身延化する〝創価学会〟を解明
創価学会は、平成26年11月に戒壇の大御本尊と決別を発表したことからはじまり、年々、教義を変更し、本年、釈尊本仏義に完成されている。しかし、会員が気づかないよう説明を曖昧にしているため、それまでとの教義の違いが判る者はいないのが現状である。学会の教学は、大聖人を学会と同格に引き下げた上、釈迦本仏を展開していることをご確認ください。
釈迦本仏を定義
釈尊は〝永遠の仏(本仏)〟
釈尊が今世で初めて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、釈尊は実は五百塵点劫という、はるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏、つまり永遠の仏であることが明かされます。
(『大白蓮華』平成29年6月号)
釈尊が悟った〝根源の法〟と明記
釈尊は、宇宙と生命を貫く根源の法を覚知して仏に成り、あらゆる仏たちも、その妙法を覚って成仏する、と明かしました。南無妙法蓮華経は、「万人成仏の根源の法」であり、その名前です。すなわち、成仏の根本原因である妙法を、日蓮大聖人が直ちに「南無妙法蓮華経」と説き顕されたのです。妙法は仏の境涯を開き顕す根本原因であり、「仏の種子(仏種)」です。
南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根源の法です。
釈尊は、人々の苦悩を自身の苦悩としその解決法を探究しました。
その結果、宇宙と生命を貫く永遠にして普遍である根源の法を、自身の生命の内に覚知し、仏(仏陀)と呼ばれました。
日蓮大聖人は、苦悩を根本から解決し幸福を開く、仏が覚知したこの根源の法こそ、南無妙法蓮華経であると明かされたのです。
(『仏法入門』平成29年4月発行)
考察
創価学会の教学は、日蓮正宗にならいそれまで、日蓮大聖人が〝あらゆる仏の本である御本仏〟であり、釈尊は大聖人の仏法を修行して仏になった迹仏と定義してきました。しかし、本年の学会教学に至っては、釈尊が永遠の仏で、釈尊の悟りの法を大聖人が御本尊として顕したかのように説明しております。
この釈迦本仏論を立てるためには、従来の「人法一箇」の本尊義が邪魔になります。つまり、根源の法と大聖人が一体では釈迦本仏を定義できないため、ここ数年の出版物から消えているのです。
その布石として、学会は久遠元初、自受用身の解釈も変更し、大聖人は本来の御本仏ではなく、あくまで曼荼羅を顕した凡夫として扱っているのです。
従来の【久遠元初の自受用身】の解釈
三世十方の諸仏の能生である本源の法を体現した本仏のこと。日蓮大聖人をいう。(中略)
総勘文抄に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開き給いき」(五六八ページ) と述べられており、久遠元初(五百塵点劫の当初)の本地において、名字凡夫の時、万法の体である本地難思の境智の妙法を境として信受(智)し、即座に自受用身を開悟した仏をいう。境は所証の妙法、智は能証の凡夫即極の自受用身を示し、境智冥合の真仏を顕す。
(学会発行『新版仏教哲学大辞典』)
久遠元初の仏の実践を、現在の凡夫の私たちが、我が身の上に再現することになります。久遠元初の仏とは、生命それ自体がもつ尊厳性、人格の価値をそのまま発揮した仏なのです。
(『大白蓮華』平成29年6月号)
つまり、御本仏・大聖人を格下げし、学会員は大聖人と同格の本仏になり得るとしているのです。
学会の教義は、池田大作氏の法信仰(根源の法)と
創価大学教授・宮田幸一氏の釈迦本仏義を合作したもの。