独立宣言後の教義変更は邪教の証し
魂の独立を宣言しながら教義変更
創価学会は平成3年に日蓮正宗から破門された直後に「魂の独立」を宣言。この宣言によって学会は、独自の教団であることを主張したわけです。
宗門からの影響・制約をうけることがない学会は、大聖人の仏法の本義を確立すればよかったのですが、現実はどうでしょうか。
学会は、それどころか教義面で迷走を繰り返す事態に陥りました。
こういった状態は誰が見ても、宗教の体を成さないことが明白です。
独立を宣言した後に、教義を改変し続けたことが、邪教団を決定づけることになってしまったのです。
では、どのように変えてはならないことを変えてしまったかを検証してみましょう。
宗門の教義変える必要ない
「大聖人の仏法の正義を日蓮正宗の教義とするなら、それを正しく堅持し、伝えているのが創価学会だと確信している。従って『日蓮正宗の教義』という文言を変更する必要はない」(参議院宗教法人等特別委員会 参考人として秋谷会長発言)
今回の改正は、「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。(会則の教義条項改正に関する解説)
※「教義の変更ではなく」と言っているが、前年に大御本尊放棄の大改変をおこなった。
信仰の根本を放棄
「一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりはない。」
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
宇宙と境智冥合に変質
「末法の衆生の信心に即していえば、境とは三大秘法の御本尊であり、衆生の信心を智という。「以信代慧」の理によって信心が智慧となるのである。御本尊を信じて唱題する時に境智冥合し、即身成仏の大功徳を得られるのである。」
「私たちは日々、勤行・唱題で、大宇宙の究極の法則に合致し、無限の生命力を涌現できる。」
出世の本懐の意義変更
農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、大難に耐える強き信心が、民衆次元に定着したことを感じられて、十月一日に著された「聖人御難事」で「出世の本懐」を遂げる時がきたことを宣言されました。そして、その宣言の通り、弘安二年十月十二日に一閻浮提総与(全世界の人々に授与するとの意)の大御本尊を建立されたのです。
「出世の本懐」とは仏がこの世に出現した目的という意味で、大聖人が末法の世に出現されたのは、末法万年の一切衆生を救うという御自身の大願を実現するためにほかなりません。
熱原の法難における、民衆の強き信心に呼応して御図顕された弘安二年(一二七九年)の大御本尊は、全民衆救済という日蓮大聖人の大願を込めて、広宣流布のために顕されたのです。
「出世の本懐」の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、茴民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。(会則の教義条項改正に関する解説)
と次々とよく分からない教義に変質した創価学会!!
会長の意思ひとつで教義がコロコロ変わる創価学会。
これに、正当性があるとするならば、何でもありとなってしまいます。
では、大聖人が御教示された規範は何なのでしょうか?
「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり。」(如説修行抄)
「経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり。」(聖愚問答抄)
「玄の三に云はく『文証無き者は悉く是邪偽にして彼の外道に同じ』文。」(真言見聞)
2.学会は陳腐な宇宙信仰に転落