戸田会長「学会解散」を三度言及
戸田の遺言ではない「学会は戸田の命より大事」
創価学会では、戸田会長の指導とされる、
『戸田の命よりも大事な学会の組織』
をよく用いる。そもそも、この言葉を戸田が言ったのかも典拠不明の状態である。
そういった意味からも、これが戸田会長の本意であったかどうか、学会員諸氏に判断していただきたい。
もし、この言が真実ならば、創価学会の中にこそ大聖人の仏法が存在すると理解される。
しかし、戸田会長は生前、
『創価学会の信者なんかあるわけねえじゃないか。みんな日蓮正宗の信者だよ。』
と指導しているのだ。学会に信仰そのものがないと言っているのに、どうして日蓮正宗を差し置いて、「学会の組織が大事」だなどと指導するだろうか?
三度言及した「創価学会の解散」
戸田の意思は日蓮正宗の信徒であれ
【一度目】小樽問答の翌日十二日、札幌市内で日昇上人の御招待を受けて、戸田城聖先生以下十九名が出席し、猊下より「諸君の奮闘に感謝する」という有難いお言葉をいただいて、一同は感激をあらたにした。
その時、戸田先生は立上って「将来、御本山の命令があれば創価学会はいつ潰してもよい。学会は潰してもいいが、日蓮正宗は絶対に潰してはならない」と、御法主上人にお誓いする形をとりながら、勝利の美酒に酔っている学会幹部に対して厳しく将来に向って学会のあり方を示されたのである。(『有徳王』)
尾林御尊師が記録した日記
【二度目】
(昭和31年8月10日 岡山 妙霑寺落慶法要の後)
「落慶法要が終って控室に戻って、いろいろ話があった後に、戸田会長は日淳上人に対して『今後、創価学会が大きくなって、宗門に内政干渉したり、いろいろなことを言ったら、猊下、即刻、解散を命じて下さい。猊下の命令一つで解散を命じて下さい』ということを言われた。
場所は八帖間で、猊下が床の間を背にして一番真ん中に座られ、宗務院の役職員が両サイドに分れて、そのまわりには片方は僧侶、片方は地元の白木(義一郎) さんであるとか、東京の幹部であるとか、それから地元の幹部山田徹一らが並んで座っていたのです。(横田御尊師談 『有徳王』)
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【三度目】
戸田幾さんの逝去後、ある週刊誌が、幾さんと戸田時代の学会幹部であった男性との余話を記録した「肉声テープ」の内容を紹介。そこには次のような衝撃発言があった。
幾さん 主人が死ぬ一年ぐらい前だったかしら、こう言ったことがあるんです。創価学会なんてなくなったいていいんだ、人間が作ったもんだから。
男性 主人て、戸田先生?
幾さん ええ。戸田城聖よ。 もう、全部できたから、あとは学会がなくったっていいと、言っておりました。(幹部の)稲葉さんもこの話を側(そば)で聞いていたはずですよ。
男性 戸田先生が死ぬ一年前というと、昭和三十二年の頃ですね。
幾さん そうです。あとは、お寺さんが水久に続いていけばいいって… … 。
戸田喬久氏も、幾さんの葬儀に際し
「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」 と語り、
日頃から、父・城聖氏の姿を通じ、
「おやじ( 城聖氏のこと)が御法主上人にお目通りする時は、伏せ拝のまま、一度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊( とうと)い方なんだと思っていた」
「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似(まね)はできない」 と語っていたという。
また、喬久氏の妻・すみ子さんが戸田家に嫁入りした際、城聖氏は 「御僧侶を大切にすること。そして、朝晩の勤行をしっかりやること」 と訓戒したという。 (中略)
喬久氏の妻・すみ子さんは、週刊誌の取材に対し、次のように語った。
「(主人の) 遺言はありましたけど、葬儀を常在寺にお願いすることは、それよりもずっと前に決まっていたことです。義父毋ともにそうでしたから。創価学会について、私から何も申し上げることはありません。とっくの昔に池田さんに渡したものですし、継いだわけでもないので、主人は自分の道を歩みました。創価学会と戸田家は無関係です。」
(「慧妙」平成25年3月1日付)
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この事実を、学会諸氏はどう判断するのか?
学会指導で使われる、
『戸田の命よりも大事な学会の組織』は、
万一、このような指導をしていたとしても、
その役目は戸田曰く終わっているのである。