山友恐喝事件の経緯

 創価学会が大悪人として批判を続けてきた山崎正友氏。
 山崎氏はそもそも池田会長による重用で学会顧問弁護士第一号となった。その後、学会が抱える問題に数多く関わり十指にはいるほどの大幹部に上り詰めた。いわば、池田氏の片腕である。それらの幹部は、池田氏から直々に司令を受け、報告をつぶさにする関係にある。
 さて、本題の山崎氏による学会本部恐喝事件であるが、おそらく学会員は「なぜ山友は学会を恐喝したのか」という疑問を抱いた方も少なくないだろう。事実、学会はこの事件のそもそもの経緯を、都合が悪いと考えてか説明していないからである。だから、「学会本部の弱みを狙われた」等の憶測を生む原因となっている。
 下記に引用する山崎氏の証言によると、学会から引き出した3億円はそもそも、学会外郭企業である東洋物産の赤字を引き受けてのことらしい。こういった経緯から、学会は詳細に説明しなかったのかと想像がつく。
 では、この事件の当事者である山崎氏が後年、その経緯を記しているので紹介しておこう。


3億円は学会外郭企業の赤字を埋めるため!?
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 池田大作のさしがねでうまい汁を吸い続けてきた正本堂事業の特需が終わり、にわかに仕事が減った東洋物産は、経営維持のため、あれこれ、手を打った。創価学会の会合の際の音響設備などの微々たる仕事では、膨張した社員を養っていけるわけがないから、新しい仕事を求めた。
 北条浩氏の実弟がテコ入れのため派遣され、同氏は、昭和四十九年頃から次第に世の中に注目されはじめた”冷凍食品“販売に着手した。
 この仕事は、時期尚早のため、失敗した。多額の負債を負ったばかりか、同氏が重用した学会幹部の山本某が、強引に仕事を進めたため、さらにキズを深くする破目となった。
 手に負えなくなった会社幹部は、学会本部に泣きつき、創価学会本部の扱いとなって私の部下の弁護士達が処理に当たることになった。昭和五十一年のことである。
 当面、東洋物産の損害を最小限にくいとめ、 ”子会社“的な立場の山本某の会社に責任の大部分を負わせて、切り離した。
 東洋物産は規模を縮小し、北条氏の実弟他、責任者は引責辞職した。
東洋物産は、創価学会にとって草創期から戸田城聖前会長と縁の深い会社だけに、つぶすこともできず、池田大作自ら、再生の作業に関わった。
社員を学会本部に集め、池田大作自ら
「一致団結して再建につとめよ!!」
と激励した。
 中西治雄氏らがやっきになって、売れ残った在庫品の冷凍食品を創価大学や創価学園、本部生協の食堂などに売り込んだが、創価学園でこの冷凍食品が原因で集団食中毒が起きるという騒ぎまで起こった。それでも、十年分の利益が吹っとんでしまうような大赤字も、学会グッズを売らせたりすることで何とかしのぐ目鼻をつけた。
 あれやこれや、テンヤワンヤの騒ぎの中で、当面の処置はいちおう終えたかに見えたが、山本某が詐欺罪で訴えられ、捜査が始まったことで事態は一変した。
 東洋物産の赤字を埋めさせるため、山本某に”取込み詐欺“的な行為をやらせたのは、当方の弁護士だったからである。
 また、山本某の会社の取引は、相手が、背後に東洋物産―創価学会が控えていることを信用の条件として行われていたから、こちらで”切り離した“といっても、相手は納得しない。事件になれば、創価学会の関わった”詐欺事件“として、世間に騒がれることは避けられない。
結局、処理をやり直すしかない。
 山本某に対しては、事業をつぶしてしまったら債権者の訴追はまぬがれないということで、他の外郭会社から、中西治雄氏のはからいなどで数千万円を貸しつけた。何とか、強硬な債権者をなだめ、そして穏便な整理をすることが条件の、援助であった。
 しかし、山本某は、よほど仕事に未練があったとみえて、強引に仕事の継続に突っ走り、キズを深くし続けた。
 結局、取込み詐欺で逮捕されてしまった。
 その直前から、山本某の会社は、私の方で管理することになり、私の部下を役員として送り込んで管理体制をとった。
 だが、引き継ぎも何もしないうちに山本某は逮捕され、そして留置場から、
「会社は、自分が出るまで、何とかつぶさずに維持してほしい。そのかわり、創価学会と東洋物産を事件に巻き込むことは、身にかえても防ぐことを誓います」
と伝えて来た。
 北条浩氏ら首脳とも相談した上で、やむをえず、私は、赤字だらけの会社を引き受ける破目になった。
 その後の紆余曲折は省略するが、残された債務の負担を免れるために、私の手元にあった”シーホース“という会社に営業を移転して冷凍食品の営業を続けさせたが、赤字がたまるばかり、そして、あげくのはて、出所して来た山本某は、仕事を放り出して逃げてしまった。
 私と部下は、最大限立て直しの努力をしたが、なれない仕事だからうまくいかない。
 そのうち、昭和五十二年後半から、宗門問題をめぐって私と池田大作はじめ首脳との関係が悪化した。
 昭和五十三年に入ると、池田大作は、私を切ろうとして切れず、逆に、宗門との関係改善のため、すでに心の離れた私を使わなくてはならぬ、という複雑な関係となった。
そのような状況で、学会首脳との意志疎通が充分にゆかぬ中、シーホースの赤字は雪ダルマ式に増え、その穴埋めは、北条浩氏の口ききでシーホースに資金援助をするようになった日原造園と、そして、創価学会経理局長の口ききと紹介で取引していた銀行の融資に頼った。
昭和五十五年に入り、私は、創価学会から一切手を引いて外に出る覚悟を固め、そのための話し合いに入った。
 創価大学や学園の理事、創価学会の役職、日蓮正宗法華講大講頭などを辞職する一方で、シーホースの整理に必要な資金を創価学会が拠出するよう、かけ合った。
 そのうち、昭和五十五年の四月から五月にかけて創価学会がいろいろな形で出した二億円について、”恐喝罪“で告訴された。また、その後、五月末から六月にかけて私と創価学会の関係がこじれた際、創価学会関係者がシーホースの整理を蔭で妨害する行為に出たため、一度おさまった大国債権者が騒ぎだしたことから、さらに十億近い資金が必要となり、これを解決するため、五億円を支出してほしい、とかけ合ったことが”恐喝未遂“とされた。
 私は、平成三年一月まで裁判で争ったが、結局、有罪とされ、懲役三年の刑を言い渡された。
 この事件のことについては、”再審“のふくみもあり、この程度で止めておく。
 私は、今もって、”無罪“を確信しているし、その後、創価学会、公明党を離れた人達から証拠集めの作業を続けるにつけ、ますます無罪の確信を深くした。
 間違いなく、私は、創価学会の報復のワナにはめられ、そして政治的圧力で動いた警察・検察によって、不当に犯罪者にされたのである。
 リターンマッチは、私のこれからの人生のライフヮークである。
(『池田大作 日本経済乗っ取りの野望』四)

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