宗門乗っ取り計画
宗門支配を狙っていた創価学会
→破門され“魂の独立”と虚勢
池田名誉会長はかつて「学会が主、宗門が従」などと考えていたようであります。
このことからも、側近幹部らもそういった意識を持ち、宗門を支配を狙っていたようです。
これが、宗門から見破られ断念した形になりました。その後も、宗門信徒として信仰してきたのは、学会組織維持拡大のためであったことが想像できます。
最終的には、破門されましたので、「魂の独立」と虚勢を張るしかなかったのです。
宗門支配計画
昭和49年4月 本山を傘下に置く「日蓮正宗国際センター」構想
昭和49年4月30日、東京・向島にある日蓮正宗寺院・常泉寺で、日蓮正宗と創価学会の連絡協議会が開催。 学会側から以下のような提案がなされる。1、日蓮正宗国際センター
2、日蓮正宗インターナショナル
3、ミニスターの件
4、海外寺院の件ほか
1、日蓮正宗国際センターの人事提案
会長 池田先生 名誉総裁 日達猊下
理事長 森田一哉 参与 早瀬日慈
専務理事 原田稔 々 藤本栄道
常務理事 細谷昭 々 北条浩
信徒が僧侶を支配することになり、日達上人は学会の姿勢を厳しく批判。
【参考の文証】
「たしかに創価学会中心主義的な独善性もあり「学会が主、宗門が従」というような状況もありました。」(恩師の二十三回忌に思う)昭和55年4月2日 池田名誉会長
昭和49年4月 宗門支配を画策 山崎・八尋報告書「本山の件」
「本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理していくかについて、二通り考えられます。 一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、背後をかためるという方法です。(中略) 本山、正宗は、党や大学、民音以上に学会にとっては存在価値のある外部と思われ、これを安定的にひきつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。(中略)
そのための布石としては、
一、本山事務機構、法人事務、経理事務の実質的支配。
二、財政面の支配、学会依存度を高める。
三、渉外面の支配。
四、信者に対する統率権の支配、宗制宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等。
五、墓地、典礼の執行権の委譲。
六、総代による末寺支配。
が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さり気なく行うことが必要であり、今回のことは、一、二、三を確立し、さらに四までを確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度な判断によって決せられるべきと思いますので、ご決断を仰ぐ次第です。 」
昭和49年5月 宗門からの独立分離計画 北条報告書「本山の件」
9日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。……広布の上に重大障害となりまた宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました。・(池田)先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえす残念です。広宣流布など全く考えていない。自分達の私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足、という風にしか考えられません。学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないなら、うまく使ってゆくか、徹底的に戦って、学会の旗を守って死んでゆくか、いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで決意を固めました。(北條浩副会長/『フォーラム21』H15.8.1)
池田会長 4度のお詫び
昭和52年12月 九州・定善寺で「御寛恕願い」
池田会長は宮崎県定善寺を訪れこれまでのことを「どうかご寛恕を」と懇願昭和53年11月 2000名の幹部で「お詫び登山」
創立48周年記念登山代表幹部会において、池田会長 52年逸脱路線について謝罪。全国2000名の幹部とともに参詣北条理事長 「今にして思えば、そうした数年間の流れのなかに、学会の独自性と社会的存在基盤を追求するあまり、創価学会の前提たる日蓮正宗の信徒団体としての基本及び伝統法義についての意識が、会内において、しだいに希薄化していたことも否めません。 そのことについて、すでに宗門からは、指摘の声が出ていたのでありますが、当時にあっては、直面する問題に四つに取り組んでいたために、われわれは、事の重要性を十分認識するにいたらず、気にはかかりつつも、学会として定めた既定の道を進んでいったのであります。(中略)
その結果、私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に認めるものであります。すなわち、
第一に、学会のここ数年の指導、進み方教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、
第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、
とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります。」(抜粋)
昭和54年4月 会長勇退「引責辞任の辞」
一連の不祥事の責任を取り、会長を勇退するとともに、宗門に総講頭辞任願い。
辞任願 「このたび一切の責任をとらせて頂きたく謹んで法華講総講頭を辞任させていただきます。これからも信心第一で御宗門を外護申し上げ御奉公いたしてまいる所存でございます。御法主上人猊下におかれましては何とぞ永遠の僧俗和合への大慈悲を賜りますように伏してお願い申し上げます。」昭和54年4月26日 池田大作
昭和55年4月 恩師23回忌で自己総括
「恩師の二十三回忌に思う」
「創価学会が急速に拡大し、膨大化した結果、とくに近年、現実社会への対応に目を向けるあまり、信徒として、もっとも大切な御宗門との間に、さまざまな不協和を生じてしまったことは、まことに残念なことであります。この間の問題については、当時、その責任の立場にあった私として、懺悔すべきは懺悔し、真情は真情ととして述べさせていただきたいと思うのであります。そのことが、私どもを慈しみくださった代々の御法主上人への御報恩であり、第67世日顕上人猊下への変らぬ赤誠の御奉公を、お誓い申し上げることになると信ずるのであります。」池田大作
反省はどうなった?
平成2年 宗門批判開始
6月 本部幹部会 池田名誉会長「金ばかり取って、小欲知足どころか、大欲傲慢じゃないか。在家を励ますどころか、責める、いじめる、嫌な思いをさせる」と宗門批判。7月 僧侶と学会の定例の会議で一方的に宗門を批判し席を立つ。
10月 猊下、池田名誉会長に感謝状・記念品(大石寺蒔絵飾壺)を贈呈。この時、池田氏は「日蓮正宗は、常に慈悲であられる。」と感謝を述べる。
11月 本部幹部会における池田名誉会長の宗門批判テープが宗門に届く。
12月 「今回の措置は、宗規の変更にともなう総講頭、大講頭の資格喪失という形をとっておりますが、僧俗一致して大石寺開創七百年慶祝行事を終えた直後であり、またその変更手続きがあまりにも性急であったことなどをみるち、きわめて異常な措置であります。(中略) その身分を、宗規変更手続きに名をかりて、一方的に、しかも即座に喪失させるという今回の措置は、きわめて陰湿かつ姑息であり、まことに権威主義的なやり方といわざるをえません。」平成2年12月30日 秋谷栄之助
12月30日 学会 総講頭・大講頭資格喪失の撤回を求め抗議書を宗務院に送付
これより、宗務院、全国の末寺に嫌がらせ電話等が殺到
学会のこれらの態度を見れば、話し合いをする認識はなかったことは明白。
総講頭資格喪失の撤回を求めたのは、資格回復を願ったわけではなく、宗門攻撃の材料としただけと思われる。