組織利用厳禁について
創価学会では、古くから「組織利用厳禁」の掟が浸透している。これは、組織を乱す、信仰に影響を与えるとの理由からである。
このルールは、あくまで会員に適用されるのであって、学会本部が行うことは例外となっている。
組織内で様々な商売をする外郭企業
学会の組織では地区などを通じて、「潮」「第三文明」「パンプキン」「公明新聞」「民音チケット」「学会のビデオソフト」など外郭企業のグッズが販売されてきた。
これらは、外郭企業独自でできるものではなく、学会本部の意向で組織販売されてきたものだ。
このような行為を組織内で、会員が行えば必ず罰せられるのだが、学会本部が主導する上記の例は「組織利用」にはあたらないと認識しているようだ。
戸田会長が手掛けた大蔵商事という高利貸し業は、会員から資金調達をし、会員に貸付を行っていたというが、これを学会諸氏は組織利用と言わないと判断するだろうか。
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大蔵商事では営業部長、池田の部下として中西治雄、吉田顕之助らがいた。貸金の取り立ては整理部が行い、その部長に初代旗手をつとめた満州特務機関出身の和田某、部下に金井健一、森本某らがいたという。
当時の模様を甲賀はこう語っている。
「大蔵商事の仕事といったって戸田の縁を頼るか、信者の線をたどるか、それ以外にはない。50年の秋ころだったか、戸田さんが来て、是非出資者を紹介してくれというので、私は国鉄大宮機関区のクラブ『桜荘』に国鉄退職者を集め、戸田に話をさせたことがある。
当時、大宮機関区には6000人からの職員がいた。私は1922年(大正11年)以来、ず―っとそこの経理部にいて、皆さんのお世話をしている。絶大な信用があったわけで、だから
こそ退職者の方々も退職金を大倉商事に預ける気になられた。同社の資金面の基礎づくりは私がやったといってもいい。ただ私は経理部の現職だったので直接手を下さず、近くの退職者の横田福太郎さん、切敷友吉さんに退職金の取りまとめを頼んでいた」
甲賀によれば、51年初め、彼は大倉商事との間に『同商事の大宮地区を代表する者は甲賀だ』
との契約書を交わしたという。
池田は頻繁に大宮に通った。彼は月刊ペン裁判の法廷(82年10月15日)で、
「事実、大宮方面には仕事の関係で私もたまたま行ったことはありますけれども、はっきりした記憶がない」と証言しているが、それどころの話ではない。50年9月11日の『若き日の日記』には、
「大宮に、0重役とゆく。大宮のK氏(甲賀のこと)も乱れる心になっている。全く、頼れる人では、決してない」
と記して以来、『日記』中に大宮は頻出している。当時、国鉄職員の住まいは大宮駅西口に多かったとはいえ、後に池田との醜関係を取り沙汰される元公明党参院議員・渡部通子の実家がある東口にも散在しており、大宮は若き池田が50年以来、金貸しの手代として、靴をすり減らして歩き回った青春の地なのだ。
(中略)
当時の『聖教新聞』を繰ると、「資金の融通は大蔵商事」と広告を打っていることにも見られるように、折伏の進展に伴い、同社の業績は見ちがえるほど好転した。資金の入りも出も、増大する信者会員が支えたからである。(『公明党=創価学会の深層』)
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