所属寺院について
三、祭りと謗法厳誠について
四、常住御本尊の感得願について
五、特別御形木御本尊
六、お経本について
七、お経本のふりがなについて
八、念珠の御開眼について
九、勤行の鈴の打ち方について
十、聖教新聞について
十一、六・三十、十一・七の指導徹底について
十二、檀徒・学会員のトラブルについて
十三、総代の選定方法について」
(院第3063) (聖教54・7・2) - 1979.7.22
- 日達上人 御遷化
日達仮通夜(総本山)
緊急重役会席上 阿部信雄師に血脈相承の内承を発表(本山能化室)
「御通夜の席上、葬儀委員長である椎名法英重役より重大発表があり阿部総監が総本山第六十七世の新法主に就かれることになった。同重役の発表によれば、二十二日午前十一時十分から阿部総監を議長に、緊急重役会議が開催され、日達上人の御遷化にともなう緊急の協議が行われた。その席上、昨年四月十五日、阿部総監に日達上人から内々に御相承の儀に就いて御言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った旨明かされた。ここに阿部日顕新法主上人のもと僧俗和合、一致団結し広布の大目的に進みゆくことになった」(大日蓮403) - 日顕上人 第67世御法主に登座
日顕上人 第67世総本山法主並びに日蓮正宗管長に就任される。 - 1979.7.23
- 日達上人御通夜
聖教寸鉄「法水潟瓶して 正法正義の清流は 万代までも流れゆく 我らが広宣流布の前進もまた」(聖教54・7・23) - 1979.7.24
- 日達上人御密葬
渡辺広済、佐々木秀明、山口法興、丸岡文乗、足立堅泉、日顕猊下にお目通り(総本山)
阿部「…第3回檀徒大会、日達上人の約束だから許す、ゆるやかにやれ…」(歩み) - 学会 新法主への赤誠誓う
聖教社説「愛宗護法の精神を胸に前進」 「今、我々は、歴代会長が身をもって示してきた愛宗護法、宗門外護こそ学会精神の第一義であることを深く銘記し、阿部日顕新御法主上人へも、変わらぬ赤誠の御奉公を尽くしていくことを誓い合いたい。それが不減の滅を現じられた御法主日達上人への御報恩の道である」(聖教54・7・24)
聖教「寸鉄」 「新法主上人に阿部総監 愛宗護法こそ学会精神の第一義 変わらぬ赤誠の御奉公誓わん」(聖教54・7・24) - 1979.8.1
- 継命第3号発刊
継命レポート
「御本尊ごと売られた結婚式場目黒文化会館!」
「長年、学会員に親しまれ、いまもなお馴染みの深い″目黒文化会館〃が、いつの間に、御本尊ごと売却され、学会とは無関係?の結婚式場になっている…。にもかかわらず、式次第の勤行は学会幹部の導師で行っていることが判明し、宗門無視の、この恐るべき事実に、地元学会員や檀徒も驚き、早くもマスコミに報道され、またしても学会の大謗法が明るみに出た」(継命54・8・1) - 1979.8.6
- 御座替式(総本山)
日顕猊下「…私こと、先に総本山第六十六世日達上人より血脈付法をお受け申し上げておりまして、そのことをありのままに今回、御遷化にあたりまして発表を申し上げたしだいでございます。今にして拝しまするならば、日達上人貌下には兼知未萌の大智をもたれまして、ご自身の生涯における一切の事柄をかねてご冥鑑あそばされ、そのうえから、このご処置を賜ったものと拝察したてまつるのでございます。ゆえに皆様におかれましても、このたびのことは、ことごとく先師日達上人貌下の御意のままに運ばれたことであることを、深く信ずることが大切と存ずるものでございます……さらには、創価学会、法華講の各棟梁、信徒の幹部の方々にもなにとぞ総本山の護持、ならびに末寺の護持をよろしくお願いするしだいでございます…」(大日蓮403) (聖教54・8・8) - 池田氏
「法水潟瓶、法灯連綿の尊厳なる儀式に参列できえた喜びを述べるとともに、今、万感の思いで、日顕上人貌下のお姿を、拝し奉る旨を語った。また、凡愚の思慮で恐れ多いことではあるが、かつて日顕上人御尊父であられた総本山第六十世日開上人の御時、宗祖六百五十遠忌が奉修せられ、時移り、このたびは、御法主日顕上人のもと、宗祖第七百遠忌を僧俗和合をもって迎えんとしている姿に、不思議な妙法の因縁を実感する、と述べた。さらに、日顕上人の御威徳のもと、また無量の御思を賜った第六十六世日達上人の御高恩に報ずるためにも、いよいよ広宣流布の大願業に力を尽くしていく覚悟であると語るとともに、御法主日顕上人に御奉公の赤誠を尽くすことを固くお誓いし、祝辞を結んだ」(聖教54・8・8) - 1979.8.7
- 日達上人御本葬
- 1979.8.8
- 日達上人御逮夜法要
- 1979.8.9
- 日達上人御正当会・墓参
- 1979.8.11
- 聖教社説「新御法主のもと愛宗護法の前進」
「御葬儀が、荘厳のなかにつつがなく進められる一方、七月二十二日の御密葬・御通夜の席上、椎名重役から重大発表があり、昨年四月、阿部総監に日達上人より御相承の儀に就いて御言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った旨が明かされたのである。ここに宗門は新御法主日顕上人のもと僧俗和合、一致団結して大法広布へ邁進することになり、日達上人御遷化の悲しみのなかにも、未来広宣流布への御報恩の重要な一歩がしるされたのであつた。さらに、六日には御本葬・御通夜に先立って総本山第六十七世御法主日顕上人の御座替式が厳粛かつ荘厳裏に執り行われ、法灯連綿の峻厳なる儀式に、参列者一同、正法外護のいっそうの御奉公をお誓い申し上げたのである……日顕上人には御座替式において御言葉を賜り、宗祖大聖人第七百遠忌をあと二年にひかえての重大な時、僧俗が真に一丸となり一致団結して、大聖人の仏法の護持興隆、広宣流布に邁進することが、もっとも肝要である旨、御指南されている。我々は、あいがたき宗祖日蓮大聖人第七百遠忌を前に、愛宗護法の赤誠をもって日顕上人現下に御奉公いたし、宗門隆昌のつち音いやますなかに、晴れの大浄業をお迎えいたそうではないか」(聖教54・8・11) - 1979.8.16
- 第239回本部幹部会(埼玉文化会館)
北條会長「(日達上人)御遷化の悲しみのなかにあって、御遷化当日の夜の御通夜の席上、椎名重役から重大発表があった。すなわち昨年四月に日達上人より阿部総監に御相承の儀について御言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った旨が明らかにされたのである。ここに宗門は新御法主日顕上人のもと僧俗和合、一致団結して大法広布へ邁進することになり、六日には、総本山第六十七世御法主日顕上人の御座替式が厳粛に執り行われた……新御法主日顕上人の御指南のままに今こそ僧俗和合、一致団結して広宣流布に邁進することを心よりお誓い申し上げたい…」(聖教54・8・18) - 1979.8.16
- 週刊サンケイ 柴田瑞穂手記
「死んでも言いたくなかった真実・池田前会長はなぜ御本尊を偽造したのか」 - 1979.8.20
- 週刊サンケイ 柴田瑞穂手記2
「日達上人を徹底的に無視した池田前会長の罪」 - 1979.8.22
- 聖教「法体の血脈と信心の血脈の違い」について
「昨年の六月三十日に発表された『教学上の基本問題について』は御宗門からの御指摘を受けた教学上の問題について、学会として明確にしたものであり、さらに徹底して学習して深化していかなければなりません。そこで、御指摘の要旨とあわせて、これを毎週この欄で連載してまいります」(聖教54・8・22) - 1979.8.24
- アメリカ合衆国公法人・日蓮正宗寺院(NST)設立記念法要(恵日山妙法寺)
- 1979.8.25-26
- 第3回全国檀徒会
「大会は、丸岡文乗師の力強い開会の辞によってその幕が切っておとされた。丸岡師は、御法主日顕上人貌下の大慈悲のもと総本山において第三回総会が盛大に開催される喜びを述べ、同時に昭和五十二年以来、正信覚醒運動を見守りはぐくまれた日達上人貌下の御遷化に、深い奉悼の言葉を捧げた。ここで、御法主上人貌下より御説法を賜った。次に、佐々木秀明師より現況報告。四月以降の池田会長辞任に端を発し、数回に亘る学会代表との会談と遅々として進まぬ学会の改善、未だに出てくる謗法逸脱行為、幹部発言等をとりあげて説明。次いで「善と悪」と題して児玉大光師の講演。今日に至る創価学会の教義逸脱、大謗法は池田氏唯一人の錯覚から始まったものであり、池田氏の心からの懺悔がない限り、善悪共に救うという大聖人の仏法の大慈悲の立場から、更に正信覚醒を展開していこうと訴えた。檀徒代表決意を応身寺講頭。池谷甲一氏、法遊寺講頭。平山弘作氏が行なう。ここで、渡辺広済師が講演。最後に、荻原昭謙師が諸注意として今後の檀徒のとるべき信心姿勢について指導。諸注意に加えて荻原師は、創価学会の犯した日に余る大謗法の数々、その大謗法を隠しつ゛つけ、己が権力、組織を守らんが為、大聖人の仏法を壊乱するに至ってはもはや、本末転倒、この法人は百害あって一利無し、と指摘し、今こそ根本解決の時であり、『真の広宣流布を致す真実の法華講衆はいずこにありや、今こそ地涌の本書属出でよ!』と法華講、檀徒一同の一大奮起を促した。丸岡師の閉会の辞で大会は閉幕した」(第3回日蓮正宗全国檀徒総会紀要) - 1979.8.31
- 週刊サンケイ 柴田瑞穂手記3
「密かに画策されていた池田教創価王国構想」 - 1979.9.1
- 継命第5号発刊
1.日達上人の御本尊並びに日顕上人のお座替り法要
2.最高幹部Z氏の投書
○池田前会長の復権工策
○創価学会インターナショナル会長が日蓮正宗を名乗る信徒の上に立つ矛盾
○あわれな男「N」を非難する
3.人間革命(VOL.10)の山本伸一のうそ(蓮華生)
4.松永論文(大学新報に反論) - 活動家僧侶ビラ撒き
「日蓮正宗の信心をしつつ公明党を支持しなければ罰が当たると思われている皆さんへ」のビラを宗内に配る - 1979.9.4
- 聖教「登山会とは」
「登山者の心構え『登山会』とは、総本山大石寺に参詣し、弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が末法の全世界の民衆を救済されるために御建立された本門戒壇の大御本尊にお目通りすることが目的です……
①戒壇の大御本尊にご内拝いただけたことを報恩感謝し、また、御本仏。日蓮大聖人にお会いする心で大聖人の仏恩に対し、心から報思感謝し、また七百年正しき法水を持たれた僧宝日興上人並びに伝法日目上人以下歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げることです……日蓮正宗の信徒として、信仰の根本である大御本尊のおわします″生命の故郷〃ともいうべき総本山へ参詣できることに、深い感謝と決意の一念をもって『登山会』に参加していきたいものです」(聖教54・9・4) - 1979.9.10
- 池田、原島教学部長と懇談
「午後、池田名誉会長から、聖教新聞社の特別ロビーの一室に呼ばれた。そこには、私以外に、鈴木第一庶務室長、末定教育部長も居合わせていた。冒頭、名誉会長は『あのね、今、呼んだのは、日顕上人が、四悉檀のことを述べ、学会が間違っているといつているんだ。学会の行き方が間違っているのかね』と尋ねた。私は、名誉会長の心を満足させるように、『いえ、間違っておりません。正像と末法とを相対した時は、末法は折伏であり、正像は摂受ですから、末法は、第一義、対治悉檀を根本とするべきであることは当然です。
しかし、その折伏の上に立って四悉檀は必要です。大聖人も「予が法門は四悉檀を心に懸けたる法門なれば」と仰せです』と答えたのである。その他、四悉檀に関連して、その内容や、摂受、折伏のこと等について私は語った。『そうだろう、学会は正しいだろう』とも、その間名誉会長は語ったのである。
池田名誉会長は、最後に一言『そういうことも書いておくんだな』とポツンと言ったのである。そのあとコーヒー店に行き、再び社の特別ロビーで語ったことは『学会の方が宗門より大事だ』『僧侶が折伏をやらないのは謗法だ』『宗門の言っていることは、揚げ足とりで、根本ではない、枝葉末節である』『日達上人と現貌下と比較すれば日達上人の方が信心があった。現猊下の方が信心がない。ただ晩年、日達上人は、若手僧侶に乗せられてしまった』と語った。また『七十七歳で死ぬとは誰も思わなかった、君も思ったか』と尋ねられたのである」(池田先生への手紙) - 1979.9.12
- 聖教「6・30教学上の基本問題について④」
″獄中の悟達″は本仏の自覚に非ず(聖教54.9.12) - 1979.9中旬
- 山崎正友 山口師へ「特別財務返還の訴状」の原案を出す
- 1979.9.19
- 聖教「6・30教学上の基本問題について⑤」
″会長本仏論″は誤り(聖教54.9.19)
➡会内に本仏論が流布されていた証拠 - 1979.9.23
- 佐々木秀明・児玉大光、北條・平井庶務局長と会談(大分・寿福寺)
「池田さんに、“これまで本山との経緯は種々ありましたが昭和五十二年に集約した学会路線は、私が引いた謗法の路線でありました”と、 ハッキリ明言して貰いたい。その明言されたことを、このように言ったと他人には吹聴しません。お互いの信義の為にも、又あれだけの人ですし……。今更、聖教新聞に″謗法であった〃等とおっしゃらなくても結構です。あなた方も、そこ迄池田さんが追い込まれるのは執行部として忍びないでしょう。そして明言された態度を我々が確認した上で、しばらく様子を見ましょう。それだけの余裕は我々にもございます。そのようにして下さい、と念を押したら、北條さんは『ではそのように取り計ってみましょう』というところで、会談は終了した」(佐々木秀明メモ) (正信覚醒運動の歩み)日蓮正宗全国檀徒登山推進委員会「第3回日蓮正宗全国檀徒総会紀要」発刊(刊記) - 1979.9.27
- 第4回九州檀徒総会
- 1979.10.1
- 元学会員から寄付金返還訴訟を起こされる
日達猊下の「学会はご供養を集める資格はない」との言葉にしたがって、昭和50年から52年にかけて集めた金(総額2,705万円)の返還を求め元学会員412名が提訴 - 1979.10.1
- 「池田大作言行録」第1回公判
社長会メンバー・木村靖氏の処分申請の報告書を取り下げる - 1979.10.7
- 衆院選で58名が当選
- 1979.10.8
- 宗務院通達
- 1979.10.12
- 聖教 北条会長 院達に随順の談話発表
北条会長 本部全体会議での発言
「創価学会は池田センセイあっての組織である。したがって本部職員は、池田センセイのもとに、誠心誠意、ご奉公していかねばならない。この学会本部全てが池田センセイのものである。と自覚するならば、一銭たりとも無駄に使ってはならない。君たちの使用するエンピツ一本までセンセイの物である。そのように心得よ!」 - 1979.10.17
- 関東地区檀徒代表者大会
運動方針
1.正信覚醒運動は従来と変わることなく、一層強力に推進していく
2.来年8月の第5回檀徒総会までに、檀徒を倍増しよう
3.機関紙「継命」の有効な活用を図ろう。
そのために座談会や折伏などに積極的活用をしよう。 - 1979.10.19
- 「池田大作言行録」第2回公判
- 1979.10.20
- 6・30教学上の基本問題について
「『僧宝は僧侶を意味するものではなく、今日における僧宝は創価学会であると述べた人がいますが、これは正宗の法義からの逸脱だと思います』『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長(編注・池田三代会長)も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方をしてはならない……『創価仏法とは何ですか。日蓮正宗の仏法の外にあるのですか』学会は、実践の教学として社会に仏法を応用展開してきたが、それを急ぐあまり、宗門伝統の教学に対し、配慮のいたらない部分があった。この点は、今後十分留意していきたい」(聖教54・10・20) - 1979.11
- 家庭の御本尊は大御本尊の御書写
「この本門戒壇の大御本尊を根本として、血脈付法の歴代の御法主上人が大御本尊を御書写になり、御下附くださったのが、私達の家家に御安置申し上げている御本尊です。したがって、その御本尊を拝し奉り、無二の信心で唱える題目は、即座に本門戒壇の大御本尊に納まり、大功徳に浴すことができるのです」
( 昭和54年11月号『大白蓮華』36頁) - 1979.11.9
- 聖教・お題目の商標登録について釈明
「問い――創価学会が南無妙法蓮華経を商標登録したことについて、一部で取りざたされていますが、その真実の背景について教えて下さい
答え――折から正本堂の落慶をひかえ、これに関連した商品が数多く販売されることも予想されましたので、その対策について、総本山にご相談申し上げ、その了承を得て、学会が事前に対処することになりました。その一環として特許庁の方針変更にそなえ防衛上押えておく必要があるとの判断で、題目の商標を出願しました。 しかし、昭和五十年ごろから一般的な宗教用語は商標として登録を認めるのは妥当でない、などの議論がマスコミを沸かせたこともあってか、特許庁として『認めない』方針に落ち着いたようなので、学会も五十二年一月には出願したものを全部取り下げています。以上の経過のとおり、あくまで題目が他の第三者により商標登録され、独占的に俗事に使用されるのを未然に防ぐため、そのときどきの特許庁の方針を考慮しながら法的防衛措置としてあえて登録申請に踏みきったのが実情であります」(聖教54・11・9) - 「十一月九日付けの聖教新聞三面の『お答えします』で、″悪用を防ぐため商標登録″との弁解に対し『御本仏大聖人の御法魂を商品化』と糾弾し、他教団からの異義申し立てがあり、学会があわてて取り下げた経緯を述べている。また、宗務院も許可した覚えがない旨を報道」(継命54・12・1)
➡結局、52年5月20日に出願を取り下げている - 1979.11.9
- 副会長を19名にする(11/10付)
原島嵩氏 教学部長を解任
桐村泰次氏が教学部長に就任 - 1979.11.11
- 聖教・院達の趣旨に則り「特別学習会のために」を掲載
「一、五十二年当時を中心とする指導のなかに、宗門、寺院、僧侶に対して、従来の正宗と学会の関係からもはずれた行き過ぎた指導があったことは、まず第1に率直に反省すべき点であります……私達は日蓮正宗の信徒であることの意識を明確にし、僧侶に対しても礼節を重んじ、信徒としての姿勢を正すなかに僧俗和合の道を進めてまいりたいと思います。
二、過去の指導のなかに、会長に対して、日蓮正宗では、御本仏日蓮大聖人または日興上人にしか用いない法義になっている言葉を用いて、宣揚する幹部の言動がありました…… 」(聖教54・11・11) - 1979.11.23
- 池田氏 イラン・ホメイニ師に人質解放要求を打電
- 1979.11.29
- 北条会長 「北条文書」の陳謝のため登山お目通り
富士学林研究科閉講式(総本山)
日顕上人「最近、実際に私も見ましたけれども、ある団体の責任者ともいうべき人が、とんでもない、まことに遺憾至極な意見を、内部の意見として述べたということが、文書のような形で伝わっておるようであります。もちろん、その考え方というものは大変な誤りであり、間違いであり、そういう考え方が事実有るならば、どうしてでも、糾明もし、処置もしなければならないわけであります。それにつきまして、実はその責任者が、本日登山致しまして、私に対して重々の陳謝の意を表わし、また、当時、そのような感情にかられたと思われるようなことがあったこと。ただし、もちろんそれが良いのではございません、ということも申しておりましたが『大変に申しわけがない』ということの趣意を、私に対して 申しましたわけでございます。そして、その時点における一番の責任者が――現在はその立場におりませんが――『自分自身は微塵も思わなかったけれども、そのような言葉があったということに関して、実に申しわけない』ということの、陳謝の意を表わしてきたのであります……私は、その人達が本日登山してきた趣旨というものの上において『深く誤りを認め、今後の絶対の奉公を誓う』という言葉を信ずる、ということを考えたわけであります…(大日蓮407) - 1979.12.1
- 北条 『北条報告書』の件につき聖教新聞でお詫び
お答えします「北條副会長(当時)の文書について」
「もとより学会としての公式な意見、方針ではなく、当時、池田会長からも戒められたところである……この点については、日顕上人にも経過をご説明申し上げるとともに、一時的、感情的にせよ、こうした問題があったことについて、お詫び申し上げました。また、今後とも創価学会は永遠に日蓮正宗を外護し、代々の御法主上人猊下に赤誠のご奉公をお誓い申し上げました」(聖教54・12・1)
聖教社説
「血脈相承をうけられた第六十七世日顕上人猊下は、八月二十一日、宗内一般に『血脈法水に基く和哀協力を』との訓諭を発せられ、僧俗和合して広宣流布へ、との方針を示されたのである。今回の院達も、この訓諭の趣旨にのっとったものである。今回の特別学習会では、こうした経過を理解するとともに、ふたたび同じ轍を踏まないために、反省し改めた主な点を確認することになっている。このような特別学習会の重要性を考えたとき、幹部みずからが真摯な姿勢で取り組んでいかなければならないのは当然であろう。特別学習会を成功させることが、理想的な僧俗和合の道を開くことになり、広宣流布を前進させることと確信して、真剣に取り組んでいこう」(聖教54・11・21) - 継命新聞 検証「創価学会・また謗法与同を犯す」
「十月二十九日付け『聖教新聞』八面に″江戸工芸の枠を集めて再現された手造りの傑作〃との見出しで七段広告が掲載された。問題はこの長火鉢の抽出しの飾り金具。広告の説明文は次のようになっている。『家庭の幸運を呼ぶお守り金具飾りには『家内安全』『繁栄』『無病息災』などの願いをこめて、魔除の鬼をあしらつてあります。あなたの御家庭のお守りになさって下さい』しかも申込のハガキの見本には、『日本メールセンター高級長火鉢聖教⑩係』と宛先が銘記されている。神社信仰まがいの〃ご家庭の幸運を呼ぶお守り金具″の付いた商品を、創価学会の機関紙上で堂々と広告し、学会員に宣伝し、買わせようとしている」(継命54・12・1) - 継命 検証「学会の謗法」
遂に文字刻み念珠を発見
「昭和五十一、二年頃、池田会長が親珠に文字を刻んだ念珠をつくり、大幹部に贈ったという話は有名。しかし、その現物を見たという人は少ない。その現物をこのほど入手。念珠には『城』の字が刻んである。創価学会二代会長・戸田城聖氏の片名だ。このほか牧口常三郎初代会長の『常』と、張本・池田大作氏の『大』の字を刻んだものがある。念珠を作った意図は不明ながら、張本・池田大作氏が、池田宗旗揚げへ向けて疾走し出した時期に、符節を合わせていることは事実。おそらく、当時の勢いに乗った学会の風潮として、もはや宗門は学会が何をやっても文句をいえないと、タカをくくっていた、一つのあらわれかもしれない。だが、その裏には、念珠に会長の片名を刻み与えることによって、『会長への帰命』を、より強力に促す魂胆があったのではなかろうか」(継命54・12・1) - 1979.12.8
- 大阪活動家僧侶会議
○宗門及び同僚僧侶の悪口を流したスパイ僧侶全員の名前を公開
○宗門トップの交替要求を含めた戦い - 1979.12.12
- 月刊ペン裁判 東京高裁は隈部の控訴を棄却、有罪判決
- 1979.12.14
- 学会(東洋物産社長 木村靖) 下山正行著『私は創価学会のスパイだった』の中の社長会記録に対し、著作権法違反として東京地裁に告訴
- 1979.12
- 公明 民社党との間で中道連合政権構想を合意
- 『7つの鐘鳴り終わる』
昭和55年
- 1980.1.1
- 年頭挨拶 日顕猊下御言葉
1 仏性の存在の確信
2 7百遠忌に僧俗一致団結
正しく見、正しく云い、正しく行うことである。いやしくも、物事のすりかえや自分の都合勝手な見解や、無責任な悪口の言辞をろうさず、和を目的として論ずることである。
学会の正月の全国勤行会の出席者が180万人ほどであることが集計で判明
- 1980.1.15
- 継命10号発刊
1 正信覚醒運動の原点(道標)
○宗務当局やすべてに対して訴える
○三度目の新年を迎えた
2 創価学会極秘資料(第1回広布会での池田発言)
3 身延離山と正信覚醒運動(座談会)
4 創価学会問題の真相(4)
○池田絶対化と宗門も異常な中央集権化がすすむ
○理解に苦しむ宗務当局のなされよう
○宗務院と有力僧侶を懐柔
○宗門内に裏切り者
○7百遠忌はどうなる - 公明 社会党との間で中道連合政権構想を合意
3億円恐喝として元学会顧問弁護士・山崎正友氏を告訴 - 1980.1.24
- 聖教社説
「昭和五十五年『地域の年』の活動は、それぞれの地域、支部などの特色を発揮しながら、伸びのびと着実に軌道にのったといえよう。ここで、もう一度、もっとも大切な信心の基本について確認しておきたい・・・御法主上人の御指南を銘記し、一人一人が日蓮正宗のよき信徒として、正宗の化儀化法を順守していくことこそ、信心の基本であることを瞬時も忘れてはなるまい。昨年五月、日蓮正宗の信徒団体としての基本・正確を明確にした創価学会会則を当新たに制定し、さらに昨年末に特別学習会を開催して『6・30』『11・7』の意義内容を徹底したのも、日蓮正宗信徒としてのあるべき信心の基本を明確にするためだったのである。したがつて『6・30』『11・7』の内容については、今後もおりあるごとに学習し、理解を深めて、ふたたび正宗の化儀化法から逸脱することがないよう務めなければない‥‥私達は、正宗の法義が、大聖人から歴代の御法上人への血脈付法に基づく甚深の奥義であることを正しく理解し、伝統の化儀化法にのっとって、一生成仏と広宣流布のために精進していかなければならないことを銘記したい」(聖教55・1・24) - 1980.1.26
- 第四回檀徒総会
- 1980.1.27
- 日蓮正宗ニューヨーク出張所開所式
- 1980.1.31
- 聖教 秋谷副会長報告
○現在の活動会員数 601万
○青年部 202万
○聖教発行部数 450万部 - 1980.2.15
- 宗務院において宗門と学会の連絡会議
6.30、11.7の徹底を申し入れ並びに海外事情の説明あり(宗務広報272 S55.2.20付) - 1980.2.16
- 池田氏 「誕生会」にて
“日蓮大聖人直結”“御書根本”を強調。唯授一人血脈相承を否定を始める - 1980.2.18
- 聖教社説「御書拝読の姿勢を厳格に」
「二月度の一般講義が始まり、各地で求道の息吹に満ちた御書の研さんがなされている……まず、末法の御本仏・日蓮大聖人の御書の文々句々を、正確に拝読するよう、心掛けていきたい……日蓮大聖人、日興上人以来の、血脈付法、唯授一人の御相伝に基づく代々の御法主上人の御指南を仰ぐことによって、御書の深義を誤りなく信受することができるのである。そうした意味で、二月に刊行される『日寛上人文段集』(創価学会教学部編)は……御書を正しく研さんするうえで、絶対に欠かせない指南書といえよう」(聖教55・2・18) - 1980.2.26
- 原島氏 一対一による池田氏へ6時間に渡る諫言
直後に原島氏は幽閉状態とされる - 1980.2.27
- 院第70号 宗務院より継命編集室へ
○再々度警告
○宗務院の意向に沿う意志在りや否や、編集者氏名を3月10日までに必着せよ(蓮華 S55.7月号) - 1980.3.1
- 読売 池田大作にインタビュー
1 創共協定はのばしてもよい
2 宗教と独善性が政治と結びついたのがイラン革命 宗教の堕落となり自滅する - 1980.3.3
- 週刊現代(3/3号) 池田大作にインタビュー
1 院政や復帰はない
2 反省すべき点は反省する、多くの会員に迷惑をかけた - 1980.3.7
- 宗務院、院第78号
「宗務院においては、創価学会に関する問題について、かねてより院達をもつて度々通達し厳重に注意を促して参りましたが、宗内の一部には未だにこれを無視し違反行為を重ねている向きがあるやに風聞しております。万一、今後もなお、このような状況が続くならば、最早や宗門の秩序と統制は失われ、その存立すら危ぶまれる事態を招くことは必至と思われます。依って宗務院としては、今後これら院達違反の行為は宗門を破壊する活動と見倣し、きびしく対処して行く方針を執ることになりました」(大日蓮414) - 1980.3.11
- 聖教社説「『小樽問答記念日』に寄せて」
「三月十一日は『小樽問答記念日』である。二十五年前の昭和三十年三月十一日、雪深き北海道・小樽の地で、日蓮正宗創価学会の代表が、日蓮宗身延派の代表を、公開法論の場で徹底的に破折し、大勝利を収めた記念の日なのである……この小樽問答の結果、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、三大秘法の南無妙法蓮華経、なかんずく本門戒壇の大御本尊を根本として、日興上人以来、血脈付法の歴代の御法主上人の御指南により、七百年の間化儀化法を誤りなく伝えてきた日蓮正宗の正統性があらためて社会に広く宣揚されたのである」(聖教55・3・11) - 1980.3.19
- 教学「仏法実践のために」一問一答
「問い――日蓮正宗の名称の由来と根本の教義について教えて下さい。
答え――日蓮大聖人は三大秘法の法体と法義のすべてを本門弘通の大導師である第二祖・日興上人に授けられました。以降、現在の第六十七世御法主日顕上人に至るまで、大聖人・日興上人以来の化法・化儀が正しく清らかに日蓮正宗に伝えられています。私達創価学会員は、日蓮正宗の教義に基づき、仏宝(日蓮大聖人)、法宝(本門戒壇の大御本尊)、僧宝(日興上人)の三宝を信じ尊敬する日蓮正宗の信徒なのです
問い――創価学会員になった私は、勤行のほかに、どういう活動をすればよいのですか。
答え――各地の正宗寺院で行なわれている春秋の彼岸会、毎月の御講など、寺院行事への参加が大切な仏道修行となります」(聖教55・3・19) - 1980.3.20
- 第246回本部幹部会(長崎市公会堂)
森田「‥連絡事項を申し上げたい。御宗門より、登山会の御開扉御供養および食事代についての改定の話があり、六月度の登山会から、旅費を除いて『日帰り』は大人が千六百円、子供が八百五十円、『一泊』は食事代を合めて大人が二千七百円、子供千九百円となる。御形木御本尊を御下付いただくさいの御供養は、あくまでも真心であるが、御宗門と相談した結果、四月より、御授戒の御供養も合めて二千円以上、御授戒のみの時は、家族が何人かいつしよに一御授戒を受ける場合でも、千円以上とさせていただくことになったのでご了解願いたい」(聖教55・3・20) - 1980.3.25
- 聖教「登山会の目的、心構え」
「学会の発展の歴史は、そのまま、総本山の興隆への外護への歴史でもありました。なかんずく歴代の会長は、総本山に終始変わらぬ赤誠の一念を尽くしてきました。この外護の実践も、ただただ、七百年にわたる日蓮正宗の清流があればこそ、私達の今日の幸福があるとの感謝と報恩の一念から発したものであり、今後ともこの感謝の念をもって、総本山の外護、広布の実践に取り組んでいきたいもものです」(聖教55・3・25) - 1980.4.2
- 池田 所感恩師のニ十三回忌に思う
「もとより日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります。信仰の根本は、本門戒壇の大御本尊であり、創価学会は、それを民衆に知らしめる折伏の団体であるからであります。私自身、この信仰の根本を一度たりともはずしたことは断じててないことを、大御本尊に誓って申し上げるものであります。ただ、私が、恩師の「創価学会の歴史と確信」の理念、方向性を実践した延長とはいえ、その深き意志も解せず、僧侶・寺院の役割を軽視し、その結果、御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだことは、我が身の信心未熟ゆえの慢と、大御本尊に心より懺悔申し上げるものであります。」 - 1980.4.2
- 池田氏 52年路線について反省懺悔
「正本堂建立以降の、学会の広布第二章の基調と、そのうえで、私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります」 「私どもを慈しみくださった代々の御法主上人への御報恩であり、第67世日顕上人猊下への変らぬ赤誠の御奉公を、お誓い申し上げることになると信ずるのであります。」【全文】(55年4月2日 聖教) - 1980.4.6
- 日顕猊下 「恩師の23回忌に思う」について触れる
御代替奉告法要
○深い信心を根本とする仏祖三宝への懺悔と受けとめる。
○板御本尊に関しては法主の裁断によるべき、日達上人がすべてを収められた。 ○将来の世界に渉る広布流布のために大いに必要な団体であり、人物である。
○正法と持つ人々がお互いに相是否することは他宗他門より物笑いとなる。
○末法の衆生はいかなる人も謗法や罪障のない人はいない。
○卵を見て、時夜を求むるが如き性急さや対立意識を以って執拗に文書、演説等で攻撃するのは、法の上から見てよろしくない。
○信徒はすべて平等に仏子、互いに尊敬することが大切、感情や怨念はいけない。
○宗門と学会は広布推進の上から胸襟をひらいて話し合いが必要。 - 1980.4.6
- 聖教社説「御代替式を祝う」
「御代替式にあたり、我ら信徒はその盛儀を心よりお祝い申し上げるとともに、血脈付法の御法主上人の御指南のままに、理想の僧俗和合をはかり、御宗門を外護し、広宣流布を目指して精進することを心新たにお誓いしたい。第六十七世日顕上人は、永年にわたり宗会議員、参議、教学部長、富士学林長、総監と御宗門の要職を歴任、第六十六世日達上人にお仕えして御宗門の興隆に御尽力あそばされ、とくに教学の振興に力を注がれてこられた。その間、戦火で焼失した本行寺を復興されたことは、その御高徳を物語るものであろう。創価学会に対しても一貫して温かく見守ってくださり……だれ人にもわけへだてない、高潔で慈愛あふるる日顕上人の温顔に接する者は、皆心からお慕いしてきたのである」(聖教55・4・6) - 1980.4.8
- 朝日新聞 立正佼成会会長・庭野日敬、学会と停戦協定ありと発表
- 1980.4.8
- 学会、立正佼成会と朝日新聞に対して事実なしと抗議(聖教新聞4/9付)
- 池田氏「山友は金で解決した。内藤國夫も所詮、金次第だ」と放言
- 御本尊書写・証人喚問について
「歴代御法主上人については、これは、数あるご僧侶のなかでも、ただお一人のみが御本尊を書写なさり、それを私どもが受持するのですから、その内証においては日蓮大聖人と拝しているのです。これは日蓮正宗のゆるがぬ伝統といってよいのです」 「だれだって、ああいう場に喜んで出ていく人はいないでしょう。いやに決まっています。(中略)私を喚問することが、故意に、政略的に、というのであれば組織として反発するのは当然と思います。結構ですよ、いつでもどうぞ、なんてこちらからへりくだる理由はありません」 『現代』においての池田氏の発言 - 1980.4.10
- 観桜会(総本山池田山)
「これには、御法主日顕上人猊下が藤本栄道総監、椎名日憲重役をはじめ御僧侶の方々とともにお出ましになり、咲き競う桜花を賞でられた。この催しは、地元・富士宮の学会員有志が、御代替を心から慶祝するとともに、御多繁の日顕上人に、少しでも憩いのひとときをもっていただければと準備し、お招き申し上げたもの。平野登山部長や角田富士圏副圏長らも同席。地元の同志による琴の演奏も行なわれた」(聖教55・4・12) - 1980.4.16
- 山崎正友氏が学会より経営を託された冷凍食品会社シーホースが倒産。負債総額45億円
- 1980.4.21
- 山崎正友氏 創価学会顧問弁護士を辞任
- 1980.4.28
- 宗務広報No.278
1.学会との連絡会議(池田氏4.2所感を徹底を申し入れる)
2.法華講は宗務院庶務部が窓口
3.4.8の朝日新聞の記事に対して朝日並びに立正佼成会に学会が抗議を申し入れた事実を確認した。 - 1980.5.3
- 「創価学会の日」記念勤行会(学会本部)
秋谷「…大聖人の仏法の法灯を連綿と七百年にわたり正しく護持してこられた日蓮正宗の伝統と、創価学会の実践があって、今日の広布の姿があるといえる。さらに五十年後、創立百周年の佳節を迎えるころの広布伸展の姿を想像するとき、大聖人の仏法が世界宗教として定着することは間違いないと確信する…」(聖教55・5・4) - 1980.5.24
- 池田指導、於台東文化会館
「今日の日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広く張ることができたのも、正宗の伝統の根が深く、いままた草創の指導部の方々の謗法厳禁の根本を踏まえた懸命な信心と生活の見事なコントラストの実践によるところが大である。この年配の指導部の方々の実践指導を、見事に後継していくことが今こそ望まれる。人々の心と社会の動きから遊離し、空転していたのでは、いくら立派な仏法の理論を説いてもむなしいからである」(聖教55・5・24) - 1980.5.30
- 寺族同心会(総本山)
日顕猊下「…例えば『ある団体に入って信心をしておると、いかに正しい御本尊にお題目を唱えても成仏はできない』などと、ばかなことを言う僧侶がおるのであります。これは大きな間違いです……もちろん凡夫には″十四誹謗″という姿はあります。その根本は、やはり信心が足りないということからくるのだけれども、それらの問題を改めていくならば、それはそれで良いのであります。その十四誹謗を犯した人が、それを改めようとしている姿に対して『謗法だ、謗法だ』と目くじら立てて言うならば、それはかえって自分が大謗法を犯していることになります。なぜならば、同じく大御本尊を受持しておるのでありますから、その御本尊の功徳を信じていないということになるからであります…」(大日蓮413 ) - 1980.6.5
- 内藤国夫 『現代』7月号に「池田復権にうごめく怪情報」を掲載
- 1980.6.6
- 第三代法華講連合会委員長に阿部唯七郎氏就任
- 1980.6.16
- 大白法209号
1.正法を護持している団体を法主の教導に背いて謗ることは本尊に対する不敬と不信謗法が構成
2.その団体に誤りがある時、処置するのは血脈承継の法主である
3.正法血脈護持、広布流布の根本精神に違背して法主の教導に逆らう者は僧にあれ俗にあれ非法の衆であります - 1980.6.17
- 教学 『良き檀那』めざそう
「私達は、世間の声に惑わされず、末法の正法は日蓮大聖人の仏法のみであることを確信して、末法の法華経たる本門戒壇の大御本尊を受持しているわけですから『よき檀那』の資格を有していることになります。根本の『よき師』である日蓮大聖人に帰命し奉り、そしてその法水を現在に正しく伝えられている御法主上人を仏法の師と仰ぎ、日蓮正宗を外護していく使命の大きさは計り知れず、私たちはさらに『よき檀那』たらんと、決意を新たにしたいものです」(聖教55・6・17) - 1980.6.22
- 衆参同日選挙で衆院33名、参院12名が当選
- 山崎正友氏へ学会から激しい迫害が始まる
- 1980.6.27
- 第249回本部幹部会(東京戸田記念講堂)
森田「…最近、一部の週・月刊誌で創価学会、池田名誉会長についての中傷記事が目立っている。ここでは、いかにデタラメな記事が多いか少々事実を明らかにしておきたい……何があろうとも私達は、大御本尊様と御法主上人猊下がおわかりくだされば何も恐れることはないと確信しつつ、諸難を乗り越え、さらに広布の前進をいや増していこうではないか」(聖教55・6・28) - 1980.6.28
- 秋谷副会長に聞く
◇最近の週刊誌等による誹謗記事について 「『人間革命』に関しては、名誉会長がみずから筆を執り、推敲を重ねて、後世のために書かれてきたものです。『人間革命』は、その指導性、信仰観、人生観は書く人の人柄そのままに出るもので、名誉会長以外には書けません…」(聖教55・6・28) - 1980.7.2
- 聖教新聞購読料改定
「来る八月一日から、月ぎめ購読料を現行の一部九百円から千二百円(一部売り定価は現行四十円を五十円)に改定」(聖教55・7・2) - 1980.7.4
- 全国教師指導会(総本山)
日顕猊下「次に、最近の宗門の姿のなかにおいて、謗法の論議が非常に多い。そのなかでも特に『創価学会は大謗法の団体だ』と言っておる人が、かなり多いのであります。それについて今日指導しておきますが、″絶対に誤りである〃と断ずるものであります……本宗において、大聖人の御本尊を唯一無二に信じ、仰ぎ奉り、そしてこれを自らも信じて御本尊の利益・功徳を受け、またそれを人に向っても教えつつ、広くこの御本尊を流布した団体は何でしようか。これは、七百年の歴史のなかではいろいろな条件はありますけれども、創価学会であります……創価学会にももちろん、謗法はありました。いわゆる中謗法・小謗法というような意味での謗法はあったけれども、この御本尊を受持している以上、大謗法はないのであります。もしも、御本尊を受持している人に対して大謗法呼ばわりするのであれば、これは大聖人・大御本尊に背くものではないか、と私は思います……(大日蓮414) - 1980.7.15
- 教学部長・原島嵩氏を除名
除名への経緯> 原島氏は週刊誌に手記を発表。これが反逆行為として理由づけられた。 - 1980.8.6
- 聖教「日顕猊下登座1周年」
「総本山第六十七世御法主日顕上人は、きょう六日、御登座一周年の佳き日を迎えられた。御法主日顕上人におかれては、総本山第六十六世日達上人より唯授一人の血脈相承を受けられ、昨年八月六日、第六十七世御法主として御登座あそばされた。以来、正法のいっそうの興隆へ御法務に精励される一方、全国各地の寺院の法要にも相次ぎ御親修の慈歩を運ばれるなど、ますます御壮健な御法主上人を拝することは、我ら信徒一同にとってこのうえない喜びである」(聖教55・8・6) - 1980.8.10
- 聖教新聞「人間革命」11巻掲載再開
- 1980.8.11
- 宗務院、院第149号
「来る八月二十四日武道館にて開催を予定されている檀徒大会について、宗務院としてはその内容趣旨が七月四日全国教師指導会における御法主上人猊下の御指南に違背するものと認め、この大会を全面的に中止することを命じます。なお、万一、この命令に違背した場合は、相当の処置をとらぎるを得ないことを念告いたします」(8・24に関する処分経過について) (大日蓮416) - 1980.8.19
- 8月度男子部幹部会(東京戸田記念講堂)
北條会長「…学会の幾百万の人材の山脈は御本尊を根本とし代々の御法主上人猊下の御指南のもとに、具体的な実践においては戸田先生、池田先生という人生の師の薫陶を受け、自己を磨いてきたからにほかならないと思うのである…」(聖教555・8・22) - 1980.8.24
- 第五回檀徒総会(東京・武道館)
(出席僧侶187名、檀徒・法華講1万2千800名)
一、日蓮正宗法華講名誉総講頭を辞退せよ
二、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌慶讃委員長を辞任せよ
三、創価学会における実質的支配を直ちに止めよ 右、要求する」(継命55・9・l) - 1980.8.26
- 共産党・宮本顕示委員長 北条会長らを自宅の盗聴により告訴
事件に関わった者:北条会長、山崎正友、廣野輝夫、竹岡誠治、北林典夫。 60年4月の判決で、北条会長認定のもと行われた犯行として認定。【参考】 - 1980.8.27
- 副会長に森田康夫、大野和郎、伏木芳雄、中山晃の4名が就任 副会長の総数は23名(聖教55・8・2)
- 1980.8.29
- 宗務広報287号
持妙寺、昭倫寺の2ヶ寺、院159号違反行為により御親修等を中止 - 1980.9.3
- 9月度全国県長会議(長野研修道場)
「創価学会はいかなることがあろうとも、総本山第67世日顕上人猊下の御指南に従い奉り、あくまでも大御本尊への絶対無二の信心を貫き通し、総本山を外護申し上げ、僧俗和合して広宣流布に邁進する」(聖教55・9・4) - 1980.9.18
- 学会青年部最高会議 決議
「創価学会青年部はいかなることがあろうとも本門戒壇の大御本尊の信心を貫き、大御本尊まします総本山を厳護し奉り、御法主日顕上人の御指南のもと広布流布に前進することを決議する」 - 1980.9.24
- 宗門 正信会僧侶201名を処分
- 週刊現代 9/25号
山口法興「正信会はいずれ切り崩されて負けます。勝利などしません・・・」 - 1980.9.25
- 県運営会議
各県 「県長決議」(九月三日)をうけて「御法主日顕上人をどこまでも厳護」(聖教55・9・25)
「創価学会はいかなることがあろうとも、総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の御指南に従い奉り、あくまでも大御本尊への絶対無二の信心を貫き通し、総本山を外護申し上げ、僧俗和合して広宜流布に追進する」(平成4年1月1日号 諸君) - 1980.9.30
- 宗務院 渡辺広済等5名を擯斥処分
- 1980.10.8
- 信正寺本堂庫裡新築落慶入仏式(宮城)
日顕猊下「僧であれ俗であれ、その信心をしている人々の立場を攻撃し、非難し、悪口を言うことは、取りも直さず、大謗法でございます。このところの筋道が、最近の宗門においては間違っておる人が多いのであります。もちろん凡夫である人間には、信心上の誤りがある場合もあります。しかしそれは、改めていくならば仏様はその罪障というものを、根本的には必ずお許しくださるのであります。それをいつまでも、いったん過ちを犯したことをもって攻撃をし、そのことによって正法正義が日本乃至世界に広宣流布していくことを妨げるような結果になったならば、これこそ大謗法でございます…(大日蓮419) - 1980.10.12
- 聖教「きょう戒壇の大御本尊御建立の日」
「一器の水を一器に移すが如く、唯授一人の血脈相承によって、大御本尊の深義は七百年の星霜に凝滞することなく、総本山歴代の御法主上人により、正しく今日に承継されている。本門戒壇の大御本尊の深義は現在、唯授一人の総本山第六十七世御法主日顕上人の、厳護秘伝されるところである。まことにありがたい限りではないか」(聖教55・10・12) - 1980.10.16
- SGI親善代表者会議(サンタモニカ・世界文化センター)
「会議では、今後のSGIのすべての根本は総本山であり、大御本尊であり、あくまでも御法主日顕上人猊下に随順するとの根本路線が確認された。ここで『総本山根本、御法主上人厳護』を永遠の指針とする提案がなされ、全員の賛同をもって決議、採択した」(聖教55・10・18) - 1980.10.17
- 第一回SGI総会(ロサンゼルス市内・シュライン公会堂)
池田「もったいなくも総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の格別の御慈悲によつて『世界平和広宣流布大願成就』の常住御本尊を御下付賜った。この意義深き御本尊にともどもに唱題し、もって御法主日顕上人猊下の御慈悲に報い奉りたいことを誓い合いたいものである…」(聖教55・10・19) SGI理事会 - 「『総本山根本、御法主上人厳護』の決議を根本路線としていく、との諸点が確認された」(聖教55・10・19)
- 1980.10.23
- 第253回本部幹部会(秋田・五城目広域体育館)
北條「今日においては、歴代の御法主上人猊下を大聖人と仰ぐのが日蓮正宗の信心である。私達は、何があろうとも御法主上人に従い奉り、御指南通りに僧俗和合で広布にまい進していくものであることを確認しておきたい。これが創価学会の伝統である…」
森田「今回のアメリカ指導の報道でもご承知のように、総本山根本、御法主上人厳護のもとに勤行、教学等の信行学の基本に徹することはまことに大切である…(聖教55・10・25) - 1980.10.25
- 富士桜自然墓苑が完成
- 警視庁 山崎氏が学会を恐喝したとする告訴状を受理
- 1980.11.7
- 創価学会の社会的不正を糾す会 決起大会
正信会系である同会は、日比谷公園野外大音楽堂(東京)において、僧侶160名を含む七千名を結集し、決起大会を開催。 池田大作氏の国会喚問の実現と4項目にわたる大会決議を採択。引き続き国会周辺をデモ行進すると共に、代表千数百人が自民党本部前庭で、宗教法人創価学会の社会的不正を調査し、池田大作氏の国会喚問を要求する請願書を、約60万名にのぼった署名簿を添えて、自民党調査局長・三塚 博代議士らに手渡した - 1980.11.15
- 北條談話「創立50周年を迎えて」
「私どもは、どこまでも御法主日顕上人の御指南のもと、総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を根本として、宗門を外護しつつ、ますます篤き信仰で個々の人格の向上を図り、社会にあっては仏法の精神を基調とした平和・文化の推進に力を注いでいく所存である。昨今、ご心配をおかけしていることもあるが、仏法の原理に照らし、過去の経験にかんがみて、信仰のうえからは、当然、起こりうべき障害ととらえ、教訓とすべきは教訓として、今後の前進の糧としていく決意である」(聖教55・11・15) - 1980.11.18
- 創立50周年慶祝式典(東京・創価大学)
池田「…創価学会の今日までの発展に対し、本門戒壇の大御本尊、そして歴代の御法主上人の大慈大悲に心から御報恩感謝申し上げる。なかんずく、ゆかりの深い日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人、御当代日顕上人猊下に深く御報恩謝徳申し上げる…」(聖教55・11・19) - 1980.11.26
- 日顕猊下 52年逸脱路線についてご指南(学会創立50周年記念幹部登山)
- 1980.11
- 池田先生は本仏の再誕
「池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から『何を証拠に』とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再誕である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る(趣旨)」週刊サンケイ 11月13日号 某会員による記事
自民議員 公明党を牽制
自民党の超派閥国会議員五十五人が参加した「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」に、「池田大作氏の国会証人喚問を求める」請願書が、百三十四万人の署名を添えて提出されたことがある。一年以上も自民党内でタナ上げされ、公明党牽制の材料にたっぷり悪用された。(『今、改めて問う創価学会・公明党』内藤国夫)
- 1980.12.2-13
- 日顕猊下 アメリカ巡教
- 1980.12.5
- 宗務院、院第280号
「茲に、貴紙(編注・継命新聞)が日蓮正宗とは全く無関係の新聞であることを確認します。従って、今後貴紙関係者に対し、『継命』または貴紙関係者の発行する刊行物に、如何なる形態にせよ『日蓮正宗』の名称を冠し、或は日達上人の揮毫せられた『継命』の字体を使用するなど、これらの刊行物が本宗の公認したものであるかの如き印象を与える記載をすることを禁じます」(大日蓮419) - 1980.12.11
- 「聖教グラフ」から「グラフSGI」変更
「創刊号では冒頭を飾り、明年の宗祖日蓮大聖人第七百遠忌の新春にあたり、ますますご健勝であられる御法主日顕上人猊下の御近影が、清浄なたたずまいを見せる総本山大石寺・正本堂の雄姿とともに収められている」(聖教55・12・11) - 1980.12.13
- 聖教社説「世界広布へ誓い新たに前進」
「我々は、あのSGl総会で確認された幾つかの誓いを思い起こす。それは『総本山根本、御法主上人厳護』を永遠の指針として前進するとSGI決議である」(聖教55・12・13) - 1980.12.19
- 聖教「御法主日顕上人現下
きょう満五十八歳のお誕生日」 「心よりお祝い申し上げるとともに、総本山根本、御法主上人厳護の信心を貫き、御報恩の誠を尽くしていきたいものである」(聖教55・12・19)