創価学会の塔婆・戒名不要論

友人葬で戒名代50万円請求された!?



 学会はこれまで、日蓮正宗の葬儀およびそれに関する化儀を、〝金儲けの手段だ″〝死の商人だ″などと'口汚なく罵(ののし)ってきた。そしてその一方で〝学会葬こそ理想の葬儀″〝学会葬は金がかからない″と、盛んに吹聴してきた。ところがじつはその学会が独自に行なう葬儀こそが、学会員の心理に巧みにつけ込んだ〝金儲けの手段″であることが、今般判明したのである。〝死の商人″の本性を露呈させた創価学会---その実態に迫る。

 その動かぬ証拠として、今般、学会葬を利用した悪らつな〝金儲けの手口の一端が発覚、学会の〝死の商人″ぶりが明らかとなったのである。

 昨年秋、親戚を亡くしたAさんは、自らが喪主となって、故人(非学会員)の葬儀を学会葬で執(と)り行なった。しかし、戒名もなく、背広姿の学会幹部が導師を務める学会葬は、非学会員の親類縁者の間で、最悪の評価であった。  葬儀が終了した後、「せめて戒名を」という親族の意見に押されたAさんは、学会幹部に相談。その結果、「戒名料」として、なんと五十万円もの大金を支払い、戒名をつけてもらうことになったのである。後日、脱落僧から、「位牌」と〝法名(戒名)証明書″とでも呼ぶべき書類が、Aさんのもとに届けられたのだが、呆(あき)れたことにその「位牌」は、白木の上に、戒名その他を印刷したフィルムを張り付けた、なんとも異様な代ろ物であった(写真)。

それらを見たAさん以下全親族は、学会のいい加減さに唖然。Aさんは正宗寺院に足を運んで、学会を脱会してしまったのである。
(「慧妙」平成12年2月16日号 )


戒名を金儲けの道具と非難した学会

 現在の創価学会は、「戒名は江戸時代に僧侶が金儲けのために作りだしたもの」として戒名を否定、宗門を誹謗しております。果たしてそうなのでしょうか。
 事実は、大聖人様の時代から戒名は存在しています。大聖人様ご自身が、お父様には妙日、お母様には妙蓮、南条時光殿には大行などと授けられています。
 すると創価学会員は、「それは法名であって戒名ではない」と反論しますが、創価学会版『新版仏教哲学大辞典』にはこのように記載されています。


【戒名】かいみょう ①受戒の際に授けられる名。初めて沙弥戒を受けるとき、師から法名を授かって俗名を捨てる ②死後、僧侶からつけられた法名をいう。
(学会発行『新版仏教哲学大辞典』昭和60年11月18日発行) 資料





「塔婆不要論」を主張する学会の墓に塔婆が!




 日蓮正宗の寺院から学会員を引き離すための詭弁(きべん)として、池田創価学会では、ここ数年来、「大聖人の仏法では、毎日の動行で先祖の追善回向をしているから、盆だ、彼岸だと、特別な事をする必要はない」などと言ってきた。 それが、どうだろうか、全国の学会の会館では、盆や彼岸になれば、相変わらず大勢の学会員を掻(か)き集めて、追善回向の盂蘭盆勤行会」や「彼岸勤行会」 がもたれているのである。  といっても、その勤行会なるものは、故人の名を書いた紙を須弥壇に乗せ、幹部の導師で参加者全員が超早口の勤行をして終わり、という、それだけの内容。 不成仏の決まっている学会幹部が、他人を成仏に導くべく勤行の導師をする、な どというのは、ほとんどブラックユーモアに近い。 しかも追善回向といえば聞こえはいいが、学会にとっては、この勤行会が、新 年勤行会や各種記念勤行会と併せて、「財務」以外の、大きな金集めの場になっ ているのである。 かつてじゃ盆も彼岸も、他の勤行会と同様、参加者に寄付(金額は任意)を受付で出させるやり方であったが、いまや、幹部が事前に各学会員宅を回って、回向する故人の名前を用紙に書かせ、書いた人数の金額を回収する、というやり方に変わった。このほうが、一世帯あたりから取れる金額も、寄付の時よりは確実にハネ上がるし、さらには、勤行会自体に参加できない会員からも金を取れる、と いう算段だ。

 それにしても、これまでは「朝夕の勤行をしている学会員は、常盆・常彼岸だ から、盆・彼岸に寺にいく必要はない」と大キャンペーンを張って、学会員の寺院参詣を遠ざけさせておきながら、学会員がほぼ完全に寺院から離れたと見るや、今度は学会の金儲けのために、「会館で彼岸(盆)の追善回向をしよう」と強力 に呼びかけるのだから、その節操のなさ、守銭奴ぶりには、開いた口が塞がらない。 都合次第でコロコロと指導の中味をスリ替える池田創価学会と、それに疑問も感ぜずに付き従っていく学会員----。

 その構図は「塔婆供養」についても、まったく同じである。そもそも「塔婆供養」の功徳について、 日蓮大聖人は、
「丈六のそとば(卒塔婆)をたてて、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字 を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其の風にあたり て大海の苦を離れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿、其の風を身に触れて畜生 道を免かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況んやかの卒塔婆に随喜をなし 、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼の卒塔婆の功徳によりて 、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百 二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん」
云々(新編一四三 四頁) と仰せられている。

 しかるに学会は、こうした御金言をネジ曲げてまで、「塔婆は、江戸時代の悪政の産物であり、寺の金儲けの手段、したがって、する必要はない」等と主張してきた。 この主張が学会の信条なのかと思いきや、遺族を学会につなぎ止めておくためなら、塔婆不要論をかなぐり捨てて、幹部がヒョイヒョイ書いてしまうという有 様(別掲写真)。  唆(そそのか)されて学会に付いてしまった離脱僧達は、盆や彼岸すらも学会員 が寺院に参詣せず、塔婆も幹部が書いてしまう、ときては、さぞかし、寂寥(せき りょう)感をかこつ毎日をすごしていることであろう。 案外、彼らも、「会館の彼岸勤行会で先祖回向をしてもらいましょう」と幹部 から声をかけられて、一件いくらの祈念料を取られていたりして・・・。
(「慧妙」平成8年10月1日号)



塔婆を勧めてきた創価学会




戸田会長 塔婆の意義

この唱え死んだものの死後の生命は、まことに、おだやかなるものです。また、苦しんで死ぬ者もいる。そこに塔婆供養の原理が成り立つ。溶け込んだだけなら、塔婆供養の必要はない。死んだ者にたいして題目を唱える必要もない。溶け込んだ生命に、生命自身が業を感ずる。これが死後の生命なのです。まあ、めんどうな話は、このくらいにして、きょうは、やめる。(戸田城聖先生講演集上)




 「先祖の抜苦与楽を願っての日々月々の唱題・弘教の功徳がそのまま回向されるとはなんとありがたいことか。とくにお彼岸の日には、追善回向の真心を込めて、正宗寺院に参詣し先祖の塔婆を立てて回向するなど、今は亡き方々も自身もともに大きな福徳善根を積む機会としたい」(聖教新聞社説 56・3・21)

「日蓮正宗においても、各寺院で孟蘭盆会が修され、草木成仏の法理に基づき塔婆を立てて先祖の菩提が弔われ、ねんごろな追善供養が行われる」(聖教56・7・15)

「彼岸会のこの日に、御本尊に御供養し、物故者の塔婆を立てて、回向するが、その善行がそのまま到彼岸すなわち成仏の因行ともなるからである」(聖教56・9・22)

「彼岸会の日に、日蓮正宗の寺院に参詣し、御本尊に御供養し、先祖のために塔婆を立てて回向していきたいと思います。他宗の彼岸法要は、本人の積善にも先祖の供養にもなりません」(聖教57・3・19)

「お彼岸の日には、先祖の追善と自身の彼岸を真剣に願って正宗寺院に参詣し、御本尊に御供姜申し上げ、塔婆を立てて回向し、広布への強き決意を新たにすることが望まれる」(聖教57・3・20)

「日蓮正宗の各寺院の孟蘭盆会では、草木成仏の法理に基づいて塔婆を立てて先祖の菩提が弔われ、懇ろな追善供養が行われる」(聖教57・7・15)

「現在、世間一般で行われているお盆の行事には、仏法の本義が失われており、追善供養にならないのみでなく、かえって亡き先祖の苦しみを増す結果になっていることを知らなければならない‥‥日蓮正宗の各寺院においても盂蘭盆会が修され、草木成仏の法理に基づいて塔婆を建てて先祖の菩提が弔われ、ねんごろな追善供養が行われる」(聖教58・7・15)

「日蓮正宗寺院に参詣し、御本尊に御供養申し上げ、塔婆を立てて、先祖の回向をするとともに自身も信心の成長をはかりたい。そして彼岸の真義をふまえて、広布に精進し功徳を積み成長していくことが、先祖への最高の報恩となることを銘記したい」(聖教58・9・23)

「日蓮正宗以外の宗教では成仏への善根は積めない。それどころかかえって不幸への悪業を積んでいく。そうしたものをもつて回向すれば、精霊の生命はますます苦しむ……日ごろ、折伏、唱題で善根を積み、勤行の時は今は亡き方々の幸せを祈るとともに、お彼岸の日には、とくに諸精霊の心情を思いやり、日蓮正宗寺院に参詣し、塔婆を立てて、回向していきたい。とともに、彼岸の意義を銘記し広布に一層の精進を決意したい」(聖教59・3・20)

「最近、新たに墓石を作るにはどのようにすればよいでしょうかとの問い合わせがあります。日蓮正宗では、墓石に所属寺院の住職が『妙法蓮華経』または『妙法』などとしたためた御題目を刻むことになっており、日蓮正宗の僧侶以外の人の筆になる御題目を墓石には刻みません。また、御題目の上に家紋等を刻んだりすることもいたしません。もし家紋を入れたい場合は石塔の台石などに刻むことになっています。したがつて、新しい墓石を立てる場合には所属寺院に相談し、住職に墓石への御題目の染筆をお願いすることになります。その御題目を墓石に刻むのが正しい墓石の作り方です」(聖教59・3・17)

「彼岸の本義、回向の法理を知った我々は、先祖供養の志をもちながら誤った回向をしている人々に、自身も先祖もともに正しく彼岸に至る道を教えていかねばならないと痛感する。私たちは、日蓮正宗寺院に参詣し、塔婆を建てて先祖に回向するとともに広宣流布への一層の精進を決意して彼岸を意義あらしめていきたい」(聖教60・3・21)

「日蓮正宗においては毎日がお盆であり、毎日が彼岸と心得て仏道修行をし、朝晩の勤行において先祖代々の諸精霊の追善供養を怠りなく実践しているのであり、他宗でいう彼岸とはまったくその趣を異にしている。また他宗で行われる法要は一切無益である……春秋二回の彼岸は好季節到来の目印とされてきた。その時節に、成仏への功徳善根を積み、先祖の塔婆を立てて回向するのである」(聖教60・9・21)

「現在では彼岸の時期だから寺院に参詣し墓参りをするというように、完全に慣習化、風習化している。しかも、仏教における彼岸の本義とはかけ離れて、先祖を回向するどころか、反対に苦しめている結果にさえなっているのでる……彼岸の本義を知った私達は、誤った宗教に迷っている人々に、自身も先祖もともに正しく彼岸に至る道を教えていかねばならない。彼岸にあたって、日蓮正宗寺院に参詣し、塔婆を立てて先祖を供養するとともに、広宣流布ヘの一層の精進を決意していきたい」(聖教61・3・21)


学会員が塔婆を建てにお寺に殺到!



塔婆を建てることは「大事な仏道修行の一つ」と指導

塔婆供養  
 今年は正宗寺院では塔婆供養の申込みが殺到してテンテコまいだという。この造塔のおこりはやはり法華経に求められ、塔を建立してその功徳で先祖を救おうという意味である。これも大事な仏道修行の一つで塔婆の形は地水火風空(妙法蓮華経)を形どったもの、五重の塔の意昧にも通じている。
 お盆や彼岸に、正宗のお寺へ行って御供養申上げ、塔婆を認め読経して頂いて唱題を願ったり、各自の墓所へたてる事は、最も一般によく行われている先祖供養の方法である。ただし、大勢のため、なるべく早めに申し込み願いたいと、寺院側では要望している。(昭和33年7月11日付 聖教新聞)





塔婆供養を否定に転じた創価学会

 「回向とは、彼岸や盆などの特別の時だけに行うものではなく、日常的に毎日の動行の際にしていくことが、その基本となる。大聖人の仏法において『常盆、常彼岸』といわれるのも、その意義である。彼岸に故人の追書を行う風習が日本だけのものであることを考えれば、世界宗教である日蓮大聖人の仏法において、回向が盆・彼岸に限定される道理はない‥‥故人の追善供養のため塔婆を立てる風習が存在しているが、これは一つの慣習に過ぎず、塔婆を立てなければ回向ができないというものではない。まして、塔婆供姜をしなければ幸福になれない、などということは絶 対に仏教の教義ではない。塔婆供養の風習は日本だけの、しかも平安時代から始まったもので、仏教の本質でもなんでもないからである。日蓮大聖人が御書において塔婆供養に言及された例もわずかながら存在するが、それは、仏教の本義にたがわない限り、各時代や地域の風習を否定せず、時と場所に応じた弘法を行っていく『随方毘尼』の例として拝すべきであろう」
(聖教H3・3・20)






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