三代会長を託されたは大ウソ
戸田会長は、「三代会長を池田大作氏に託した」 と認識されている会員の方々が多くおられることでしょう。しかし、事実はまったく違うのであり、池田氏のねつ造なのです。では、その経緯を検証しておきましょう。会長就任直後にねつ造記事
捏造『エレベーター相承』
昭和36年5月 大白蓮華
「昭和三十三年三月一日、大講堂落成式の日、五階から、一階に降りるエレベーターの中で、
『わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おれと、お前だ。お前が、あとはしっかりするんだぞ』と。
しかし、
人間革命 第十二巻 (1993年4月7日 第六刷)では
清原かつ、森川一正もやって来て、戸田を囲むようにしてエレベーターに向かった。
エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。
「さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ!」
エレベーターの上昇・下降が違い、さらに二人の幹部が同乗しているのだが、その二人はその事実を後年になって語っていない。
戸田会長死去から、2年間会長は不在だった。
昭和33年3月16日、儀式の後、戸田先生は、床に伏して起き上がれないほど衰弱されていたもとへ、
原島宏治、小泉隆、辻武寿、柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の四参謀が揃って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際はっきり池田を三代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。(池田氏は不在)
辻は「大久保彦左衛門」と渾名され、どんな場面でも物怖じせずにズバツと物をいう男だった。この時も、病の先生の枕辺で、当然のような顔をして、
「先生、三代会長は誰にするんですか」
と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で、
「それは、お前たちが決めるんだ」
と答えられた。
当然、「池田」という返事が返ってくると期待してた辻は驚き、もう一度同じことを聞いたが、返事は同じであった。
(『池田創価学会を解散させよ』龍年光著)
池田氏は当時の幹部・原島宏冶氏らから推挙され、会長に就任した。